(4)模索する者たち
【統括者】の本拠とも言える異相空間の浮き島に、ふたつの影があった。
銀の瞳を持つ影が、しゃがみ込むようにしている金の瞳の影に語り掛けている。
「……あの女が、我らの眷属覚醒の手助けをしているだって?」
「ええ……」
それらの影――二人の【統括者】の間に、澱んだ空気が満ちる。
やがて銀の瞳を持つ【テイアー】は、静かに話の続きを始めた。
それは先刻、【テイアー】が寄生者を拉致すべく行動を起こしていた時のことだった。
夜の街に瞬く光の下、アスファルトに広がる澱んだ血溜まりに男の遺骸が横たわる。
咆哮を上げた狼のような異形の怪物が、その場を跳ぶように立ち去っていく。
やがて怪物の向かった先から、破壊の音と人々の悲鳴が聞こえてくる。
横たわる遺骸の傍で、その惨劇のメロディーを耳にする一人の女がいた。
「アレクシア……」
姿を見せた【テイアー】は、銀の視線をたたずんでいる女へと向ける。
わずかに黒髪が揺れ、緋色の瞳が【統括者】を捉えた。
「あら?【テイアー】……久しぶりね」
今気付いたと言わんばかりに、その女――【エリス】は笑みを浮かべる。
それはかつてのアレクシアと異なり、どこか不気味さを感じさせる表情であった。
「これはどういうことかしら?」
「どうもこうも……あなたたちの眷属――カオスレイダーを目覚めさせてあげてるのよ」
地に転がる遺骸を踏みつける彼女は、【テイアー】の問いにさらっと答える。
それはあまりに意外であり、同時に恐ろしさを感じさせる返答でもあった。なぜなら混沌の【統括者】である【テイアー】であっても、寄生者の覚醒を早めることは不可能だからである。
【エリス】がなぜそのような能力を持っているのか定かではなかったが、【テイアー】は問い掛けを続ける。
「……なぜ、そのようなことを?」
「以前は世話になったから。その恩返しというところね……」
「……そんな戯言を信じろというのかしら?」
「疑り深いわね。あなたはもう少し私を信じてくれてると思ったけど……」
どこか警戒した様子の【統括者】に、【エリス】は苦笑と共に嘆息した。
もっとも、彼女がアレクシアであった頃から、二人の間にそこまで強い信頼関係があったわけではない。
今の言葉と態度は、いわば彼女なりの皮肉だ。
「まぁいいわ。あなたと敵対するつもりはないから……あくまで今のところは、ね」
「なんですって?」
「また会いましょう。【ハイペリオン】によろしくね。フフフフフ……」
余裕の態度の中に殺意を潜ませて告げると、【エリス】は背を向け歩み去っていく。
夜よりも深い闇へ呑まれるように消えた彼女を見送りながら、【テイアー】はその目に動揺と怖れとを浮かべるのだった。
「確かに得体の知れない存在になっていたわ。アレクシアは……」
その時のことを改めて思い返したのか、【テイアー】の声は警戒心に満ちたものになっていた。
そんな同胞の様子を眺めながら、【ハイペリオン】はつぶやく。
「僕の言ったことが、少しは理解できたようだね」
「ええ……けど、これからどうするつもりかしら?」
「奴の正体も目的も定かじゃないけど……僕たちの敵であることに変わりはない」
いまいましさを感じさせる声でありながらも、彼は本来の落ち着きを取り戻していた。
その目は、いまだにその形を完全に取り戻していない己の手を見つめている。
「ただ、闇雲に手を出すのは賢くないようだ。しばらくは様子を窺ったほうが良いかもしれないね……」
「そうね……」
戦いが想定外の変化を見せ始めていることに、彼らもまた気付き始めていた。
イレギュラーと呼べる【エリス】たちの存在もそうだが、秩序の戦士の力を受け継ぐ宿敵――特務執行官もまた警戒すべき敵へと成長を始めている。
【ハイペリオン】は己と同じ色の瞳を持つ青年のことを思い浮かべながら、その目をわずかに歪ませた。
(特務執行官【アポロン】も、秩序の光の力を目覚めさせつつある。陰には奴の存在もあるようだしね……癪ではあるけど、今は本来の目的のために力を注ぐべきか……)
同じ頃、その特務執行官【アポロン】ことソルドは、パンドラのレストスペースにいた。
制御訓練が一段落したのも束の間、最近はカオスレイダーの掃討任務に駆り出される日が続いている。彼がここに戻ってきたのも十分ほど前のことで、今は緑茶を嗜みつつ身を休めているところだ。
ただ、自前で淹れた茶の味は妙に渋く、お世辞にも美味とは呼べない。それは茶の淹れ方もさることながら、今の彼の晴れない心情も大きく左右していたからだろう。
背もたれに背を預けてため息をつくと、そこに救い主と呼べる人物が現れる。
「ソルド」
「シェリーか……」
特務執行官【アテナ】ことアーシェリーもまた任務を終え、戻ってきたばかりであった。
一時だけ彼女は相好を崩したものの、すぐにソルドの様子を見て表情を曇らせる。
「だいじょうぶですか? だいぶ疲れたように見えますが……」
「ああ。問題ない。ありがとう……」
「お茶、淹れ直しますね。少し待っていて下さい」
言うが早いかアーシェリーは湯呑みを取り上げ、カウンターに向かう。
手慣れた様子で作業を行う彼女をぼんやりと眺め、ソルドは再び息をつく。
何度かこうして茶を淹れてもらうことを繰り返す内、アーシェリーの腕前は格段に上がっていた。今ではルナル以上かもしれないと思うことがある。
やがて戻ってきたアーシェリーは、かぐわしい香りを漂わせる湯呑みを卓上に置いた。
「制御訓練は大変だったようですね。この間、サーナもしんど過ぎるとぼやいてました」
「ああ。あまり勧められるものではないな。こんな状況でなければ正直、またやりたいとは思わない。そういえば、次は君の番だったか……無理しないように気を付けてくれ」
「はい。肝に銘じておきます」
新しい茶を口に運んでようやく人心地ついたのか、ソルドはわずかに表情を緩めた。
脇に並んで腰掛けながら、アーシェリーはしばし彼を見つめる。
「ルナルのこと……進まないですね」
やがて彼女はぽつりと、一言を口にする。
ソルドは思わず目を見開くものの、彼女が自分と同じ心境であったことに気付き、静かに頷いた。
「ああ……あいつを救うと言ってはみたものの、手掛かりもなにもないからな。最近は掃討任務も妙に増えたから、思うように時間も取れない」
「そうですね。ですが、良くない話を耳にしました。この任務増加の裏にルナルの……【ヘカテイア】の暗躍があると」
「【ヘカテイア】の?」
初耳となる内容に訝しげな表情をした彼に、アーシェリーは続ける。
「彼女が支援捜査官たちを殺害しているというのです。そのためカオスレイダーの覚醒事案が増えてしまったのだと……」
「バカな……!?」
「そればかりではありません。先日【クロト】がハッキングを受けて緊急停止に追い込まれた事件……あれも彼女の仕業ではないかという疑いがあるんです」
口にしながら、アーシェリーの表情も曇っていく。
それは彼女自身も信じたくない思いが強かったからであろう。
「どちらも今のところ、確証は掴めていません。ですが証拠がはっきりすれば、オリンポスは【ヘカテイア】を排除対象にするでしょう。そうなれば、私たちの調査活動に支障が出てしまうことは間違いありません」
「く……どういうつもりだ。【ヘカテイア】……!」
ソルドは震える手で湯呑みを卓上に置く。
叩き付けたわけではないものの、想像以上に大きな音が響き、わずかに残った茶が宙に躍った。
表情を歪める彼を見やりながら、アーシェリーは膝上で両手を握り締めた。
「ソルド……実はひとつ考えていたことがあるのですが……」
「なんだ?」
「ルナルは生まれながらにして、謎の声に苛まれていたということでしたよね?」
「ああ。そうだ」
「その声の正体……いえ、ルナルの出自の謎。そこに彼女が【ヘカテイア】と化した秘密があると思うんです」
彼女の放った意外な言葉に、ソルドは目を見開く。
「それを調べることが、ルナルを救うことに繋がるかはわかりません。ですが、当てもなく動き回るよりは、なにかヒントが掴めるのではないでしょうか?」
「ルナルの出自の謎か……」
その内容を頭の中で反芻しながら、彼は改めて考える。
生前はマリスが頑なに口を閉ざしていたため、その秘密を調べることは叶わなかった。
特務執行官となって以降は、謎の声自体が鳴りを潜めていたこともあってか、あえて調べる気も起きなかった。
だが、このままルナルの正体に目を瞑り続けても、状況の好転に繋がる可能性は低い。
元よりできることはなんでもやると考えていたのだから、打てる手は早く打つべきだろう。
「確かにそれは、はっきりさせておく必要があるかもしれない。早速、調べてみるとしよう」
「はい。私も訓練が終わり次第、協力します」
「いや……ここは私一人で良い。あの訓練を侮ったら危険だし、なによりしばらく動けなくなるからな」
「で、ですが……」
決意も新たに立ち上がったソルドは、食い下がろうとする恋人を手で制する。
「だいじょうぶだ。進展があったらすぐに連絡する。それと……ありがとう。シェリー」
笑みと共に礼の言葉を残して立ち去る彼を、アーシェリーは揺れる瞳で見送った。




