(5)隠されていた真実
ソルドを追ってパンドラを飛び出したアーシェリーは、草花の茂る大地に降り立っていた。
(ソルド……)
辺りの穏やかさと裏腹に、彼女の心はひどく騒めいている。
それは初めてとも言える感情であった。
不安、焦燥――そのような括りでまとめられるものではあったが、単純にそれだけでもない。
胸が搔きむしられるような切なさを伴い、落ち着こうと思っても落ち着けない。
以前はこのような気持ちになることはなかった。なぜならそれはソルドと強く心を交わしたがゆえの苦悩だったからだ。
(私は……まだ、あなたの力にはなれないのでしょうか……?)
ルナルがさらわれたことで今、最も動揺しているのはソルドのはずだ。
どんな些細なことであっても構わないから、自分に苦しみを打ち明けて欲しいと思っていた。
しかし彼は、なにも告げることなくパンドラを出た。理由があったとしても、その事実がアーシェリーにはたまらなく寂しく思えたのだ。
草花を踏み締め、彼女は目の前にある廃墟に向かう。
やがて入口に着いた時、アーシェリーは巡礼者のようにたたずむ赤髪の青年の姿を見つけた。
「ソルド……」
「……シェリーか? どうしてここへ?」
「その……あなたが一人で出たって聞いたので……」
目をわずか見開きながら訊き返してきたソルドに、彼女は訥々と言う。
「シュメイスも……あなたが思い詰めたような顔をしていたと言ったので……」
「そうか。それで心配になって来てくれたのか……」
どことなく非難めいたようにも聞こえたその言葉にソルドはやや目を伏せると、アーシェリーに歩み寄る。
そして彼女の肩に手を乗せると、そのままその身体を引き寄せた。
「すまなかった。シェリー……考えてみれば、今の君に黙って来るべきではなかったな」
「い、いえ……それで、ソルド。ここは……?」
謝罪する青年の腕の中で頬を赤らめながら、アーシェリーは訊き返す。
力強い温もりに心の騒めきは消え、いつもの落ち着きが戻ってくる。
「ああ……ここは私とルナルが生前暮らしていた施設の跡地だ。地球で少し話したかと思うが……」
「孤児たちの面倒を見ていたって話……ですか?」
「そうだ。私は幼い頃に両親を事故で失い、身寄りもなかったため、ここにあった孤児院に引き取られた」
やがてソルドは彼女を離すと、再び中空を見上げる。
「それから成人するまで……いや、したあともずっとここで暮らしていた。もう十年以上前……特務執行官となり、君と出会う少し前の話だな」
「そうだったんですか。でも、ソルド……今、私はって言いましたけど、私たちではないのですか?」
「鋭いな。シェリー……そうだ。私たちではない」
その話を聞く中、ふと気になった言い回しに気付いたアーシェリーはやや首を傾げる。
それに対し、ソルドは否定することもなく続けた。
「これはオリンポスのみんな……いや、それどころかルナルですら知らない事実だ。君に話すのが初とも言える」
「え? それは……まさか……」
なにかに気付いたかのように目を見開いたアーシェリーと対照的に、彼は瞑目する。
そして次に出てきた言葉は想定通りであり、同時に意外なものでもあった。
「私とルナルは……実の兄妹ではないのだ」
同じ頃、パンドラの司令室では二人の男が顔を突き合わせていた。
「そうか。アーシェリーがな……」
ボルトスから話を聞いたライザスは小さく息をついただけで、特に咎める気もないようだった。
むしろ元から黙認するつもりだったようにも見える。
「ソルドもソルドだが、あいつもあいつで不器用な奴だ。まったくもって、似た者同士だな」
「そう言うな。ボルトス」
世話が焼けると言わんばかりにため息をついた同僚に対し、彼は苦笑する。
地球から帰還して以降のソルドとアーシェリーの関係に変化があったことは、ライザスも気付いていた。
二人共、特にベタベタするわけではないのだが、それとない行動の中に相手を意識したり気遣ったりする様子が見えたからだ。
「紆余曲折あった上で、二人の出した結論だ。結果としてソルドも復活することができたのだから、歓迎すべきことだろう」
「まぁ、そうなんだがな……」
人を捨てた特務執行官といえど、まったく安らぎを覚えぬままに戦い続けるのは酷というものだ。
ゆえにどのような形であれ、ライザスは彼らの正しき情動を否定するつもりはない。それはボルトスやウェルザーにしても同様だろう。
ただ、今はあまり気を緩めるべき時でもなかった。
敵に対抗する上での戦力増強もそうだが、それ以外の問題も山積みなのだ。
「ところでルナルの捜索に関してはどうするつもりだ? 先ほどの意見交換の時には触れなかったが……」
「それについては、どうにもならんというのが本音だ。さらった相手が正体不明な上、行方の手掛かりもまるでないときている……」
ボルトスの言葉にライザスはため息をつきつつ、厳しげな面持ちを見せる。
解決策を見出せない焦燥もあったが、それ以上に気になる点もあったからだ。
「ボルトス……お前はルナルがさらわれたことを、どう考えている?」
静かにそれを問い掛けると、ボルトスは瞑目した。
短く訪れた沈黙の中で、二人の間に流れる空気がその重苦しさを増す。
「……【エリス】の目的はさておき、奴がルナルを狙っていたのは間違いないだろうな。でなければ、あの場で【ハイペリオン】を無視し、拉致を優先したりはせんだろう」
「だが、なぜルナルを狙ったのだと思う?」
「それはわからん。ただ……」
「ただ?」
「ルナルは……特務執行官の中でも謎が多い。それがなにか関係しているような気はする」
ぽつりとつぶやいたその言葉には、どことない疑念が覗いていた。
改めて同僚でもある司令官を見据えながら、彼は強く拳を握り締める。
「正直なところ、嫌な予感が拭えんのだ。打つ手があるなら、早くなんとかしたいんだが……」
「確かに、な……」
それに対して頷くライザスもまた、ボルトス同様の懸念を感じていた。
「ソルドたちが、兄妹ではない……!?」
静かに放たれたその言葉に、アーシェリーは息を呑んでいた。
埃まみれの室内に、澱んだ隙間風が吹き抜ける。
ソルドは彼女の瞳を見つめながら、抑揚も少なく続けた。
「ああ。共に育ったという意味では兄妹かもしれないが、私たちに血縁関係はなかった」
「じゃ、じゃあ……ルナルは、あなたとは別に引き取られてきたってことですか?」
「いや、それも違う。少し歩こうか……シェリー」
そう一言促すと、彼は元来た入口のほうへ足を向けて歩き始める。
わずかばかりの間を置いて、アーシェリーはそのあとに続いた。
廃墟の施設を出た二人は草むらの中を、数分ほど歩く。
上り坂になるにつれ、背の高い草花はなくなり、地は少し整った様相を見せ始める。
やがて小高い丘の上に着いた二人は、そこに無数に立ち並ぶ墓碑を目にする。
「ここは……墓地、ですか?」
「ああ。あの孤児院に暮らしていた者……子供たちも含めた魂の眠る場所だ」
見回したアーシェリーに対し、ソルドはつぶやくような声で告げた。
墓碑はそのほとんどが小さなもので、墓と呼ぶには慎ましいものだ。
ただ、周囲の敷地も含め手入れは行き届いており、定期的に誰かがやってきていたことが窺える。誰が来ていたのかは、言わずもがなだろう。
その中を進んだソルドは、やがてひとつの墓碑の前で足を止める。
「この墓は……?」
「マリス=ガーランド……あの孤児院のスタッフだった女性のものだ」
アーシェリーの問いに答えてその場に跪くと、彼は祈りを捧げるような仕草をした。
その表情はどこか懐かしげであり、同時にひどく寂しげにも見えた。
「私にとっては母親のようであり、姉のようでもあった人だ。そして……ルナルを連れてきた張本人でもある」
「連れてきた……?」
「あれは……私が五歳の頃だったか……」
改めて心が騒めくのを感じながら、アーシェリーはソルドの言葉に耳を傾ける。
そして彼の口から続けられたのは、ルナルとの邂逅の記憶だった――。




