(21)澱んだ静寂
夜を赤く染める戦いは幕を閉じ、再びエリア・セレストに静寂が戻ろうとしていた。
クリスタルドームの中に光が降り注ぎ、青い空がいつものように人々の頭上に広がっていく。
しかし、残された破壊の爪痕は大きかった。
セレスト・セブンは機能停止こそ免れたものの、設備は半壊し多大な損害を被った。
CKO治安維持軍の駐留部隊もその数を大きく減らし、エリアでの治安維持活動に少なからぬ影響が出始めている。
その現状が報道されるに従って世情は大きく揺れ動き、現行政府への不安や不信、更には【宵の明星】への恐怖あるいは同調など様々な声が噴出していた。
『報酬増額の件を認めて欲しいだと?』
古びた建物の部屋の中に、わずかばかり不機嫌そうな声が響き渡る。
三度目ともなるレイドリックとの交渉に、ダイゴはいつになく強い態度で臨んでいた。
「はい。今回の計画……成功とはいかぬまでも、充分な結果を出せたと思っておりますが?」
わずかな光を放つモニターを見据えながら、彼は言う。
それに対する画面向こうの男の返答は、端的なものだ。
『……今回の襲撃計画は、予期せぬ事態によって失敗に終わっているのだ。その要求を呑むわけにはいかんな』
「これは異なことをおっしゃる。確かにCKOによる奇襲で、計画のための傭兵部隊はほぼ撤退を余儀なくされた」
それに対し、ダイゴは用意していたかのように反論する。
レイドリックの言うように、本来の襲撃計画は予定通りの実行ができずに終わっている。
そういう意味では確かに失敗であり、報酬増額の交渉もまた白紙に戻ったとは言える。
「しかし、事前通達の内容には『不測の事態が発生した場合は、各自の判断に基づいて計画を成功に導くべく行動せよ』という一文があったはず……我らはそれに従って部隊を展開し、セレスト・セブンを半壊させた」
ただ、彼に引き下がる意思はまったくない。
苦虫を嚙み潰したような表情の男に対し、淡々としつつも圧のある声で続ける。
「他の傭兵どもと違い、我らは己が被害を顧みずに行動したのだ。現在、世情は大きく混乱している。セレスト・セブン半壊は政府の信頼を失墜させ、あなた方にとっても望ましい状況を作り出した……」
そこで一度言葉を切り、ダイゴはやや顔を上げた。
それはどことなくレイドリックに対し、見下すような態度にも見て取れただろう。
「これでも我らの力が評価に値しないとおっしゃるのか?【宵の明星】の月支部長ともあろうお方が、ずいぶんとケチ臭いことですな」
『貴様……!』
「レイドリック殿、勘違いしないで頂きたい」
憤った様子の相手に対し、彼は再び視線を合わせる。
「我らは支払った代価に対する正当な報酬を望んでいるに過ぎない。我らはあなた方の協力者ではあるが、あなた方の部下ではない。もし今回の働きが評価されないということでしたら、こちらにも考えがありますが……?」
それは淡々としつつも、どこか脅しとも取れる雰囲気を持っていた。
実際、セレスト・ワンに続きセレスト・セブンに被害をもたらしたのは、SSS――ダイゴたちの力によるものだ。
彼らを敵に回すことは【宵の明星】にとっても得策ではない。
『……よかろう。貴様の言うことはもっともだ……』
ややあってレイドリックは、努めて感情を抑えた声で言った。
『我らとて、貴様らの力は理解している。そしてその価値もな……だが、ひとつ聞かせてもらいたい』
「なんでしょう?」
『治安維持軍基地を襲撃したあの化け物……あれも貴様らの仕業によるものか?』
それは憤りを抑えたというよりは、疑念を抑えたという雰囲気だった。
ダイゴはわざと眉をひそめる仕草をする。
「なんのことでしょう? おっしゃる意味がわかりかねますが……」
『貴様らの戦力に、化け物のような生体兵器があることは承知している。セレスト・セブン襲撃とほぼ同時刻、治安維持軍基地を襲撃した化け物がいたが……』
【宵の明星】本来の目的であった統括司令暗殺計画――それを邪魔するかのように現れた異形について、レイドリックは問い質してきた。
ただ、表向きダイゴたちには知らされていない話だけに、深く突っ込んだ言い回しは避けている様子だ。
「確かにおっしゃる通り、我らの戦力に特殊な生体兵器があることは事実です。しかし、治安維持軍基地の襲撃など行っておりません。そもそもなぜ、そのようなことをする必要があるのです?」
それをわかっているだけに、ダイゴも追及をかわすのは容易だった。
そもそもあの新種カオスレイダーによる基地襲撃は、彼としても重要な意味があって行ったわけではない。
統括司令の殺害など正直どうでもいい話で、レイドリックらの目論見を潰し、嫌がらせができれば充分だったのだ。
特務執行官による邪魔こそ入ったものの、その目的も果たせたと言えるだろう。
『……そうか。ならば良い。今後の報酬は貴様らの提示した金額を基本に考えるとしよう』
「ありがとうございます。では、今後ともよしなに……」
改めてうやうやしい態度を作りながら、彼はモニターに向けて一礼した。
最後にいまいましげな表情を浮かべたレイドリックの姿がその眼に映ることはなく、静けさの戻った空間でダイゴはほくそ笑む。
(さて……これで状況は変わり始める。あとはイーゲルたちが、どれだけやってくれるかだな……)
ただ、その顔はすぐに元のポーカーフェイスに戻る。
心の内に新たな思惑を秘めつつ、彼は薄汚れた部屋をあとにした。
同じ頃、混沌の力満ちる異相空間の浮き島には三つの影が集っていた。
異なる輝きの瞳を持つおぼろな存在は、言わずと知れた【統括者】たちである。
「手ひどくやられたようね」
その中でただひとつ、変わらぬ様相を見せているのは【テイアー】だ。
銀の瞳を持つ影に対し、どこか揺らいだ姿を見せる【イアペトス】は、憮然とも傲然とも取れる口調で返す。
「フン……確かに油断があったのは事実よ。だが、面白い相手には出会えた。これからの楽しみが増えたという意味では、悪い話ではない」
「そう……相変わらずね」
冷めた声でつぶやきつつ、【テイアー】はその視線を、もうひとつの影へと転じる。
「それで……あなたはどうしたのかしら? 珍しく静かだけど」
金の瞳を持つ影――【ハイペリオン】は、そんな同胞の問いにもなぜか無反応だ。
腹に当たる部分を手で押さえつつ、その目に厳しい輝きを宿している。
「あなたが手傷を負うことも珍しいと言えば珍しいわね。いったい誰にやられたのかしら?」
「あの女……アレクシアだよ」
「……なんですって!?」
そこで彼は初めて、いまいましげな様子で返答した。
思わず驚きの声を上げる【テイアー】に向け、淡々と言葉を続ける。
「奴は生きていた。いや……その表現は的確じゃないね。奴自身が言ったよ。自分は生まれ変わったとね……」
「生まれ変わった? それはいったい、どういうこと?」
それに対し、彼はセレストでの出来事を語った。
ひとしきり聞き終えたところで、銀の瞳の同胞は訝しげに目を細める。
「【エリス】ですって? それに虚無の断罪者……?」
「……あの女がどうして蘇ったのか、その目的はなにか、そして奴の力の正体……なにもかもまったくわからない」
【ハイペリオン】はそこで、押さえていた手をどける。
彼の身体を構成する混沌のエネルギーが、腹の部分だけ薄くなっていた。
「ひとつだけ言えることは、僕たちにとって恐るべき敵が現れたということだよ。それも特務執行官より遥かに手強いね……」
「ほう……そのような奴が出てくるとはな。なかなか面白くなってきたではないか」
「アレクシアが……そう……」
愉快げに答える【イアペトス】と対照的に、【テイアー】の声は静かだった。
彼女がどのような思いを抱いているのか、そこから窺い知ることはできない。
「僕の予感は正しかったよ。やはり奴は、危険な存在だった」
「……そのように仕向けたのは、あなたではないのかしら?」
「……そう見えたかい? けど、遅かれ早かれ、奴は僕たちに反逆したと思うよ……」
責めるような言葉に【ハイペリオン】はしれっと答えつつも、そこにやはりいつもの雰囲気は戻ってこなかった。
改めて同胞たちを見つめ、彼はその金眼を輝かせる。
「今後もし、奴と相まみえることがあったなら、手は抜かないことだ。でないと……消えることになるよ」
彼らしくもなく変じたその口調には、殺意に似た感情が覗いているようだった。
オリンポスの本拠であるパンドラの司令室では、ライザスが光の向こうの女性と向き合っていた。
浮かび上がっている立体映像は、金髪の見目麗しい女性――特務執行官【ヘラ】こと、イレーヌ=コスモフォースである。
「そうか。やはり【宵の明星】は、グラング殿を狙っていたか。いろいろと手間をかけたな。イレーヌ」
『気にする必要はありません。これはカオスレイダー案件でもありましたしね』
「しかしグラング殿を守れたのは良かったが、セレスト・セブンまでが半壊の憂き目に遭おうとは……」
ため息をつきながら、ライザスは頭に手を当てる。
襲撃の情報を得ていたにも関わらず、セレスト・セブンを守れなかった事実が、彼の心に大きく影を落としていた。
『カオスレイダーはさておき、【統括者】まで現れたということでは無理もありません。むしろ、シュメイスたちは良くやってくれたのではありませんか?』
そんな上官の姿を見ながら、イレーヌは告げる。
実際、【統括者】や混沌の軍勢相手に三人の特務執行官たちが奮戦したからこそ、施設の完全崩壊は防げたとも言える。
『ただ、【統括者】や新種の出現以降、私たちを取り巻く状況は大きく変わっています。CKOとしても現状を看過しているわけにいきませんし、オリンポスも今一度方針を考え直したほうが良いでしょう』
「うむ……」
彼女の言葉にライザスは頷くものの、その表情はいまだ晴れない。
現状の打開のためにどうすべきかを、彼は考えあぐねていた。
『僭越ながら、ここは全特務執行官に緊急招集をかけてみてはいかがかと……』
「特務執行官全員を……だと!?」
『はい。私たちの前には今、問題が山積みになっています。一度皆の意見を聞きつつ、整理したほうが良いと思うのです』
それに対する回答を静かな口調で続けながら、イレーヌは彼を見つめる。
その目は厳しさを湛えながら、どこか優しい光を含んでいるようにも見えた。
ただ、告げられた意見には、ライザスも驚きを隠せなかった様子だ。
秘匿記録開放の時ですら集まることのなかった特務執行官を全員招集せよと言うのだから、無理もないことである。
『上辺だけでは、見えないものもある……統括司令の口癖ですが、ひとつの真理でもある。なにより、今のあなたに必要なことよ。ライザス』
「……私に必要なこと?」
『ええ。一人でいろいろ抱え込むのは、あなたの悪い癖だから……』
嘆息するようでいながら途中から言い方を変じた女の声には、男を気遣う響きが感じられた。
それを聞いたライザスは、ふと懐かしい気持ちに囚われる。
同時にずっと頭の中で澱んでいた思考が、少し晴れたような気もした。
「……確かに特務執行官全員に関わる問題だけに、彼らの考えを無視してはいかんな……」
オリンポスの方針を考え直すにしても、特務執行官たちが肌で味わった感覚を知ることは必要だった。それに対し、彼らがなにを感じているのかということもだ。
そしていかに通信技術が発達しようとも、人が生で放つ意見に伴う空気感は再現できない。
今、求められているのは特務執行官たちが言葉や思いを交わし合うことのできる場なのだろう。
「わかった。そう長く時間は取れないだろうが、緊急招集をかけることにしよう。それとイレーヌ……」
『なにか?』
「感謝する。君には昔から、迷惑をかけてばかりだな……」
『……もう慣れたわよ』
ふっと口元を緩めたライザスに、イレーヌは応じて微笑んでみせる。
そこには置かれた立場による堅苦しさのない、男女の思いだけが存在していた。
新たに現れた脅威と、絡み合う思惑――。
澱んだ静寂の中で、戦いはますます混迷の度合いを深めていく。
FILE EX3 ― MISSION COMPLETE ―




