(2)生まれる疑念
レストスペースでの騒動から少しのち、ソルドたちは揃ってパンドラ最深部のセントラルエリアへと足を運んでいた。
普段の司令室では特務執行官全員が集うには手狭だからである。
秘匿記録開放以来となるその空間は、変わらず静謐な空気をもって彼らを迎えた。
その場に待っていたのはライザスたちと、イレーヌ、エルシオーネを含めた五名の特務執行官たちである。
「皆、よく来てくれた。今回は急な招集に応じてくれたことに感謝する」
全員の姿を確認したライザスは、おもむろに口を開く。
大勢の前で話をすることに慣れてはいても、さすがに特務執行官が勢揃いしたこの場では彼も緊張している様子だ。
「事前に伝えた通りだが、特務執行官【アルテミス】が正体不明の者に拉致された」
すでに知っていたこととはいえ、その言葉に改めて全員の表情が厳しくなる。
密かにソルドだけが、拳を強く握り締めた。
「【エリス】と名乗ったその者は【統括者】すら出し抜き、彼女を連れ去ったのだ。敵か味方かも定かでない」
ライザスは淡々と事実だけを語っていく。
にもかかわらず、静かな空間に圧迫されるような空気が満ちていく。
「そして【統括者】も、ついに三体目が確認された。新種の出現と合わせ、敵は大幅に力を増したことになる」
その言葉にロウガがわずかに歯噛みし、メルトメイアの表情が強張る。
【イアペトス】と名乗った敵の脅威が、二人の脳裏に蘇っていた。
「今までにないほど急激に、我々を取り巻く状況は悪化した。事ここに至り、これまでの方針を改める必要があると私は判断し、君たちの意見を聞くべく緊急招集をかけた」
そんな部下たちの変化を感じ取りつつ、ライザスは全員の顔を見渡す。
そこには司令官という立場以上に、同じ特務執行官として問題を解決したいという意思が垣間見えた。
「この中には実際に【統括者】と相まみえた者もいる。ぜひ、忌憚のない意見を聞かせてもらいたい」
「では、司令……まず、ルナルをさらった者のことを詳しく知りたいのですが……」
「うむ。それについてはシュメイスから提供されたメモリーデータを見てもらおう」
静かに問いを発したソルドに対し、彼は大きく右手を振る。
その動きに呼応するかのように中空にスクリーンが浮かび上がり、そこに映像が映し出される。
『我は憎悪……災厄の使者。深闇より出で、復讐の名の下にすべてを葬り去る者。我が名は、虚無の断罪者【エリス】』
それは出現からルナルが拉致される直前までの、【エリス】に関するメモリーデータだった。
漆黒の髪を揺らした緋色の瞳の女が、傷付いたルナルを抱えつつこちらを睨んでいる。
実際に見られているわけでもないのに、特務執行官全員がその雰囲気に呑まれた。
「こいつが、ルナルを連れ去った奴か。だが、シェリー……あの女は確かに……」
「はい……アレクシア=ステイシスです。雰囲気はまったく変わっていますが……」
ソルドに続いて、アーシェリーが即座に言葉を繋げる。
実際にアレクシアと相まみえた二人からすれば、地球で見た彼女と打って変わった様子に違和感を覚えたのは事実だ。
「でも、なんかあたしたちと同じような名乗り方してたわねぇ」
「確かにあれは、特務執行官の名乗りに似ているな。まさか、お前と似たような文言を作る奴がいるとは思わなかったが……」
「ウェルザー……誤解のないように言っておくが、あれは別に私が一人で考えたわけではない」
次いで言葉を発したサーナにウェルザーが同意しつつ、ライザスを見る。
同僚の冷ややかな視線に咳払いをしつつ、黒髪の司令官は続ける。
「元々、かつての戦士たちも同じような名乗りをしていたそうだ。私はそれを我々の言語で翻訳し、似た単語で置き換えたに過ぎない。コスモスティアの出力を高める音韻を生かしつつな……」
「そうだったのか? その割にはノリノリで作っていた記憶があるがな……」
特務執行官が戦闘時に名乗る文言は、彼が考案したものだ。
それにはコスモスティアのエネルギーを高める音韻が一部含まれており、唱えるのとそうでないのとでは能力に明確な差が表れる。
ただ、ソルドのように常に唱える者もいれば、それを好ましく思っていない者もいる。
ライザスの言葉が真実かはさておき、ウェルザーは後者の立場であった。
「今はそんなことを言っている場合ではないでしょう……」
ため息をつきつつイレーヌがたしなめると、ボルトスが頷く。
「そもそもこいつは、カオスレイダーだった奴だろう? それがなぜ【統括者】に敵対している?」
「わからん。仮に奴らの中で仲間割れがあったとしても、カオスレイダーが【統括者】に対抗できるものなのか……」
かぶりを振ったライザスに対し、一歩前に進み出た者がいた。
紫のショートボブヘアが特徴的な特務執行官【ヘスティア】こと、エルシオーネである。
「相手側の事情はさておき、ひとつはっきりしていることがあります。この【エリス】を名乗る者は、カオスレイダーではないということです」
「なに? それはどういうことだ? エルシオーネ?」
「記録の映像データだけでは詳しい解析ができませんが……ここを見て下さい」
そう言うと彼女は中空のスクリーンに手を当て、データを巻き戻す。
そこに映し出されたのは、【ハイペリオン】に【エリス】が回し蹴りを食らわせた直後の映像だ。
「この攻撃のあと、【統括者】を構成するエネルギー体が形を失っています。これは同種のエネルギーをぶつけた場合には起こり得ないことです。反するエネルギーとの対消滅ならあり得ますが……」
「反するエネルギーということは……私たちのコスモスティアと同じということですか?」
アーシェリーの問いに、しかしながらエルシオーネはかぶりを振る。
「実はそれも少し違います。対消滅だった場合、そこには爆発的なエネルギーの変換と発生が確認されるはずですが、ここではそれらしき現象が見られません。あるのは【統括者】のエネルギーだけが削り取られて消えたという事実だけです」
「では、エルシオーネは奴がなんだと言いたいのだ?」
「【エリス】はコスモスティアを持つ秩序の戦士でもなければ、カオスレイダーでもない……まったく別種の存在ということになります」
彼女の告げた言葉に、その場の全員が息を呑んだ。
秩序とも混沌とも異なる第三の力を持った存在――それだけで驚愕するには充分であった。
「別種の存在だと? なぜ、そんな奴が今になって現れる!? そもそも【レア】の情報の中には、そんなものはなかったはずだぞ?」
「うむ……だが【レア】とて知らなかったことがないとは言い切れん。過去の異星の出来事を、今の我々が確認できるわけでもないしな……」
ボルトスやウェルザーが口々に言う中、大柄な体躯を持つスキンヘッドの男が静かに手を上げた。
「恐れながら……本当に【レア】が知らなかったと、言い切れるでしょうか?」
特務執行官【ヘパイストス】こと、ランベル=アイアンフォースは、どこか疑念に満ちた表情を浮かべている。
その様子を見て取ったライザスが、眉をひそめた。
「ランベル……なにが言いたいのかね?」
「【レア】がこの者の存在を知りつつ、あえて隠している可能性もあるのでは……ということです」
「バカな……なぜ、そんなことをする必要がある?」
思わず気色ばんだ様子を見せるボルトスだが、次いで言葉を差し挟んだのはイレーヌだ。
「そうね。それは私も思ったわ」
「イレーヌ!?」
「カオスレイダーに対抗する秩序の戦士――その光を受け継ぐ特務執行官。そして【統括者】と王を倒すという使命……」
金髪の才女は、そこでライザスたちに鋭い視線を向けた。
監視領域の能力を持つ彼女であるが、それを抜きにしても放つ雰囲気には強い圧がある。
「それ自体に偽りがあるとは言わない。けど、納得のいかないことがひとつだけある。それは皆が疑問に思っているはずよ」
「なぜ、【レア】はそれほどの使命を私たちに託し、自らは姿を消してしまったのか……ということですわね」
重い空気を打ち破るように、フィアネスが言葉を繋げた。
見た目こそ小柄だが特務執行官の中ではライザスらに次ぐ経歴を持つだけに、彼女の言葉にも重みがある。
「うむ……確かにそれだけは解せんと思っていた。力を貸せとまでは言わんが……」
それに対してボルトスも反論することはせず、小さく唸るだけだ。
彼を含めた上位の特務執行官三名は【レア】に生命を救われたという過去を持つ。それゆえに彼らが【レア】に対する疑いを抱いたことはなかった。
いや、正確には疑いを抱いてはいけないと思っていたのかもしれない。
しかし、他の特務執行官たちは違う。彼らは【レア】と面識はなく、直接的な恩義も負い目も存在していない。
ゆえに、その行動の不自然さを訝しむ意識は強かったのだろう。
「これは私の勝手な推測だけど……【レア】には、なにか別の目的があるのではないかと思っているの」
「別の目的……だと?」
刹那の沈黙を打ち破るように続けられたイレーヌの言葉に、ライザスは眉をひそめる。
「それがなにかはわからない。けど、今回現れたこの【エリス】という女……見た目も名乗りも特務執行官に似ているということは、【レア】と関わりのある可能性が高い。もしかしたら、その目的に関わっていることも……」
再び訪れる沈黙が、場を重く支配する。
やがてその空気を払うかのように口を開いたのは、ウェルザーだった。
「確証もなしに話が飛躍し過ぎだな。イレーヌ……それに今は【レア】の真意を論じている場合でもない」
彼としても疑念を抱いてないわけでなかったが、元々が科学者である。
確証のない推論だけで話を進めるほど、短絡でもなかった。
「この【エリス】という女がルナルを連れ去った上、元々がアーシェリーと因縁の深い敵だったことを考えれば、味方とは考えにくいだろう。しかも【統括者】を出し抜くほどの力を持った相手だ。今の我々で対抗できるかが問題になる」
「うむ。現状では【統括者】にすら手を焼いている状況だからな……」
その言葉に、ライザスも改めて頷く。
抽象的な話よりも、今は具体的な対策を講じることのほうが重要だった。
特に反論することもなく沈黙したイレーヌだが、その表情にはまだ少し硬さが残っていた。
「司令……ひとつ進言してもよろしいでしょうか?」
そして仕切り直すような空気となった場で、改めて口を開いたのは緑の髪の特務執行官であった。




