(4)思い出の地
星々の輝く虚空を駆けるひとつの流星がある。
赤い輝きを持ったそれは無機質な岩の塊ではなく、意思を持った人の姿をしていた。
真空の闇の中でも生きられる者。人にして人にあらざる存在――言わずと知れた特務執行官【アポロン】こと、ソルド=レイフォースである。
(……ルナル……)
強い視線を前に向けながらも、その表情は沈んでいた。
心の中でつぶやきながら、彼は連れ去られた妹のことを思う。
(特務執行官になってから……例の声は聞こえなくなったと言っていたが……)
セントラルエリアでの意見交換を終えたあと、彼は個人的にシュメイスから詳しい話を聞いていた。
【統括者】や【エリス】が恐るべき相手であったとはいえ、光子変換を持つルナルが逃げられもせず、容易くさらわれてしまったことが疑問だったからだ。
ただ、それに対し金髪の青年の返してきた答えは意外なものだった。
「……ルナルの様子が、おかしかった?」
「ああ。まるで二重人格みたいな感じで性格が豹変したりな……」
調査任務の最中で目にしたルナルの様子を、シュメイスは事細かに説明してくれた。
そこには彼自身も、疑念を抱いていたことが窺える。
「それに【ハイペリオン】に出会う直前の通信では、ひどく苦しんでいた様子だった。理由はわからないが、あの状態じゃ光子変換は使えなかっただろうな」
「そう、か……」
ソルドは思わず血の気が引くような思いを味わっていた。
冷や汗が背を伝い、握り締めた拳が思わず震えていた。
そんな彼の様子を目の当たりにしたシュメイスは、訝しげに眉を吊り上げる。
「なにか思い当たる節があるのか? ソルド?」
「……いや……なんでもない。ありがとう。シュメイス……」
それに対しソルドは静かに礼だけを言ったあと、追及を逃れるように踵を返すのだった。
あの時はぼかしたものの、ソルドはルナルの異変の原因にそれとなく気付いていた。
今は思い出すことも少なくなった人間の頃の記憶に、それはあった。
(……私もどこかで安堵していたのかもしれない。しかし、それが原因でお前がさらわれてしまったのなら……)
目的の地となる星を見つめながら、彼の頭には少なからぬ後悔の念が渦巻いていた。
その頃、パンドラのレストスペースでは、アーシェリーが動揺した様子を見せていた。
「ソルドが、一人で出ていった?」
「ああ……少し時間をもらえないかって、司令に申し出たらしい。司令もそれは許可したみたいだがな」
目の前に立つシュメイスが、いつもの口調で答える。
ただ、彼もどちらかといえば疑問を抱いている様子であった。
「そ、それでいったい、どこへ行ったのですか?」
「そこまでは知らない。ただ、なにか思い詰めたような顔はしていたな……」
態度こそ異なるとはいえ、二人が訝しんだのは当然である。
当面のところ、ソルドを含んだ彼らに任務の要請は来ていない。先ほど決まった制御訓練についてもプログラム作成までには、少し時間がかかるだろう。
ある程度自由な行動を許されてはいたものの、このタイミングで申請をしてまでパンドラを出る理由が二人にはわからなかった。
特に今はルナルが拉致され、危機感が高まっている状況だ。いまだに彼女の捜索もままならない中、不用意な行動は慎まねばならない。
「……ソルドのことが心配か?」
「ボルトス!?」
そんな二人の元へ姿を見せたのは、褐色肌の銀髪の男――ボルトスである。
あまりレストスペースに姿を見せたことがない男の登場に、シュメイスたちも驚きを隠せない。
わずかな緊張感が生まれる中、アーシェリーに目をやったボルトスは静かな口調で言葉を続けた。
「だったら、行ってやれ。アーシェリー……今のあいつには、お前が必要だろう」
地球から帰還して以降、ソルドと彼女の間に深い絆が生まれていたことはボルトスも気付いていた。
その言葉に手を握り締めながらも、アーシェリーはわずか顔を伏せる。
「は、はい……ですが……」
「ライザスには俺からとりなしておく。だから行け。あいつの向かった先は、恐らくアルファのX36、Y77だ」
「……わ、わかりました。ありがとうございます……」
生真面目なだけに自らの思いを押し殺しがちな彼女に対し、ボルトスは力強く告げた。
アーシェリーは少し逡巡しつつも、やがて軽く頭を下げると、踵を返して走り出していく。
「待ってくれ。ボルトス……あんた、なんでソルドの行き先を知ってるんだ?」
「理由は簡単だ。アルファの暦で今日は五月十七日……つまり……」
シュメイスの問いに対し、褐色の男はなにかを思い返すように中空に視線をさまよわせて続けた。
「今日は命日なのだ。人間だった頃のソルドとルナル……そして二人と共にあった多くの者たちのな」
吹き抜ける風が、柔らかな香りを運んでくる。
穏やかな日差しの降り注ぐ地に、緑の木々と数多の草花が生い茂る。
蜜を求めやってくる蜂や蝶が、静かな彩りの中に動きを添える。
それは人の造り上げた偽りの星と思えぬほど、生命の力強さに満ちた場所だった。
(……ここは……やはり変わっていないな)
そんな鬱蒼とした草むらに、ソルドはたたずんでいた。
彼の眼の前には、ひとつの朽ちた建物があった。
壁は色褪せ、あちこちに黒い煤が染みついている。窓はすでにガラスもなく中の様子が丸見えになっていたが、特に目に付くようなものは見られなかった。
(あれからもう十年以上の月日が流れるというのに……今も、昨日のことのように思い出せる)
ゆっくり建物に歩み寄ったソルドは、扉もなくなった入口から足を踏み入れる。
ホールのように開けた空間はところどころから日差しが差し込み、光と陰をはっきりと分けている。
崩れ落ちた天井や壁の破片が散らばる中を、彼は進んだ。
(貧しいながらも平穏だった日々……しかし、突然現れた化け物が、すべてを消し去ってしまった)
元がなんだったかわからぬほど原型を失った家具や調度の残骸を見つめ、彼は思う。
この廃墟がまだ廃墟でなかった頃のこと――温かな人の思いに包まれていた頃のことを。
(それが、今の私たちの始まりだったな……)
わずかに顔を上げたソルドは一筋の光を浴びながら、その意識を過去へと飛ばした――。
陽が赤々と黄昏の光を投げかける中、茶色の髪の青年は家への帰途に着いた。
家といっても普通の住宅やアパートといった類ではない。ブロック塀に囲まれ、比較的広い庭を持った施設だ。
建物の明かりの向こうから、子供たちの賑やかな声が聞こえてくる。
青年はわずかな微笑みを浮かべながら、大きな扉を開け、中に足を踏み入れた。
「みんな、今戻った」
「おかえり! ソルド兄ちゃん!!」
「おかえりなさ~い!!」
彼の声に答えるように、その場にいた子供たちが声を上げる。
上は十歳くらいから、下はまだ学校に通うほどでもない年頃の子供たちだ。皆が皆、青年の下へと駆け寄って抱き着いたり、その手を引っ張ったりしてくる。
元気いっぱいの彼らに青年が笑顔を浮かべつつ戯れていると、ホール奥の扉が開き、一人の女性が姿を現した。
「あ、お帰りなさい。兄様」
流れるような黒髪をなびかせた彼女は、花が咲いたような笑顔を浮かべて言う。
青年もまた彼女を見つめて、穏やかに微笑んだ。
「ただいま。ルナル」
在りし日の二人――ソルドとルナルは子供たちの喧騒に包まれながら、わずか見つめ合う。
「ちょうど良いタイミングよ。これからみんなで夕飯にするところだったの。兄様もまだ食べてないでしょ? 久々に一緒にどう?」
「ああ、そうだな。ここ最近は遅い日が続いたからな。いただこう」
「やった~! ソルド兄ちゃんも一緒だ~!」
「いこいこ~~!」
ソルドの答えに子供たちは我先にと彼を引っ張る。
その勢いに流されるように彼が食堂への扉をくぐると、そこには別の女性が椅子に腰掛けていた。
歳は中年くらいか。待っていたという様子ではなく、一人で酒瓶をぐいぐい煽っている。
やがて彼女はソルドたちに目を向けると、ニヤッと大きく口を開けて笑った。
「お。珍しく早かったな。ソルド! 今日もお勤めご苦労さん!」
どこか男めいた口調で、彼女は言う。
どちらかといえば体格も良いその女性は、少し見ただけなら男に間違えられてもおかしくなかったろう。
「ただいま。マリス……って、また飲んでるのか、あなたは。子供たちの手前、もう少しわきまえたらどうなんだ?」
そんな彼女を見やりながら、ソルドはやや厳しい口調で言う。
しかし、マリスと呼ばれた女性は特に悪びれた様子も見せず、今一度笑いながら片目をつむった。
「そう固いこと言うなって。若い内からそんなジジ臭いこと言ってると、老けるの早え~ぞぉ?」
「はえ~ぞぉ。はえ~ぞぉ」
「はえ~ぞぉ♪」
「こらこら! みんな変なところを真似するな。まったく……」
合唱するように声を上げる子供たちをたしなめながら、ソルドは苦笑気味にため息を漏らした。
賑やかな夕食を終え、人心地着いたソルドはいつものように茶をすすっていた。
子供たちが食器の片付けをしている様子を眺めつつ、ふと視線を移した彼は、壁際にもたれて頭を押さえているルナルに気付く。
「どうした? ルナル?」
「あ、ちょっとね……いつものアレ」
「だいじょうぶか?」
「平気。最近はそんなに頭痛もひどくないし……いいかげん慣れもするわよ」
心配げに問い掛けた彼に、ルナルは力のない微笑みを浮かべて答えた。
傍から見たらなんでもないという様子には見えなかったが、実のところ二人の間では何度も繰り返されたやり取りである。
やがて再び自らの足で立ったルナルはソルドに向き直り、その顔をしっかりと見据える。
「それより兄様、明後日がなんの日か知ってるわよね?」
「もちろんだ。お前の誕生日だろう」
「良かった。忘れてなくて……だから明後日は、仕事に行っちゃダメだからね」
「ああ。そこは調整をしてもらったさ。ちゃんとお前やみんなと一緒に過ごすつもりだ」
「さすがは兄様ね。ふふふ……楽しみだなぁ」
元の明るさを取り戻し、ルナルは心底嬉しそうにつぶやく。
やがて片付けを終えた一部の子供たちが、こぞって彼女を呼び立てた。
「ルナル姉ちゃ~ん、こっち来て一緒に遊ぼうよぉ!」
「はいはい。ちょっと待っててね」
その声に答えながら、彼女は確かな足取りでソルドの元を離れる。
子供たちに囲まれ笑顔を浮かべる妹を見つめていると、やがて後ろからマリスが声を掛けてきた。
「そういや、あれからもう十九年経つのか。月日の流れるのは早いもんだな。ソルド……」
「ああ……」
先ほどと違った雰囲気を見せる彼女に、ソルドもまた神妙な面持ちで答えるのだった。




