(8)消えない苦悩
望まぬ形での再会も束の間のこと、慌ただしく地球を発ったソルドは一度アーシェリーとも別れ、月のエリア・セレストにやってきていた。
先日の騒動の余韻が残るセレストだが、今は少なからず落ち着きを見せ始めている。元々、政府直轄のプラントが軒を並べるエリアだけに、治安や秩序の回復も優先的に行われるからであろう。
緊張感が残りつつも喧騒の絶えぬ街中を歩いたソルドは、やがて目的の場所に辿り着く。
薄暗い地下に存在する無機質な独房のような空間。電子機器の光に照らされた野太いいくつもの配線が、歪な輝きを放つ。
その中で彼は、二人の人間と顔を合わせていた。
「急に押しかけてすまん。シュメイス……」
「別に構わないさ。ま、お前がいきなりやってきたことには驚いたがな……確か、待機中のはずだろ?」
その内の一人――特務執行官【ヘルメス】ことシュメイスは、いつもの飄々とした調子で問い掛けてくる。
「今、オリンポスはかなり面倒臭いことになってるはずだ。こんなところで油売ってる暇はないんじゃないか? 司令にバレると面倒だぞ?」
「わかっている。だが、お前にどうしても頼みたいことがあってな」
「おいおい。俺も別に遊んでいるわけじゃないんだぜ? これでも任務中なんだ」
「それでもお前以外に頼れる者がいなくてな……」
ソルドの表情は、いつになく神妙だ。
元々が直情型の彼だけに、その感情の機微を読み取るのは容易い。
今のソルドがなにを思い、ここにやってきたのか――シュメイスにはある程度察しがついた。
「……それは、ルナル絡みのことか?」
ストレートな問い掛けをすると、ソルドが息を呑むのがわかった。
わずかに口元を緩め、シュメイスは両手を広げる。
「図星か……わかりやすい奴だな。で、俺にどうして欲しいんだ?」
「ああ……リンゲル=ライオットという男と、その人間関係について調べて欲しい」
「リンゲル=ライオット? なるほどな……そういうことか」
その名前を聞いたことで、金髪の青年は納得がいったようだ。
コンソールを叩きつつ、目の前のモニターに一人の人物の画像といくつかのデータを表示させる。
「リンゲル=ライオット……現在のSSSの母体となる会社を立ち上げた人物で、現代表であるイーゲルの実父だ。ただ、その経歴は表立って知られてはいないな」
高い情報収集能力を持っているのもさることながら、ソルドがシュメイスを頼ってきたのは、彼が現在SSSという企業の動向を探っていたからだろう。
リンゲルという人物がSSSの創始者だったという事実は、ソルドでも辿り着けた情報であったのだ。
「だが、この男がルナルとどういう関係がある? その辺、詳しく教えてもらわないと、俺も動きようがないんだが……」
「実は……」
ただ、その理由についてはさすがにシュメイスも問い掛けてくる。
ソルドは地球で聞いたことと己の持つ情報とを合わせて、彼に伝えた。
ややあって、小さな嘆息の音が室内の機械音に混じる。
「……そういうことか。つまりお前はリンゲルが、そのガイモンってジジイの行方に関わっていたんじゃないかと思ってるんだな」
「そうだ。ルナルの出生の秘密は、ガイモンという人物が握っている。その男を問い詰めれば、【ヘカテイア】の謎も解けるかもしれん」
ソルドはつぶやきながら、拳を握り締める。
そこにはなんとしても妹を救いたいという思いが垣間見えたが、そんな彼に対して冷たく告げる声があった。
「私は反対です。そのようなことに、貴重な時間を割く余裕はありません」
「フェオドラ……」
「ソルド……特務執行官ともあろう者が、そのような私情で動いて良いのですか?」
シュメイスと共にいたもう一人の人物――銀の髪を持つ妙齢の女性は、鋭い視線を向けてくる。
彼女の名はフェオドラ=エメリンといい、【エウプロシュネ】のコードネームを持つ支援捜査官である。
歓喜の女神の名を有する彼女であるが、その性格は極めて実務的かつ冷静であり、支援捜査官の中では最も情報収集能力に長けた人物として知られていた。
今はシュメイスの補佐として、SSS関連の調査に当たっている。
「カオスレイダーを……それを操る者たちを倒すのがオリンポスの使命。その邪魔をする者は敵のはずです。それがたとえ、かつての身内であろうともです」
「よせよ。フェオドラ。まだルナルが敵だと決まったわけじゃないだろう?」
「では、シュメイスは最近の支援捜査官の不自然な殉職について、どう説明するのです? あなたもオリンポスの内部情報に詳しい者でなければできない犯行だと言っていたではないですか?」
「それは確かに言ったさ。そうでなければ説明がつかないからな」
淡々と言葉を並べ立てる彼女に、シュメイスは苦々しげな表情で、再び嘆息する。
「だが……それでもルナルの仕業と決まったわけじゃない。あいつは……そんな卑劣で冷たい奴じゃない」
「なにを甘いことを言っているんです……! そんなことだから、皆が犠牲になるんじゃないですか……!」
フェオドラは、隠していた苛立ちをあらわにした。
席を立ち上がった彼女は二人を一瞥したあと、少し風に当たってきますと言い残し、部屋を出ていく。
険悪な雰囲気だけが残った室内で、シュメイスは静かに目を伏せた。
「ソルド……すまん」
「いや……気にしなくて良い。フェオドラの言うことはもっともだ。それに彼女の気持ちもわかる……」
ソルドは暗い声で、それに答える。
一見、冷たそうな印象を受けるフェオドラだが、実のところ秘めたる思いは強いものがある。
仲間である支援捜査官が次々と死んでいく現実は、彼女の心に動揺や悲しみ、更には恐怖といった感情を呼び起こすのに充分なものであったろう。
「とりあえずリンゲルとガイモンの件は、こちらでも調べを進めてみる」
「ありがとう。シュメイス……」
「気にするな。さっきも言ったが……俺もルナルがそんな卑劣で冷たい奴だと思ってないからな……」
視線を戻したシュメイスは、わずかに口元を緩める。
そこにはかつてルナルを守れなかったことに対する罪悪感以上に、彼女に対する信頼を捨てたくないという思いが覗いていた。
ほぼ同じ頃、小惑星パンドラのセントラルエリアでは、【クロト】の復旧作業が進んでいた。
円柱を囲み宙に浮遊するクリスタル――セントラル・コンピューター【モイライ】の内、光の消えていたひとつがわずかにその輝きを取り戻している。
その下で光のコンソールを操作していた紫髪の女性が、大きく息をついた。
「進捗はどうだ? エルシオーネ?」
「なんとか機能復旧の目途はついたわ……けど……」
エルシオーネは苦い表情のまま、問い掛けてきたウェルザーに答える。
「すべてが元通りというわけにはいかない。【クロト】の持つメモリーデータの実に四十二パーセントが消えてしまっているから……」
「それほどにか?」
「ええ。しかも単純な情報データだけじゃない。彼女を構成する性格や感情データにまで及んでいるわ」
想像以上の数値の高さに驚くウェルザーから視線を転じ、彼女は上空のクリスタルを見つめた。
「再起動をかけてみないと、なんとも言えないけれど……恐らく人間で言うところの記憶喪失になっているはず。今回の経緯を覚えているかどうかも怪しいわね」
「だが、なぜだ……なぜ、それほど侵食されるまでわからなかった? そもそもいつ【クロト】は侵食を受けた?」
厳しい表情で問い返す黒髪の男に、エルシオーネはデータを提示してみせる。
光のスクリーンに浮かび上がったそこには、日時を含めた文字列がびっしりと並んでいた。
その内の一行を色反転し、彼女は続ける。
「セントラルへのアクセス記録を調べた結果、あなたが予想した通り、直近で一度だけ【アルテミス】のコードが使われていたわ」
「一度だけ……? それは、いつのことだ?」
「特務執行官全員が招集を受けた日よ。あの時【クロト】には、緊急事態でない限り私たちの前に姿を見せないよう伝えていたから……」
苦々しさを滲ませたまま、エルシオーネはつぶやく。
ウェルザーもまたその一行を確認し、拳を強く握り締めていた。
「だが、あれはルナルがさらわれたあとの話だ。もし、そのルナル本人からアクセスがあったのなら、それこそ緊急事態のはず……なぜ、【クロト】は黙っていた?」
それは恐らく、誰もが思うことだったろう。
普通ならば即座に、ライザスや自分たちに伝達されるべきことのはずだ。
その問い掛けに対し、エルシオーネはがくりとうな垂れる。
「わからない……わからないわよ!」
いつになく感情的になり、彼女は声を荒げる。
思わず目を見開くウェルザーに、彼女はすがるような視線を向けた。
「こんなことは初めてよ……そもそも【モイライ】が侵食を受ける可能性は限りなくゼロに近いのよ! ウェルザーもそれはわかっているでしょう?」
「ああ。【モイライ】は古代異星文明の叡智の産物……現人類圏に存在するコンピューターを遥かに超えた性能を持つ。いかに複雑なウイルスであろうと、即座に防衛プログラムを最適化し対処することができるからな」
未知のクリスタルで構成されたコンピューターを見つめ、ウェルザーはつぶやく。
中空に浮かぶ球体を始め、ハードウェアである【モイライ】本体は、そもそもがパンドラ内部の古代遺跡にあったコンピューターを流用したものだ。
使用方法や基礎的な理論こそ【レア】からレクチャーされていたものの、二人もそのすべてを把握しているわけではない。
「だが……今回の相手もまた、我らの想像を超えた謎の存在だ。いかに【モイライ】が優れていようとも、防ぎ切れないウイルスを仕込まれた可能性はある」
ゆえにウェルザーもエルシオーネも、【クロト】が受けた侵食の本質を解明することができずにいた。
優れた頭脳を持ちながら、まったく問題の解決を導けない現実に、二人は無力感と焦燥とを抱くしかなかったのだ。
(いずれにせよ、【アルテミス】のコードによるアクセスで【クロト】が侵食されたことは間違いない。ならば、やはり【ヘカテイア】の仕業なのか……)
厳然たる事実である一行の文字列を見つめ、ウェルザーは思う。
【クロト】の復旧が成れば、事の経緯を聞き出すことができると踏んでいたが、その希望は潰えたと見て良い。
(こうなれば、やはりフィアネスだけが頼りか。すまない……任せたぞ)
真相の究明を果たすべく打ったひとつの手に望みを託し、ウェルザーは暗き中空に視線を投げた。




