(7)苦い再会と繋がる過去
限りない空と見渡す限りの水平線が広がっている。
人類発祥の地となる星――その一角に突き出た山のような島の頂上に、ソルドとアーシェリーは再び降り立っていた。
裾野付近に広がる森林をくぐり抜け、二人は木製の家屋が立ち並ぶ海沿いの集落へやってくる。
そこは以前とほぼ変わらない姿をもって、彼らを迎えた。
「あれ~? おにいちゃん、おねえちゃん!?」
「こんにちは。イサキちゃん……元気だった?」
「来てくれたんだ! わ~い♪ おにいちゃん、おねえちゃ~ん!」
二人はそこで、再会を果たす。
アオメクジラの事件からさほどに日は経っていなかったが、黒髪の少女イサキは満面の笑顔を浮かべて、ソルドたちに駆け寄るのだった。
「なんじゃ、お前ら……こないだ帰ったと思ったら、すぐまた舞い戻りおって。オリンポスは暇なのか?」
「いえ、暇というわけでは決してなく……」
その後、ソルドたちの姿は一軒のログハウスの中にあった。
その家の主である老人――ダイモン=ムラカミ博士は意外とも呆れとも取れる表情を浮かべている。
苦い思いを噛み締め、神妙な顔で老人と向かい合うソルド。その後ろでは、アーシェリーとイサキが戯れている。
「おねえちゃんのふかふかおっぱいまくら~♪」
「こ、こら! イサキちゃん! やめなさい!」
青年の思いに気付くこともなく、イサキはアーシェリーの豊満な胸に顔を埋めてグリグリと頭を動かしていた。
悪気がないのはわかっているものの、アーシェリーは辟易とした様子で注意する。
「どうして~? だってすごくきもちいいよ~♪ あたしもおっきくなったら、おねえちゃんみたいな、おっぱいばいんばいんのないすばでぃになるんだぁ~♪」
「どこでそんな言葉を覚えるんですか! ちょっと博士! イサキちゃんに変なこと吹き込んでいませんか!?」
「別に変ではなかろうが。そもそもイサキが人のプライベートに首突っ込んでくるから、勝手に覚えてしまうんじゃ」
「なら、そのプライベートに問題があります! もう少しイサキちゃんへの影響というものを考えてですね……!」
少女の放った言葉を受けて、彼女の感情の矛先が老人に向く。
小言めいた文句を言ってくるその様子は、まるでイサキの母親のようである。
それに対し、ダイモンはそ知らぬ顔で茶をすするのみだ。
「まったく騒々しい。で……今回はなんの用じゃ? まさか単純にイサキとの約束を果たしに来たわけでもあるまい?」
「ええ、まぁ……」
「歯切れが悪いな。ソルド=レイフォース……はっきり用件を言わんか」
改めてソルドに視線を戻した彼は、話を進めるよう促す。
ややあって青年は意を決したように、言葉を紡いだ。
「では、博士……単刀直入に聞きます。三十年ほど前にアルファのモイパ地区にあった研究所にいらっしゃいましたか?」
それを耳にしたダイモンは、眉を吊り上げる。
「……なぜ、それを?」
「いた……のですか?」
「……いたかと言われれば、いたな」
老人の声音は、どこか暗いものに変わっていた。
愕然とした表情を浮かべたソルドは、次いで震える手でその襟首に掴みかかる。
「では、博士がその研究所の責任者だったんですか!? 教えて下さい! 当時、あの研究所でなにが行われていたのか!!」
凄い剣幕でまくし立てながら、ソルドは詰め寄る。
締め付けられたダイモンの表情が大きく歪み、それを見たアーシェリーがすかさず止めに入る。
「ソルド! 落ち着いて下さい!」
「あ……! す、すみません……」
「ゲホゲホ……なんじゃ、急に……」
我に返ったソルドが慌てて手を離し、謝罪する。
ダイモンは咳き込みながら咎める視線を向けてくるものの、青年の様子が只事でないことは感じ取ったようだ。
「まったく……年寄りはもう少しいたわるもんじゃぞ。じゃが、お前がそこまで取り乱すということは、よほどの理由じゃな。なぜ、それを知りたい?」
「実は……」
その言葉を受けて、ソルドは事情を説明する。
妹であるルナルのこと、そしてその過去の謎と調べ上げた手掛かりについても――。
すべての話を聞き終えたダイモンは深く息をつくと、改めてソルドを見据えた。
「そうか……なるほどな。じゃがそれは、少し込み入った話になる。場所を変えるとするか。ソルド……」
「はい。シェリー……少しイサキの相手を頼む」
ソルドはアーシェリーに一言言い残すと、ダイモンに付き従いながらログハウスを出た。
そのまま二人は、人気のない砂浜へと移動していた。
打ち寄せる波が規則的な音色を奏でる中、男たちの間に湿った風が流れる。
なにから話すかと聞いてくるダイモンに対し、ソルドは先ほどの疑問をぶつけた。
「改めてお聞きしますが、研究所の責任者は博士だったんですか?」
「……いや、違う。しかし、お前の言う責任者と同じ研究所にいたことは事実よ」
「では、研究所の責任者であったムラカミという人物は、何者なのです?」
老人の答えに訝しげな表情をしながら、彼は次の言葉を待つ。
ややあってダイモンの口から放たれたのは、どこかいまいましさを滲ませた声だった。
「奴の名は、ガイモン=ムラカミ……わしの双子の兄じゃよ」
一度だけ激しい波が起き、それが海から突き出た岩に当たって大きな飛沫を上げる。
異音にも近い轟きが響く中、ソルドは驚きに満ちた視線を向けた。
「博士に兄がいたのですか?」
「まぁな……」
「しかし、ガイモン=ムラカミという名の博士は初耳ですが……?」
彼がそう思ったのも当然である。
ダイモンに兄がいたことはさておき、博士号を持ったガイモンという人物のデータは調査の中でも出てこなかったからだ。
「そうじゃろうな。奴は表向き、博士号を剥奪されておる。今ではあらゆる公的記録からも抹消されておるはずじゃ」
「剥奪……? 差し支えなければ、そのガイモンという人物のことを教えて頂いても?」
剥奪という言葉にただならぬ事情を感じ取りつつ、ソルドは問い掛ける。
それに対するダイモンの返答は、端的だった。
「まぁ、一言で言ってしまえば、人間の屑じゃ」
「に、人間の屑……!?」
「そうじゃ。知識欲と自己顕示欲の塊。人を人とも思わず、ただ自分の欲望を満たす道具としか考えない真正の屑よ」
とても血を分けた兄弟に対するものと思えない言葉だった。
血縁でなくともルナルとの兄妹関係を築いてきたソルドにとっては、驚きを禁じ得ないものだ。
「ただ、その才能は本物じゃがな。生体工学に加え機械工学にも通じておる。頭の良さだけ見れば、間違いなく世紀の天才と言えよう……」
老人はわずかに天を仰ぎ、言葉を続ける。
そこには後悔に加え、どこか仄暗い感情も見え隠れしていた。
「もっとも、わし自身も人のことは言えんほどに身勝手な男じゃった。わしにとって奴の才能は妬ましく、目の上のタンコブじゃった。生まれた時からなににおいても比較され、蔑まれる……同じ時に生まれ、同じ姿を持ちながら、なぜこうも違うのかと……いつしかわしの心には、奴への憎悪だけが育っていた」
強く吹く風の中で、ダイモンの独白は続く。
その言葉のひとつひとつが、ソルドの心に異なる兄弟の在り様を刻む。
「ガイモンの研究が違法行為に及んだ時……わしはそれをCKOに密告した。奴の権威を失墜させるためだけにな。結果としてお前の言った襲撃事件に繋がり、奴は博士号を失うこととなった……」
正義感や倫理観――そういったものを隠れ蓑としつつ、ダイモンは自らの嫉妬心を晴らすために兄を訴える行動に及んだ。
しかし、それは彼にとっても苦い出来事となった。博士号こそ剥奪されなかったものの、ダイモンもまた違法な研究に関わっていた可能性を指摘され、謹慎処分となったのである。
ほとぼりが冷めてしばらくのち、彼はその知識を見込まれたライザスに誘われ、カオスレイダーの研究に参加することとなる。それは過去の自分の行動への反省もあったのだろう。
ダイモンが当初見せていた態度は、今語られた経緯の中で生まれてきたものなのか――そんなことを思いつつ、ソルドは更なる疑問をぶつける。
「そうだったんですね……しかし、ガイモンという人物が行っていたのは、なんの研究だったんです?」
「主に人間のクローンに関するものじゃ。その中でも特に奴が力を入れていたのは、人格継承の研究じゃった」
「人格継承?」
「わかりやすく言えば、不老不死や死者蘇生といった類のものじゃ。人のクローンを作り出し、その記憶や経験を継承させる……要は元となった人物とまったく同じ人間を作り出すことじゃ」
「……なぜ、そのようなことを?」
「人なら、誰でも死を克服したいと思うじゃろう? ガイモンの奴は類稀なる才能を持つ者を延命するため……平たく言えば、奴自身がずっと生き続けるためにその研究を行っていたのよ」
ガイモンという人物が抱いていた思惑に、ダイモンは侮蔑の感情を覗かせていた。
それに対し、ソルドは複雑な表情を浮かべている。
ある意味で特務執行官は、ガイモンの行っていた研究の延長線上にある存在ではないかと思えたからだ。異星の知識と技術で生まれた特務執行官に、その研究との繋がりが皆無であったとしてもである。
そしてダイモンの話は、ルナルのことに及んだ。
「お前の妹は恐らく……その人格継承研究の試験体じゃろう」
「試験体ですって!?」
「うむ。ガイモンはテストケースとして、いくつかのクローンベビーを作り出し、実験を行っていた。わしもその内容までは詳しく知らんが……何者かの人格を継承させておったことは確かじゃ」
「何者かの……人格……」
ぞっとする思いを抱きつつ、ソルドは手を握り締める。
アルファの墓地で見た【ヘカテイア】の人格は、彼の知るルナルとは違っていた。
遡って考えれば、ルナルが幼い頃に見せていた無感情さと残虐性も、継承された人格の影響があったのかもしれない。
そうなると、元となった人格の正体が気になるところだ。
「……博士。その後、ガイモンという人物がどうなったのかは、ご存じですか?」
「さてな。襲撃の最中、脱出したことは確かじゃが……行方は不明のままじゃ。ま、簡単にくたばる奴でもないじゃろうから、どこかで生きてはおるんじゃろうが……」
「そうですか……なにか手掛かりでもあればいいんですが……」
あと一歩というところまで来つつも、ルナルの正体の核心が掴めなかったことにソルドは落胆する。
そんな彼を見やり、ダイモンは記憶を手繰り寄せるように続けた。
「……手掛かりと言えるかはさておき、奴の研究を援助していた男はいたな」
「援助?」
「うむ。名前は確か、リンゲル=ライオットと言ったか。特に生体工学などと関わりのない企業の人間じゃった……ガイモンとの関係はよくわからんが、なにかの利害が一致したことは間違いあるまい。調べてみる価値はあるかもしれんぞ」
「リンゲル=ライオットか……」
どこか聞き覚えのあるような名前にソルドは眉をひそめるも、切れかけそうになった手掛かりの糸が繋がったことにひとまず安堵する。
彼はダイモンに礼の言葉を述べたのち、次なる行動を考えつつ天を見上げた。




