(3)動揺の連鎖
オリンポスの本拠地、小惑星パンドラの司令室にはやや重苦しい空気が満ちていた。
「ここにきて急に、カオスレイダーの覚醒事案が増えたな」
苦虫を噛み潰したような表情で、褐色の男――ボルトスがつぶやく。
彼は先ほど任務を終えてパンドラに帰還したばかりである。カオスレイダー覚醒者の掃討任務で、出動からわずか一時間で解決したものの、ここ最近では珍しく慌ただしい事例でもあった。
そんな彼に頷きながら、司令官のライザスは中空に浮かぶ無数のスクリーンを見つめている。
「うむ。支援捜査官の殉職も立て続けに起こっている。こうなると、特務執行官の稼働率も必然上がってしまうな。訓練プログラムも完成したばかりだというのに……」
「しかし、なぜ急にこんなことが起こり始めたのだ?」
ボルトスもまた、訝しさを隠せない様子だった。
支援捜査官の死亡により、カオスレイダーの覚醒を防ぎ切れなかった事例はいくつかあれど、ここまで連続で起こることはなかったからである。
ややあって司令室の壁面が開き、一人の男が姿を見せる。
「……理由は簡単だろう」
「ウェルザーか……調べはついたのか?」
その男――特務執行官【ハデス】ことウェルザーは、いつにない厳しい光をその瞳に浮かべていた。
問い掛けてきたライザスに向け、彼は答える。
「ああ。殉職した者たちの遺骸を調べてみたが、死因の大半は鋭利な刃物で切断されたような傷にあった」
そして中空にスクリーンを浮かべた彼は、それを二人に向けた。
そこには複数の遺体の映像が画面分割されて映し出されており、すべてに致命傷となる大きな傷跡が残っていた。
「これは何者かが意図的に支援捜査官を狙い、殺害したということだ。そして彼らの能力を上回り、なおかつ彼らの関与している任務の詳細を知っている者でなければ、このような真似はできん」
個人差はあれど、支援捜査官はそもそもカオスレイダー寄生者を葬るための高度な生体強化や戦闘訓練を受けている。
一般人は元より、軍人などであったとしても彼らを殺害するのはそう容易いことではない。
そして殺された支援捜査官はすべて、現在進行形で捜査任務を遂行していた者たちでもあった。
「だが、支援捜査官の任務……いや、カオスレイダー案件に関わる情報はオリンポスの重要機密だぞ? それを知っている者など…………まさか!?」
不可解そうな表情でつぶやいたボルトスだが、そこで思わず目を見開いた。
その様子を冷たく見据え、ウェルザーが断言するように続ける。
「そうだ。これはルナルの……【ヘカテイア】の仕業だ。【アルテミス】のアクセスコードを持つ彼女なら、オリンポスの機密も容易く入手できる。もちろん支援捜査官の任務に関する情報もな……」
「バカな! ウェルザー……お前はルナルが支援捜査官たちを殺したと言いたいのか?」
ボルトスの叫びが、室内に反響する。
あり得ない――いや、あってはならない事実に、男たちの動揺が加速する。
「そう考えるのが妥当だと言っている。ゆえに私の独断で【アルテミス】のアクセスコードは封鎖させてもらった。対応が遅れたことは否めないがな……」
「ウェルザー。なにを勝手なことを……」
「勝手なのはどっちだ! ライザス、お前は個人的な感傷で組織を滅ぼすつもりか!? 私が言えた義理ではないかもしれんが、取り返しのつかない過ちを犯してからでは遅いのだぞ!!」
それまで黙っていたライザスが咎めるように言うと、ウェルザーは声を荒げた。
そこには対応が後手に回っていることへの焦燥と、態度をはっきりさせない司令官への苛立ちとが感じられた。
「かつての仲間を疑いたくない気持ちはわかる。だが、我々は現実を見据えるべきではないのか?【エリス】や【ヘカテイア】……彼女らに対するオリンポスの姿勢を早く明確にせねば、同じような悲劇は起き続けるぞ?」
気を落ち着かせるように息を整えた彼は、静かに警告する。
そしてそれ以上語ることはないとばかりに、踵を返した。
立ち去っていく黒髪の男を見つめながら、残された二人の男たちはただ無言で拳を握り締めるのみだった。
司令室を立ち去ったウェルザーは、そのまま自室へと足を向けていた。
プライベートルームの前にたたずむ少女が、近づいてきた彼に目を向ける。
銀の長髪が印象的な特務執行官【ペルセポネ】こと、フィアネスである。
「ウェルザー様、どうされましたの? 急にお呼びになるなんて……」
いつもの密会の時と違い、彼女は緊張した面持ちであった。
それは想い人の様子が、どこか張り詰めているように見えたからであろう。
それを裏付けるかのように、ウェルザーは低い声音で言い放つ。
「フィアネス……ひとつ頼みがある。引き受けてもらえるか?」
「ウェルザー様の頼みでしたら、それはもちろんですわ。どのような用件なのでしょう?」
「うむ……実は……」
少女の瞳を見据え、彼はゆっくりと言葉を紡いでいく。
やがてすべてを聞き終えたフィアネスは、その顔に訝しさと驚きとを浮かべるのだった。
それから数時間ほどのち、パンドラの中枢であるセントラルエリアにて異変が起こった。
天井を貫く円柱を囲み浮遊している三つの球状クリスタル体――幾何学模様の刻まれたその表面を駆け抜ける青い光が、ひとつだけ赤い光に変わっている。
そしてその赤いクリスタルの傍に浮かび上がるのは、黒髪の女性――電脳人格【クロト】である。
『うぅ……』
本来、愁いを帯びたその表情は苦悶に歪み、その姿があちこち崩れてきている。
不穏な赤の輝きの中で、室内にけたたましいアラートの音が響き渡った。
『このままでは……いけない。このまま【ラケシス】にコントロールが移行したら……あの子も……!』
まるで磔にされたように宙で全身を硬直させながら、【クロト】は呻く。
そんな彼女の眼下に姿を見せたのは、特務執行官【ヘスティア】こと、エルシオーネだ。
「これは? なにが起こったの!?」
いつになく動揺した様子の彼女に、無機質な機械音声が答える。
『【モイライ】のシステムコントロールに異常発生。ナンバー・ワン【クロト】が暴走しています。エネルギーレベル上昇による熱量増加が危険域に到達。システム保護のための緊急停止プログラムが作動しました。あと二十八秒で【クロト】の機能は完全に停止します』
「【クロト】!! どうしたの!? 返事をして!!」
『エ……エルシオーネ……母様……』
その音声を無視するかのように、エルシオーネは中空の【クロト】に語り掛ける。
それに対し【クロト】は、声量と声音を歪に変化させながら、途切れ途切れに言葉を放つ。
『ご……ごめ、ん、なさい。今は……私、を……この、ま、ま、シス、テムから……切り、離して、下さ、い……』
「いったい、なにがあったの!?」
『……わた、し、は……しん、しょく……され、て……』
「侵食ですって!?」
『キヲ……ツケ、テ……ルナ、ル……』
驚きに目を見開くエルシオーネを一瞥すると【クロト】の姿はかき消えてしまう。
次いで彼女の本体である巨大クリスタルが赤い光を消し、石のように色を失った。
『ナンバー・ワン【クロト】機能停止……システムコントロールがナンバー・ツー【ラケシス】に移行します』
機械音声が現状を告げる中、中空に姿を現したのは黒髪の少女――【ラケシス】である。
普段はお気楽な彼女も、今回ばかりはさすがに激しい動揺を顔に宿していた。
『ちょ……なになに!? なんなの!? なんで急にあたしに……!? 母様、いったい姉貴になにがあったの!?』
彼女は母とも呼べる女性に問い掛けるが、それに対してエルシオーネが返答することはない。
呆然とした表情のまま、エルシオーネは先ほどの【クロト】の言葉を頭の中で反芻していた。
(【クロト】が侵食されるなんて……! いったい、いつの間に? それにルナルですって……!?)
それがなにを意味するのかもはっきりしないまま、静寂だけが広大な空間に戻ろうとしていた。




