(2)安息と予感と
小惑星パンドラ――特務機関オリンポス本部の中枢エリアに、その部屋は存在した。
全体が球状になった空間である。
壁面には宇宙空間が映し出され、宙には無数のスクリーンが浮かんでいる。
中央に静止しているのは、上部をカットした半球状のパーソナルスペースだ。
シートを中心にしてコンソールパネルが左右に配置されている。
そして、シートには一人の男が座っていた。
精悍な顔つきの男で、年の頃は三十代というところか。
鋭い眼光に整った口元のひげが印象的だ。
彼の名は、ライザス=ヘヴンズフォースという。
オリンポスの総司令官であり、最強の特務執行官【ゼウス】のコードネームを持つ男であった。
「ふむ……今回も、ソルドは派手にやったようだな」
彼は腕組みをした状態で、わずかなため息を漏らす。
視線の先に浮かんだスクリーンには、黒髪の女性の姿があった。
言わずと知れた【クロト】である。
『……確かにゲストハウス【アンジェリカ】の崩壊は、彼の行動に問題があったことは事実です』
彼女は変わらぬ愁い顔のまま、静かに告げる。
淡々としたようでいて、その口調には少し翳りがあるようだった。
傍らに浮かぶスクリーンには、半壊したゲストハウスの衛星映像が映し出されている。
建物の中央部に隕石でも落下したかのような巨大な穴が開き、もうもうと煙を巻き上げていた。
「隠蔽のための情報操作もバカにならん規模だった……目撃者が多かったのも問題だな」
『ですが、それについてはジョニー=ライモンの覚醒を阻止できなかった【アグライア】に責任があると言えます。現に彼女はそう申告し、処罰を求めています』
「ふむ……確か彼女は、検査入院中だったな。では少しの間、謹慎も兼ねて休養を取らせるとしよう。しかし、ソルドはどうしたものか……」
ライザスはやや考え込むようにつぶやく。
特務執行官の活動で損害が出ることに、止むを得ない部分はある。
カオスレイダーとの戦いはひとつの戦争であり、きれい事では済まされない。
しかし、大規模破壊が日常茶飯事となっては、逆に問題となる。
『ソルド行くところ、破壊の嵐が付きまとう』とは、もはやオリンポスメンバーの共通認識だ。
当人がどう思ってるかはさておき、不名誉な話である。
『……これも【アグライア】からですが、彼女は【アポロン】に責任はないと言っています』
「ほう……ずいぶん、かばい立てするものだな?」
『あと一歩遅ければ、生命を落としていたようですから……確かに手段は手荒いですが、一概に彼を責めるのはどうかと私も考えます』
「フフ……なるほどな」
それとなくフォローをいれる【クロト】に、ライザスはわずかな笑みを向けた。
実のところ彼自身も、ソルドという男の行動を忌々しく思っているわけではない。
正義感と他者を気遣う心ゆえの行動が、結果として物理的被害の拡大に繋がるだけだ。
その証拠に、ソルドの攻撃で人々が死傷したという話を聞いたことはない。
今回の一件にしても、同じである。
「それにしても、彼はなにかと女性の受けがいいな。アルティナといい、君といい……うらやましい限りだよ」
『司令……からかわないでください。私はそのような感情を持ち合わせておりません』
「そうか? それは失礼した」
茶化したように言うライザスに、【クロト】はやや困ったような表情を見せた。
オリンポス・セントラルコンピューターの生み出した電脳人格である彼女だが、こうした時の反応は普通の人間そのものである。
それが良いことか悪いことかはさておき、対話するライザスとしては退屈しないというものだ。
もう少しからかってみるのも面白いかと思い始めた時、ふと【クロト】は、なにかに気付いたように言葉を紡いだ。
『……司令、少々お待ちを。たった今、【アルテミス】からアクセスがありました』
「ルナルか? なにがあった?」
『コードS121の件で報告です。対象の掃討は完了したものの、対象に関する調査を継続したいとのことです』
「Sコード……【サプライズ・ケース】だな。よろしい。許可しよう」
『了解しました』
わずかに厳しさを取り戻し、ライザスは答える。
自身が言ったサプライズ・ケースという言葉に、忌々しさを隠せない様子である。
「ああ、それと……アシストを廻すと付け加えておきたまえ」
『了解……え? アシストですか? しかし、支援捜査官は【アグライア】を除き、全員が別件で動いています』
「もちろん、知っている」
『では、【アグライア】に行かせるのですか?』
「違う。ソルドに行かせる」
『【アポロン】を? しかし、特務執行官が特務執行官のアシストをするのは、あまり前例がありませんが……』
「確かにな。だが、サプライズ・ケースの調査は上位の優先事項にあたる。稼動できるのなら、特務執行官二人で当たったほうが無難だ。それにルナルなら、ソルドをうまくコントロールしてくれるだろう」
驚いた様子の【クロト】に対して、ライザスはあくまで冷静だった。
カオスレイダーの攻撃から人々を守ることを使命とするオリンポスにとって最も厄介なのが、彼らの探査や調査に引っかからず、被害が発生するケースである。
Sコードを与えられたその事件は、サプライズ・ケースと呼ばれている。
もちろん【クロト】もこのケースの重要性は理解していたし、ライザスが慎重になる理由も知っている。
しかし、彼女はどこか納得のいかない様子であった。
『……あの二人が一緒に行動するのは、別の意味でどうかと思うのですが……』
「まぁ、ベタベタし過ぎのところはあるがな。任務となれば問題はない。それに仲良きことは、美しきことではないか」
『いえ、あの二人の場合は、特にその……』
「君にしては歯切れが悪いな。なにか気に入らないのかね?」
『いえ、気に入らないというわけではなく……』
「ふむ……妬いていると?」
『ち、違います!!』
理論的とは呼べない反論にそれとなくからかうような言葉を含めてみると、【クロト】の表情が一変した。
思わずライザスは、いたずらっぽい笑みを漏らす。
「まぁ、これも任務だ。個人的な感情は抜きにしたまえ。君の気持ちはわからんでもないがな」
『う……で、ですから、私はそのような感情を持ち合わせておりません!』
すねたように言い放って、【クロト】は姿を消してしまう。
元々の性格設定が純情なだけに、人にからかわれることに対して耐性が少ないのである。
「おやおや、怒らせてしまったか? これでは、しばらく口も聞いてもらえんな」
おどけたようにつぶやき、ライザスはシートに身を沈めた。
対話する者がいなくなり、やや無機質めいた静寂が室内に戻ってくる。
しかし彼はインフォメーション・スクリーンに目を走らせながらも、内心で嫌な予感を拭えずにいた。
(サプライズ・ケースとはいえ、ルナルがそこまで気にかける事件か。少し厄介なものになりそうだな)
火星都市アンテラにある病院の一室。
前回の任務を終えたアルティナ=サンブライトは、ベッドの上で退屈な一時を過ごしていた。
今は、ちょうど夕暮れ時である。
火星の黄昏はかつての地球と比べて、赤みが強いのが特徴だ。
どこか血の色に似ていると、彼女は思う。
それともそんな風に感じてしまうのは、自分の歩んできた道が血塗られているからだろうか。
ぼんやり外の景色を眺めていると、ふとノックの音が聞こえてきた。
「……身体の調子はどうだ? アルティナ?」
「ソルド……」
遅れて姿を見せたのは、鮮やかな赤髪の青年ソルド=レイフォースである。
普段はぶっきらぼうな雰囲気を漂わせる彼だが、今はその黄金の瞳にも柔らかな光が宿っている。
手にしているのは、鮮やかなオレンジの生花である。
それらの花をベッド脇の花瓶に差しながら、彼は手近の椅子に腰を下ろした。
「肋骨が折れて肺に刺さっていたからな。再生治療はしたが、内臓のダメージは完全に抜け切れていまい。上からの命令もある。少し任務を忘れて休むことだ」
「そうね。こんな時間も久しぶりだわ……」
ふっと息をつきながら、アルティナは答えた。
支援捜査官の任務は常に綱渡りの連続で、まともに気の休まる時はない。
こうしてベッドに横になっていること自体が落ち着かないのだから、職業病とは恐ろしいものだ。
ただ、心穏やかにしていられない理由は他にもある。
「……ちょっと、やり切れない事件だったわね」
「そうだな……だが、それは今更だ。君も言っていたことだろう?」
「もちろん、わかってはいるんだけど……簡単には割り切れないわよ」
アンテラでの事件は、アルティナ自身も苦い思いを噛み締める結果となった。
ボリス=ベッカーの残した言葉は、今でも彼女の耳に焼き付いて離れない。
『俺は……俺はてめぇらを許さねぇ!! てめぇらはただの偽善者だ!!』
偽善者――それを否定するつもりはないし、事実その通りだと思う。
しかし幸か不幸か、彼女はまだあそこまでの憎悪を叩きつけられたことはなかった。
無用な混乱を避けるため、カオスレイダーに関与した人間の記憶は操作されることが多い。
ゆえに直接、支援捜査官が憎悪の対象となるケースは少ないのである。
そんな思いを汲み取ったのか、ソルドはわずかに口元を緩めた。
「簡単には割り切れないか……君も思ったよりは繊細だな」
「それ、どういう意味!? 思ったよりはって、なによ!!」
ふと漏らした彼の言葉に、アルティナは激昂する。
気の強さは自身で認めるものの、繊細さが欠けるのとは別問題である。
ずいぶんと無神経な言葉だと思った。
つい怒鳴ってしまうものの、胸の辺りにズキリと走った痛みが彼女の怒りを抑制する。
「すまん。失言だった……そう怒るな。傷に響くぞ?」
「ん……誰のせいよ。もう……!」
しかしソルドは、いまだに微笑みをたたえたままである。
恐らく先の言葉は、わざとアルティナの怒りを買うために言ったのだろう。
怒りは時に、心の活力を生む。
まったくもって不器用だが、それが彼なりの気遣いということらしい。
「……さて、私はそろそろ行かねばならん」
「ん、そう……新たな任務?」
「ああ……サプライズ・ケースの調査だ。ルナルと共にな」
「ルナルと? ふ~ん……久しぶりの兄妹水入らずね」
「確かにあいつと顔を合わせるのは、かなり久しぶりだ」
「……ずいぶん嬉しそうじゃない?」
「そう見えるか?」
「見えまくりよ」
「……そうか。そうかもしれんな」
言いながら立ち上がったソルドは、いつになく柔らかい表情をしていた。
普段の仏頂面を見慣れた人間なら、こんな顔もできるのかと思ってしまうだろう。
アルティナもまだ、数えるほどしか見たことのないものだ。
先ほどの怒りとは別に、彼女の心をモヤモヤとした感情が支配していった。
「ま……あまり浮かれて、任務を忘れないようにしてよ? 特にサプライズ・ケースともなれば、どこで足下をすくわれるかわからないんだから」
「わかっている」
憮然としながらつぶやいたその真意を、今度はソルドも測れなかったようである。
部屋を出て行こうとする彼の背に、アルティナはわずか身を乗り出して声をかけた。
「ソルド……」
「うん?」
「あの……気を、つけてね……」
「ああ……了解した」
振り返ったソルドの顔は、いつもの精悍さを取り戻しているように見えた。
それでも口元が微笑んでいたのは、アルティナへの気遣いからだろうか?
それとも別の感情だったのだろうか?
やがて閉じたドアの音を聞きながら、アルティナは小さくため息をついていた。
「なにやってんだろ……なんだか、私もバカみたいね……」




