(6)兄妹の過去
夕暮れの赤い光を背に、女は歩いてきた。
前時代的とも言えるフード付きのマントを羽織い、その手に無骨なライフルを握っている。
見る者に怖れを抱かせるような雰囲気を纏い、瞳に強い光を宿した女――しかし、そんな彼女に駆け寄る影がある。
それは女と対照的に、無邪気な光を瞳に宿した茶髪の少年だった。
「まりすー!」
「よぉ、ソルド……元気にしてたか?」
身を屈めた女――若き日のマリスは、フードの下から白い歯を覗かせた。
そんな彼女に対し、少年――ソルドは満面の笑顔を浮かべてみせる。
「うん。げんきだよ! まりすは……つかれてる?」
「ははっ……そんなわけないだろ! ソルドの顔を見たら、元気がみなぎってきたさ!」
「よかった!」
フードの下、少しやつれたように見えた女も、すぐに少年の知る笑顔を浮かべる。
やや無理して作った顔にソルドは気付くこともなく、その目が女の抱えているものに向いた。
利き手ではない腕の中で、白い布にくるまれた赤子がわずかに身じろぎをした。
「まりす……そのこは?」
不思議そうに問い掛けるソルドに、マリスは答える。
「あぁ、この子か……この子は、これから一緒に暮らすんだ。ソルド、お前にとって妹になる子だな!」
「いもう、と……?」
「そうだ。お前はこれから、この子のお兄ちゃんだ!」
そしてライフルを置いた彼女は、赤子を両手で抱き直しソルドに向ける。
改めて顔を合わせた二人の子供は、互いをつぶらな瞳で見つめた。
その赤子こそ、のちにソルドの妹となるルナルであった――。
「そんなことが……でも、マリスさんはいったいどこから、ルナルを連れてきたのですか?」
「そこは少し順を追って話そう」
話を聞いたアーシェリーは、すぐに新たな疑問をソルドに向ける。
それに対し青年は、わずか視線を上げながら続けた。
「ルナルを連れてきた当時、マリスは傭兵もしていた。政府軍に雇われ、反政府組織との戦いに身を投じていたんだ」
「なぜ、そんなことを?」
「当時の孤児院は資金難でな。稼いできた報酬を運営費に回したと言っていたよ。孤児を養うために、孤児を生み出すかもしれない戦いに身を投じるなんて矛盾してたって、あとあと本人もぼやいていたが……」
どこか懐かしげな様子で、ソルドは語る。
望まぬ戦いに矛盾を抱えながら臨み続ける様はある意味、特務執行官に似ているとも言えた。
「もっとも、きれいごとだけで回らないのが世の中だ。私はマリスを非難するつもりはないし、それもあって孤児院は無事に存続することができた」
改めてマリスの墓に目を戻しながら、彼は先の話の記憶を蘇らせる。
「ルナルを連れてきたのは、そんな彼女がひとつの戦いから戻った直後だった。当時、歳の近い子供は私しかいなかったこともあり……彼女は私に、この子の兄になれって言ったんだ」
資金難だった影響か他の要因があったかはさておき、当時は子供たちの数も相当少なかった。
ソルド自身も同年代の子供と遊んだ記憶はなく、歳の離れた上の子たちがいたのみだ。
「私はそれを了承した。自分より下の子が来たことが素直に嬉しかったからな」
それゆえ、ソルドはルナルをとても気に入っていた。
その一挙手一投足が彼にとっては新鮮であり、興味の対象であったとも言える。
「ただ……ルナルは、まるで人形のような子供だった。感情を表に出さないというよりは、感情の表し方を知らないといった様子で……泣くこともなければ、なにをしても無表情だった」
もっとも、ルナルが他の子と明らかに違うと気付くのに、そう時間はかからなかった。
ハイハイから二本足で立つようになり、歩くことができるようになっても、彼女の情動に大きな変化はまったく見られなかったのである。
そして、ルナルの行動が異常だと思え始めたのは、彼女が三歳くらいになってからのことだった。
「それだけじゃない。あいつは初め、虫や動物など目に付く生き物を容赦なく殺していた」
「え……?」
忌まわしさを隠せないように、どこかぞっとする声音でソルドは言った。
それに対し、思わずアーシェリーも息を呑む。
「私は何度も言った。そんなことをしてはダメだと……そのたびにあいつは言った。みんな抹殺しなければならないと……」
「ど、どういうことですか?」
「それについてはあとで触れるが……子供の頃は、私もそれを理解することができなかった」
どこか闇を感じさせる言葉は、子供でなくとも理解できなかっただろうと、アーシェリーは思った。
今の自分がその場にいたとしても、驚愕したことは間違いない。
「ただ、マリスは時間のある時、私と一緒にあいつを何度も注意し、共に遊んでくれたりもした。ルナルを相当気にかけていたことは、子供心にもわかったよ」
目を閉じて、ソルドは静かに語る。
そんな彼の脳裏には、辛抱強くルナルに語り掛けたり笑いかけたりするマリスの姿が浮かび上がっていた。
「その甲斐もあってか……徐々にルナルは喜怒哀楽といった感情を出せるようになっていった。反対に例の残虐性は鳴りを潜めていった……」
二人の努力は、少女の心を徐々に変えていった。
五歳を越える頃には、ルナルは一般的な子供と同じような感情を表せるようになっていたと、ソルドは続けた。
「それでも時折、あいつは苦しそうに言った。抹殺せよ、抹殺せよと、頭の中で誰かの声が響くんだと……」
ただ、ルナルが抱えていた苦しみが消え失せたわけではなかった。
芽生えた心に反発するかのように、闇の心と呼ぶべきそれは彼女の中に巣くい続けていた。
「十八歳の時、私はついにマリスに問い質した。ルナルはいったい何者なのかと……なぜ、謎の声に苦しめられているのかとな」
「それで……マリスさんは、なんて言ったんです?」
聞いてはいけないことを聞くかのように、アーシェリーは問い掛ける。
ソルドはわずかにかぶりを振りつつ、言葉を続けた。
「わからないというのが、マリスの答えだった。ただ……」
「ただ?」
「ルナルは、培養カプセルの中にいた子供だったそうだ。まるで実験動物のようにな……恐らくはそれが関係しているんじゃないかとも言った」
「そ、そんな!?」
唐突なその内容に、改めてアーシェリーが驚愕する。
無理もないことだろうと思いつつ、ソルドは彼女のほうを見やった。
「そしてマリスは、ルナルを見つけた時のことを語ってくれた。それは政府の作戦で、とある研究所を襲撃した時の話だった。その研究所は反政府組織と繋がりのある企業のものだったらしく、非合法な生体実験などが繰り返されていた……」
実際に見たわけでないものの、特務執行官としての経験から推測できる血生臭さを想起しつつ青年は語る。
「戦いの中でそういった実験の産物は軒並み処分されたんだが、唯一残ったのがルナルだったそうだ。政府軍の部隊はあいつも殺そうとしたが、それをマリスが庇った」
アーシェリーは、それを黙って聞いている。
生前の彼女なら、恐らくは想像もできなかったことに違いない。
しかし、悲しいことに特務執行官として生きてきた経験は、その様子を簡単に彼女の心にも浮かび上がらせることができた。
「マリスが軍の信用厚い傭兵だったこともあり、なんとかルナルは殺されずに済んだ。そして自分の勤める孤児院で面倒を見るということで引き取ってきたらしい」
「それは……幸いだったというべきですよね……?」
「ああ……もっとも、政府軍としても条件はあったようだ。もしルナルが人々に害を成す存在だったなら、容赦なく殺せとな……」
まるでその政府軍の人間のように、ソルドは冷たく言い放つ。
アーシェリーは、そんな彼の姿がどことなく怖く感じられた。
「そして……そのあと、マリスは言った」
降り注ぐ日差しの下、影となった青年の顔には憤りにも見える厳しい表情が浮かんでいた。




