(19)もうひとつの戦い
セレストのCKO治安維持軍基地に、阿鼻叫喚の声がこだまする。
激しい戦いを繰り広げていた兵士と反政府軍部隊の間に、それは現れた。
黒い肌に緑の血管を浮き立たせ、全身から無数の触手を生やした円錐状の生物――いや、そもそも生物と呼ぶにはあまりにも奇怪な物体であった。
地上をホバーするようにそれは駆け、触手が凄まじい勢いで四方へ伸びていく。
槍のようになった先端が獲物となる人間の身体を貫き、宙に朱の色を撒き散らす。
「野郎! 化け物がああぁあぁぁぁ!!」
怒声と共に銃撃の閃光が闇を切り裂くが、謎の異形には通じない。
実弾も光学兵器も、なにひとつ傷を負わせることはできない。
人はただ翻弄され、どうにもならない恐怖の中で生命を絶たれゆくのみだった。
「あれが……新種カオスレイダー」
建物から飛び出したイレーヌは、その光景を直接目の当たりにして息を呑んだ。
敵の姿自体はともかく、放たれるエネルギーと威圧感は彼女も初めて体感するものだった。
「なるほど……確かにスピードもパワーも上級以上。普通に戦うには厳しい相手ね。ならば……」
そこで彼女は、瞑目する。
ややあって周囲に冷たい風が渦を巻き、それが全方向へ拡散した。
神域にも似たどこか静謐な空気が、治安維持軍基地全体に広がっていく。
猛威を振るう虐殺の中でその変化に気付く者は誰一人いなかったが、仮に何事もない状況だったら、違和感を覚える者はいたかもしれない。
「領域展開完了。敵はあの化け物に加え、コソコソ隠れて様子を窺っているネズミが一匹か……」
次いで目を開いたイレーヌは、どこか冷たい口調でつぶやきながら、その視線をわずかに転じた。
混沌の下僕であるダイゴ=オザキは施設の陰に身を潜めながら、暴れている新種カオスレイダーを目で追っていた。
「ふむ……レイドリックめ。まさかこのタイミングで直接、治安維持軍の基地に襲撃をかけようとはな」
しかしながら、彼の思考は別のところにある。
基地内部で葬り去られていく人間たちの中に、明らかに治安維持軍兵士とは別の者たちがいたからだ。
それが【宵の明星】の襲撃部隊だと気付くのに、そう時間はかからなかった。
「先んじてCKOの統括司令とやらを葬ってやろうと思ったが、これはこれで悪くない展開かもしれん」
そうつぶやき、ダイゴはほくそ笑む。
このまま新種が暴れ続ければ【宵の明星】側にも大きな被害が出る上、彼らの計画も失敗するだろう。
そして今、セレスト・セブンには【イアペトス】がおり、彼に預けていた戦力が暴れている。たとえ特務執行官が現れようと、プラントの死守は不可能のはずだ。
【宵の明星】の目論見を外すという思惑は、ほぼうまくいったと言えるだろう。
「まぁ、これで奴も大きな態度は取れなくなろう。次に会った時の顔が見物だな」
『なるほど。それがお前の思惑か。小賢しいネズミめ……』
「!? なに!?」
ただ、いきなり割り込んできた謎の声に、ダイゴは驚愕した。
辺りを見回してみるものの、自分の近くに人の姿はない。
訝しさを増す彼に対し、次いで声は威圧的な空気をもって告げた。
『残念だけど、そう都合良くはいかない。私がここにいる限り、統括司令に手は出させない。そしてカオスレイダーは始末する』
「だ、誰だ!?」
その声は響き渡るというよりは、ダイゴだけに直接語り掛けてくるような声だった。
冷や汗を浮かべながら彼は、姿の見えない相手に対して問い掛ける。
そんな男を見下ろすかのように、中空に目の幻影が浮かび上がる。
『私は、特務執行官【ヘラ】……お前の存在は、すでに把握している。どこに隠れても無駄だ。ダイゴ=オザキよ』
「と、特務執行官だと!? ちぃっ!」
舌打ちしたダイゴは、すかさず闇に姿を溶け込ませるように転移する。
なぜ、そうしたのかは彼自身にもよくわからない。恐らくこれ以上この場にいることは危険だと、彼の本能が告げていたのかもしれなかった。
『噂に違わぬ逃げ足の速さ……臆病ではあるが、正しい判断か。侮れない奴……』
そんなダイゴの迅速な行動に、声はわずか感心したようなつぶやきを漏らした。
戦いとも呼べない虐殺は、容赦なく続いていた。
敵味方関係なく兵は半数以上が血の海に沈み、残された者たちは各々異なった行動を取り始めていた。
【宵の明星】側は作戦遂行を断念したのか、揃って基地からの撤退を始めている。混乱の最中とはいえ、その行動は襲撃時同様になかなか統制の取れたものだった。
しかし、治安維持軍の兵士たちは変わらずに空しい抵抗を続けている。
ここが彼らの陣地であり、守るべき人間が駐留している以上、逃走は許されなかった。
悲壮な決意をもってカオスレイダーに攻撃を続ける彼らだが、その前に降り立つひとつの影がある。
「あなたたち……生命がある内に逃げなさい。ここは私が引き受けます」
「あ、あんたは……?」
いきなり現れた見ず知らずの――正確には知っているはずだが、普段の姿とはあまりに異なる金髪の女性の出現に、兵士たちの間に動揺が走る。
しかし、放たれる威圧的とも呼べる空気が、彼らの反論すら封じていた。
そんな女性に対し奇怪な敵は鋭い触手を向けてくる。
風を切って飛んできた一撃がかすめるように、彼女の脇をすり抜けていった。
「さて、始めましょう」
特に動揺した様子もなくその女性――イレーヌ=コスモフォースは、手元に剣を生成する。
細剣にも似たそれを構えた彼女は兵士たちを背に、災厄の怪物に向けて名乗りを上げた。
「我は摂理……万象の守護者。混乱招く悪意の輩に、怒れる正義の制裁を与えん。我が名は、特務執行官【ヘラ】!」
「ルオオアアァアァアァァァァッッ!!」
彼女の声に対し、敵は謎めいた声を上げて迫りくる。
無数の触手が、それぞれに異なった軌道を描きながら飛んでくる。
ただ、その攻撃がイレーヌに当たることはない。それは彼女が回避するというよりも、触手自体があえて狙いを外しているように見えた。
「どれほど速くとも、力があろうとも……私の領域内では、無力に等しい」
イレーヌが剣を振るうと、その軌跡が刃となって飛んでいく。
それはかまいたちと異なった飛翔する斬撃――周囲の空気を巻き込むように飛び、光も闇も吸い込んで軌道上にあるものを断つ空間そのものの裂け目だ。
カオスレイダーの触手が吹き飛び、異形の身体を裂き、遥か彼方の施設の壁すらも切り裂いた。
「す、すげぇ……」
誰がつぶやいたかはさておき、その光景は居残る者たちに驚愕を与え、恐怖を植え付ける。
それはカオスレイダーも同様だった。
近付いてくる敵に向けて再生した触手がこれでもかと飛ぶが、やはりそれがイレーヌの身体を捉えることはない。
もしこれが他の特務執行官だったら、食らっていた可能性はある。
新種の繰り出す触手は圧倒的なまでに速く、目で追うことすら困難だ。シュメイスやアーシェリーでどうにか捌き切れるレベルだろう。
イレーヌ自身も、備えのない状態だったら回避することはできないと踏んでいた。
「無駄なことをする。お前はもう、蛇に睨まれたカエルも同然だというものを……」
しかし今の彼女に対して、この敵が攻撃を当てることは困難だった。
なぜならこの基地――この場所にいる者たちはすべて、イレーヌが展開した【監視領域】の支配下にあるのだ。
すべてを見下ろすように威圧する特務執行官【ヘラ】の有するその能力は、領域内にいる者の心身を委縮させ、本来の力を発揮できなくさせてしまう。
つまり彼女にとって目の前の敵は、通常のカオスレイダー程度の敵に成り下がってしまっているのである。
「ただ、その再生能力は脅威……なら、その力も使えぬ世界に消え去るがいい」
冷酷とも呼べる声で告げたイレーヌは、剣先を相手に向けて半身に立つ。
そのまま切っ先を回転させると、次の瞬間力を込めた斬撃を撃ち放った。
先ほどよりも大きく激しい風を巻き起こしながら、それは異形の身体に直撃する。
「ルオアアアァアァアアァァァ……!?」
その一撃は、今度は貫通することもなくその場に残る。
やがて渦を巻いた裂け目はブラックホールのようにカオスレイダーの身体を巻き込んで収束し始める。
訝しさと驚愕とを孕んだ声と共に、異形が粉々にちぎれながら吸い込まれていく。
やがて扉の閉じるような音を残して裂け目は消え、同時にその場にいたはずの異形も次元の彼方へと消え去った。
「掃討……完了」
静かに踵を返しながら、イレーヌは告げる。
虐殺をもたらした恐るべき新種カオスレイダーはまともな抵抗すらできず、女神の女王の名を持つ特務執行官によって消し去られたのであった。




