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APOLLON -灼熱の特務執行官-  作者: 双首蒼竜
FILE7 昏き過去と現実と
153/304

(8)暗き月の女神


 その気配に、二人は同時に気付いていた。

 足音の聞こえてくる方向に、目を向ける。

 丘の下からゆっくりと姿を見せた人影は、風の音に乗せて穏やかな声を放つ。


「……風が気持ち良いわね」


 ソルドも、そしてアーシェリーも、しばし言葉を発することができなかった。

 彼らの目の前に現れた女性――それは二人が良く知っている人物のはずだった。

 しかし、それはどこか遠い夢の中の出来事にも思えた。


「懐かしい風……いつ来てもホッとするわね……」


 草を踏み締め、更に近付いてきたその人物は、青い髪を風になびかせていた。

 その瞳に浮かぶのは金属質な銀の輝きだが、不思議と冷たさは感じなかった。


「ルナル……? ルナル、なのか……?」


 ややあって、絞り出すようにソルドは言った。

 さらわれ、行方知れずになっていたはずの妹は、以前の良く知る姿でその場にたたずんでいた。


「そうよ。元気そうね。兄様……」

「ルナル……良かった!!」


 柔らかな笑顔を浮かべ、ルナルは言った。

 それが現実だとはっきり認識できたところで、ソルドは顔をほころばせる。

 彼女の下へ駆け寄ろうと彼は一歩を踏み出すも、次の瞬間、その腕を掴んで引き留める者がいた。


「……なにをする? シェリー?」


 その人物――アーシェリーを見つめ、ソルドは訝しげな声を上げる。

 先ほどまで優しさを湛えていた翡翠色の瞳が、どこか鋭い輝きをもって青年を見つめ返していたからだ。


「待って下さい。ソルド……そこにいるのは、ルナルではありません」

「なんだって?」

「わかりませんか? 目の前の彼女から……コスモスティアの反応が感じられないのを」


 現実を認識しつつも、アーシェリーはすんなりとそれを受け入れることをしなかった。

 ソルド自身が信じたいという気持ちは理解できたものの、ルナルがこの場に無傷で現れることはあり得ないと思ったからだ。

 その疑念は、目の前のルナルが自分たちと同じ力を発していなかったことで、容易く確信へと変わっていた。

 そんな彼女の言葉にただならぬものを感じ取り、ソルドもまたスキャニングモードを起動する。


(なんだ!? これ……は……?)


 刹那、彼の表情は強張った。

 ルナルの心臓部に存在するはずの無限稼働炉――コスモスティアを内蔵した特務執行官の生命源はそこになく、代わりに深く暗い異質なエネルギーが渦を巻いている。

 なにもかも吸い込んでしまいそうな黒き深淵が、ソルドの超感覚に強く焼き付いていた。


「……余計なことをするわね。アーシェリー……やっぱりあなたは邪魔な女だわ」


 ややあって、ため息をついた女性――ルナルはわずかに口調を変じて言い放つ。

 先ほどまでの穏やかさは消え、その声には冷たさとわずかばかりのいまいましさが覗いていた。


「兄様も兄様ね。そんな薄汚い泥棒猫の言いなりになるなんて……」

「ルナル、お前なんてことを……! いや、やはりお前はルナルではない、のか……?」


 侮蔑のような言葉にソルドは一瞬咎める視線を向けたが、すぐにその表情が訝しさを増した。

 少なくとも彼の知るルナルは、そんなことを言ったりしないはずだった。


「ひどいわね……私はルナルよ。あなたたちの知っているルナルだわ……」


 ただ、その言葉に対して、目の前のルナルは憤ったように言う。

 銀の瞳が歪んだように細められ、その奥に殺意にも似た光が浮かぶ。


「もっとも……特務執行官【アルテミス】であるルナル=レイフォースは死んだけどね」

「な……!?」


 そして告げられた衝撃的な言葉に、ソルドたちは目を見開く。

 ルナルの全身から、異質な力が放たれる。

 それは穏やかであった気候を変え、辺りを冷たい空気に包み込んでいく。

 空は掻き曇り、突風のように風圧を増した風が周囲の草花を激しく揺らし、舞い散らせた。


「な、なんだ? あの姿は……?」


 二人はそこで、目の前のルナルの変貌を見る。

 澄んだ空を思わせる青色の髪は漆黒に染まり、その身に纏う服も漆黒に変わっていく。

 瞳の輝きは鋭さに加え、より冷たさを増したように歪に輝く。

 闇の中に銀の輝きが浮かび上がったようなその姿は、彼らの敵である【テイアー】をどことなく連想させた。


「あ、あれはアレクシア……【エリス】と同じ……?」


 そしてその雰囲気に、ソルドたちは覚えがあった。

 それは先刻、パンドラで見たシュメイスのメモリーデータ――その中に出てきた【エリス】と同質のものであった。

 やがて変貌を遂げたルナルは、機械を思わせる抑揚のない声で言い放つ。


「我は新月……静寂の使者。深闇より来たりて、あまねくすべてに死と破壊の安息をもたらす者……」


 吹き荒れる黒い波動が、周囲に更なる風を巻き起こす。

 その中で、ルナルは漆黒で塗り固められたような巨大な武器を出現させた。

 彼女の手に握られたのは、長い柄を持った大鎌――物語や伝承の死神が持つ生命を刈り取る刃だった。


「我が名は、虚無の殺戮者……【ヘカテイア】」

「な……?」


 締めの言葉が放たれた次の瞬間、驚愕の声を上げたソルドたちに向けて、振るわれた大鎌から暗黒の波動が放たれた。

 ソルドたちはとっさに跳んで攻撃から逃れるものの、軌道上にあったマリスの墓標は下の地面もろとも呑まれるように、跡形もなく消滅する。

 その様子を冷めた目で見つめつつ、ルナルこと【ヘカテイア】はつぶやいた。


「さようなら。マリス……反吐が出るほどの偽善者」


 次いで彼女は、大鎌を縦横無尽に振るう。

 それは一見無秩序な動きに見えたものの、実際は高度に計算されたものだった。

 連続して放たれた衝撃波が、丘に存在する大小様々な墓碑を狙い過たず打ち砕いていく。

 その様子をソルドは愕然とした面持ちで見つめていたが、やがて我に返ったように叫ぶ。


「ルナルッッ!! お前、自分がなにをしているかわかっているのか!!」

「なにって……くだらない過去の遺物を全部破壊しただけよ。それに問題でもあるのかしら?」


 ただ、それに対する【ヘカテイア】の反応は淡白なものだった。

 そこにはなんの感情も存在せず、まるで歩くのに邪魔だったから小石を蹴飛ばした程度にしか思っていない様子だ。

 ぞっとする感覚を抑えつつ、ソルドは彼女を取り押さえるべく飛び掛かる。


「フフ……兄様、どこを見ているのかしら? 私はここよ……」


 しかし次の瞬間、【ヘカテイア】の姿は、彼の目の前から消え失せていた。

 すかさず辺りを見回そうとした青年の胸に、背後から現れた黒き大鎌の先端が食い込む。

 溢れた鮮血が、草むらへと滴り落ちた。


「ぐ、あっ……!」

「このまま無限稼働炉を貫いたら、簡単に殺せてしまうわね。どうする? 兄様?」


 刃を押し留め、苦痛の呻きを上げるソルドに、ルナルの姿を持つ【ヘカテイア】が語り掛ける。

 その声は、どこか面白がっているようにも聞こえた。


「ソルドッッ!!」


 それを見ていたアーシェリーが、ソルドを救うべく迫りくる。

【ヘカテイア】は、そんな彼女に鋭い憎悪の視線を向けた。


「邪魔を……するなっ!!」


 強烈な波動が、周囲に放たれる。

 その圧力に動きを止められたアーシェリーに、続けて衝撃波が飛んだ。


「きゃあああぁあああああぁぁぁっっ!!」

「シェリー!!」


 ソルドの叫びが響く中、大きく吹き飛ばされて草むらを転がった彼女は、よろめきつつ立ち上がる。

 刹那、その目の前に黒き女が降り立った。

 まるで瞬間移動のようなスピードで現れた【ヘカテイア】は、驚愕するアーシェリーに更なる怒りの声を叩き付けた。


「兄様を奪った薄汚い泥棒猫め!! なら、お前から始末してあげるわ!!」


 そして手にした大鎌を、高速で振るう。

 とっさに跳び退るアーシェリーだが、放たれたエネルギーが悪魔の爪のように、彼女の身体を引き裂く。


「ああああああああぁあぁぁぁぁっっ!!」


 衣服が散り散りに吹き飛び、全身に血を滲ませて転がり伏した彼女に、【ヘカテイア】は歩み寄った。


「本当に、いやらしい身体……これで兄様をたぶらかしたってわけね」


 全裸となったアーシェリーを見つめ、黒き女はその身体を背後から抱き起こす。

 強く身を寄せて吐息を吹きかけながら、その豊かな胸を揉み、敏感なところを刺激する。

 傷の痛みの中で、ぞっとするような甘美な感覚が押し寄せ、思わずアーシェリーは頬を染めた。


「や……やめて下さい……! なに、を……!」

「隠さなくてもいいのよ。あなた、兄様と寝たんだものね?」

「な……!」


 耳元で囁くように告げられた言葉に、彼女は動揺を隠せない。

 ただ、それに対する弁解を待つこともなく、【ヘカテイア】は断言するように続けた。


「獣のように淫らな女……それでよく【アテナ】を名乗れたものだわ!!」


 その銀の瞳は、果てしない憎悪の輝きを宿しているように見えた。

 アーシェリーを突き飛ばし、死神の大鎌を再び手にした彼女は大きくそれを振りかぶる。


「八つ裂きにしても飽き足らない!! 四肢を刻んでバラバラにしてあげる!!」


 そして咆哮と共に下ろされた暗黒の刃が、見開かれた翡翠の瞳に映り込んだ――。


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