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APOLLON -灼熱の特務執行官-  作者: 双首蒼竜
FILE7 昏き過去と現実と
154/305

(9)愛という名の憎悪


 鮮血の赤が、澱んだ空に舞った。

 吹き荒ぶ風がその飛沫を霧のように、辺りに飛び散らせる。

 振り下ろされた漆黒の刃を見つめ、アーシェリーはその目を大きく見開いていた。

 自らを裂こうとした大鎌は、しかしながら彼女の身体には到達していない。

 なぜなら目の前に現れた男が、肩口でそれを受け止めていたからである。


「ルナル……もうよせ!! どうしてこんなことをする……!!」


 その青年――ソルドは突き刺さった大鎌を抑えつつ、苦悶の表情を浮かべる。

 身体と心の双方を苛む痛みが、その声を大きく震わせていた。


「どうして……? それをあなたが聞くの? 兄様……いえ、ソルド=レイフォース!!」


 わずかな驚きを見せたルナル――【ヘカテイア】は、その声に怒りを滲ませる。

 大鎌が、ソルドの肩口に深く食い込んだ。


「私の気持ちを弄んだくせに、よくそんなことが言えるわね!! 兄だなどと噓をついて!!」

「ぐっ! な……!?」


 続けて放たれた言葉に、ソルドは思わず言葉を失う。

 そんな彼を冷ややかに見つめ、【ヘカテイア】は告げる。


「知らなかったと思った? 私とあなたの間に血の繋がりがなかったことを……! だとしたら、とんだ間抜けだわ!!」

「うあああっ!!」

「ソルド!!」


 叫ぶような声に続き、大鎌が更に食い込む。

 噴き上がった鮮血にソルドが呻き、アーシェリーが叫ぶ。


「あなたとマリスの話……私は聞いてしまったのよ……」


 そこで【ヘカテイア】は、語り始める。

 ルナルとして生きた生前の記憶の一部を――。





 それは先刻、ソルドがアーシェリーに語った話の続きだった。

 ひどく荒れた夜、目を覚ましたルナルはどことない胸騒ぎを感じ、廊下へ歩み出た。

 彼女の目には、少し先の部屋から漏れ出る光が映っていた。

 そして、その奥から言い争うような声が聞こえていた。


「私は……ルナルを信じる!!」


 いつになく激しいソルドの声に、ルナルは息を呑んでいた。

 気付かれないようにそっと廊下を歩みながら、彼女は部屋の中の声に耳を傾ける。

 そして次の瞬間、ルナルは驚愕の真実を聞くことになった。


「たとえ血の繋がりはなくとも、ルナルは私の妹だ!」

(え……?)

「そして、普通の人間でなかったとしても、あいつは私たちと共に生きてきた! 得体の知れない声になど負けずにな!!」

(どういう……こと……? 私が……普通の人間じゃ……ない……?)


 心が荒波のように揺れるのがわかった。

 目の前が暗くなり、鼓動が激しくなる。

 壁に背を預け、その手を握り締めながらルナルは、襲ってきた動揺に耐えていた。

 部屋に踏み込んで詳しい話を聞こうと思いつつも、身体が震えて動くことができなかった。


「ルナルは苦しみに耐え、人として生きてきたんだ! 子供たちだって、あいつを慕っている! そのことは、あなただってわかっているだろう! マリス!!」

「ソルド……」

「私はルナルを傍で守る。これまでも、これからも……! あいつを悪魔にしないために!!」


 動悸が治まると同時に、ルナルはその場を離れていた。

 心をかき乱した衝撃は、簡単には消えはしなかった。

 しかし、それを上回る熱い感情が、彼女の中に沸き立っていた。

 薄暗闇の中、静かに降り注いだ青い光が、濡れた頬を照らしていた――。





「初めて聞いた時は、ショックだったわ……」


【ヘカテイア】は、その声にわずかな悲しみを乗せてつぶやいた。

 彼女の雰囲気は、それまでの冷たいものから一転して変わっていた。

 姿こそ異なれど、それは紛れもないルナルの言葉だと、ソルドにはわかった。


「でも……あなたの言葉が、私を支えてくれた」


 銀の瞳が、柔らかな光を取り戻していた。

 血にまみれた現実の中、この一時だけ時が巻き戻ったかのようにも思えた。


「私がどんな出自でも……本当の兄妹でなくとも良かった。あなたと一緒にいられる。それだけで……私にとっては、それだけで良かったの」


 人として生きてきた記憶――得体の知れない苦しみこそ抱えていたものの、それ以上に幸せな気持ちがルナルの心の中にはあった。

 傍に寄りそう一人の青年の存在が、文字通り彼女にとっての光だった。


「特務執行官として生まれ変わろうとした時……私は苦しんだわ。それはコスモスティアが私の闇を拒絶していたから……」


 災厄の中、突然訪れた死――悪魔の声に呑み込まれかけた心の中で、彼女は必死に手を伸ばしていた。

 うっすらと聞こえてきていた声に応じ、再び蘇りたいと彼女は望んでいた。

 しかし、ルナルに秩序の戦士としての資格があっても、それを阻む闇が彼女の復活を妨げていたのである。


「けれど、あなたへの想いだけで、私は特務執行官になることができたわ! この想いの強さだけは、コスモスティアも認めてくれた!!」


 それでもルナルは、信じて手を伸ばし続けた。

 内に秘めた青年への強い想い――それはやがて一筋の光となって、暗き闇を貫いた。

 その向こうに見えた青い輝きの中、ルナルは特務執行官【アルテミス】としての生を得ることができたのだ。


「それなのに、なぜ……? なぜ、あなたは私を裏切ったの……?」


 しかしそこで、温かき追憶の時は終わりを告げる。

 再び冷たく変わった現実の空気の中で、ソルドは呪うように放たれた言葉を聞く。

 動揺が、その金の瞳に浮かんだ。


「ルナル……! 私は裏切ってなど……!」

「なぜ、そこの薄汚い女なんかに心を奪われたのかって言ってるのよ!!!」


 ルナル――【ヘカテイア】は、彼の弁解を遮って叫んだ。

 どす黒く放たれた波動の中で、肩に食い込んだ大鎌が再び沈みこんでゆく。

 鮮血が間欠泉のように噴き上がり、ソルドは苦痛の叫びを上げる。


「ぐああああぁぁあああっっ!!」

「私は許さない。裏切り者……兄様……ソルド=レイフォース!! あなたを殺し、誰の手にも届かないところへ連れていく! そしてそこの薄汚い女も、なにもかもみんな【ヘカテイア】の名の下に殺してやるわ!!」


【ヘカテイア】の声は、いつしか狂気に満ちたものとなっていた。

 言っていることが、支離滅裂気味なことにも気付かないのだろう。

 それはまさに、歪んだ愛のもたらした憎悪だった。


「や、やめ、ろ……ルナル……ッ!」


 ソルドは訴えかけるように叫ぶも、その声は弱々しいものだった。

 すでに大鎌の刃は、無限稼働炉のエネルギーフィールドを侵食している。あと数センチ食い込めば、文字通り彼の生命に関わってくるだろう。

【ヘカテイア】の持つ圧倒的な力はソルドのそれを凌駕している。もはや防ぐ手立てはないと思われたその時であった。

 彼女の背後から現れた手が、大鎌の柄を掴んで止めていた。


「待ちなさい。【ヘカテイア】……」


 そこに現れたのは、漆黒の髪と緋色の瞳を持つ女だった。

 ソルドたちが目にしたメモリーデータに出てきた女――アレクシアの再生体である【エリス】である。

 同じ力を持つ女の出現に、【ヘカテイア】は訝しげな視線を向ける。


「なぜ、止めるのよ。【エリス】……」

「気持ちはわかるけど、今はその時じゃない。あの方の意思に背くことになる。あなたもわかっているでしょう?」


 そこで【エリス】は、色合いに似合わぬ冷たい視線を、呆然としている緑の髪の女に向ける。


「それに、そこのアーシェリーは私の獲物なの。譲るわけにはいかないわね……」

「……まぁいいわ。確かに今日は、こんなつもりじゃなかった。つまらない過去を壊しに来ただけだから……」


 その言葉に嘆息した【ヘカテイア】は、手にした大鎌を消し去る。

 多量の血を流して膝をついたソルドを、冷たい銀の瞳が見下ろしていた。


「特務執行官【アポロン】……ソルド=レイフォース」


 同じように冷たさを取り戻した声で、彼女は告げる。


「私はもうあなたを、兄様などと呼ばない。くだらない過去は今日で消え去ったのだから……」


 それは、決別の宣言であった。

 思い出を蘇らせる日に、思い出の地を破壊した【ヘカテイア】は、生前のすべてを消し去ったのだ。

 ただひとつ、歪んだ想いだけを残して――。


「私は必ずあなたを殺す。そして今度こそ、私だけのものにしてみせる。その時を楽しみにしているわね……」


 踵を返す一瞬に歪な笑みを浮かべ、【ヘカテイア】は立ち去っていく。

 冷たい風が、その長い黒髪を大きくなびかせていた。


「ア、アレクシア……」

「助かったなどと、勘違いしないことね。アーシェリー……お前は必ず私が殺すわ」


 同じように【エリス】もまた、アーシェリーに告げていた。

 黒きふたつの影が立ち去り、その姿が渦のような闇に呑まれて消えると、場には再び柔らかな日差しと優しい風が戻ってくる。

 ただ、ソルドたちの心に穏やかさが戻ってくることはなかった。


「ソルド……だいじょうぶですか……?」

「あ、ああ……君も、だいじょうぶか……」


 互いに血にまみれながら、二人は向かい合う。

 彼らの周りの風景は、無残なものになり果てていた。

 墓碑は粉々に散乱し、木々や草花は死んだようにしおれているか、もしくは消え失せて荒れた土を覗かせていた。


「わ、私は平気です……でも……」


 その中でアーシェリーは己が身を抱き締めつつ、震える声でつぶやいた。

 彼女の瞳には大粒の涙が浮かび、それがとめどもなく流れて頬を伝っていた。


「私は……やはり罪深い女なんですね。アレクシアに続いて、ルナルまであんなことに……!」

「シェリー……!」


 ソルドは、思わず息を呑んでいた。

 それはこれまで彼が目にしたことのないほどの、強い悲しみと苦悩とに苛まれたアーシェリーの姿だった。

 やがて彼女は青年から目を逸らしながら、ぽつりと一言を漏らす。


「私は……私は、あなたを好きになってはいけなかった……」

「違う! それは違う! シェリー!!」


 その言葉を聞いたソルドは、反射的に叫んでいた。

 拒絶するかのような態度の恋人を強引に抱き締め、青年は強く訴えかける。


「……私の罪なんだ。あいつの本当の思いに気付かなかった私の……!」

「ソルド……」

「シェリー……だから苦しまないでくれ。君は悪くない……悪くないんだ」


 そう繰り返して言葉にするソルドの瞳からも涙が溢れ、光を反射して流れ落ちていた――。


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