(12)欠けゆく月
襲撃計画の前日、冷たい光を投げかける青色灯の中を一人歩む影があった。
鮮やかな赤毛を持つ妙齢の女性だ。その顔にはどこか緊張した面持ちがある。
言わずと知れたフェリアの姿を借りたルナルである。
SSSのビル地下に広がる秘匿施設内を、彼女は足音を忍ばせつつ進んでいく。
(ここが……SPSを保管している場所ね)
やがて硬質な扉の前に立った彼女は、壁際のコンソールに触れて操作を行う。
フェリアの生体認証が許可されているからか、特にハッキングなどをする必要もなく扉のロックは解除された。
スライドした扉の奥に足を踏み入れたルナルは、室内灯を点灯する。
金属質な内壁を持つ室内には冷たい空気が満ち、中央のクリスタルケースの中に小型の培養カプセルが整然と並んでいる。
(在庫のすべてでないにしても……これらを処分できれば、今回の計画を挫くことができるわ)
冷たい視線を注ぎながら、彼女は思う。
あれから地下施設のコンピューターにアクセスし調べ上げた結果、襲撃部隊への投与用に確保されたSPSがこの部屋にあるという情報を掴んだ。
計画を阻止し、望まずSPS兵士にされてしまう人々を救う手段を探していたルナルは、これらを処分すべくやってきたのである。
(あまり時間もない。早くしないと……)
しかし、彼女がケースに手を伸ばした瞬間、背後から低い男の声が聞こえてきた。
「秘書殿……ここで、なにをしているのかな?」
はっとしてルナルは振り返る。
いつの間に現れたのか、そこにはわずかに紅い瞳を煌めかせたダイゴ=オザキの姿があった。
「こ、これはオザキ様……いえ、少し調べ物があったんですけど、入る部屋を間違えたようで……」
ルナルは平静を装うものの、冷や汗が伝い落ちるのを拭えなかった。
ここに来るまで人の気配はなかったはずだし、尾行にも気を付けていたはずだ。
混沌の下僕であるダイゴに瞬間移動のような能力があることは聞いていたが、まるで狙ったかのようなタイミングで現れたことは気になった。
そして、それを裏付けるかのような言葉が男の口から放たれる。
「つまらない言い訳はしなくて良い。フェリア=エーディル……いや、特務執行官よ」
それを聞き、思わずルナルは息を呑む。
ダイゴはそんな彼女を見つめ、口元をわずかに歪めた。
「顔色が変わったな。やはり図星ということか」
「……なんのことでしょう?」
「この期に及んで、まだしらばっくれるつもりか?」
すると彼は、ルナルに向けておもむろに手をかざした。
次いで収束されたエネルギーが赤い閃光となって迸る。
とっさに飛びのいたルナルの横で、クリスタルケースが爆音と共に破壊された。
「なぜ……わかったの?」
「昨日会った時から、違和感はあったのでな。それに我が主が教えてくれたよ」
ため息交じりにつぶやいたルナルに、ダイゴは続けて告げる。
昨日会った時に感じた肌の粟立つ感覚――それは偽装しても隠し切れない特務執行官の放つ力に、彼自身の力が反発していたからだ。
その疑念は、昨晩会った【ハイペリオン】から伝えられた言葉で決定的なものへと変わった。
「秘書殿にすり替わって潜入とは恐れ入ったが、残念だったな。これ以上、余計なことを嗅ぎ回られるわけにはいかん」
「自らSPSを破壊してまで私の正体を暴こうとするなんて、すいぶんと強引ね」
「フフフ……そこにあったSPSなら全部ダミーだ。本物はすでに移動してある」
「そう……なら、お前を倒して調べ直すまでだわ」
ルナルは偽装を解除して元の姿に戻る。
銀の瞳に冷たい光を宿した彼女は機械のような声で言い放つと、そのまま腕を振るって光の矢を放った。
しかし、その光はダイゴの目の前で赤い壁のような光に阻まれて霧消する。
「どうした? それがお前の力か? ずいぶんとお粗末だな」
笑みを浮かべつつも、ダイゴはやや訝しげな口調で問い掛けた。
そして、その言葉を受けたルナルもまた、驚きに目を見開いていた。
(コスモスティアの出力が落ちている? なぜ……!?)
ルナルの放った光の矢は特務執行官の力と思えぬほど、威力の乏しい攻撃だった。
力を行使した彼女はもとより、ソルドやフィアネスと相まみえた経験のあるダイゴにしても意外と感じるほどにだ。
「それとも特務執行官も、ピンからキリまでいるということか?」
「くっ……!」
バカにされたような言葉に歯噛みしつつ、ルナルは更なる光の矢を放とうとする。
しかし、彼女の怒りに反するかのように、光は輝きを失い手元を離れる前に掻き消えてしまう。
次いで全身が異様に重くなり始め、わずかな頭痛と共に目の前も暗くなってくる。
(力が……思うように出ない!? 兄様を陥れた相手を前にこんな……!)
「死ねっっ!!」
理由はわからなくとも、敵が大した力を持っていないと判断したダイゴは、再度赤い閃光を放つ。
それは周囲を照らしながら直進し、ルナルに直撃した。
「!? 消えただと?」
しかし、そう見えたと思ったのも束の間、彼はルナルがその場から消え失せていることに気付く。
光は敵のいた辺りの床に炸裂し、大きな破壊の跡を残したのみだ。
すぐに周囲を見回してみるものの女の姿は見当たらず、それどころか動く生命体の反応も室内には感じ取れなくなっていた。
「逃がしたというのか? いったいどうやって逃れたのだ……?」
いまいましさをその顔に浮かべながら、ダイゴは舌打ちする。
彼や【統括者】の扱う瞬間移動のような能力を、敵は持っていたのかもしれない。
「まぁいい……どのみちあの御方がいる限り、奴の運命は決まったようなものだ」
もっとも、彼がその感情を引きずることはなかった。
ダイゴは粉塵煙る部屋に背を向け、硬い足音を響かせ歩き始めた。
それから数分後――SSSの入ったビルを百メートルほど離れた空き地に入り込む人影があった。
ふらつくように進んだ影は、やがてその場に崩れるように倒れる。
「はぁっ、はぁっ……く……くる、し……」
それは青髪の特務執行官――ルナルであった。
しかし、彼女の表情は歪んでおり、地に伏したまま脂汗を流し喘いでいる。
(い、いったいどうしてしまったの……? コスモスティアが……)
光子変換でかろうじてあの場を脱出したルナルだが、ここに辿り着くだけで虫の息に近い状態となっていた。
彼女の生命を支える無限稼働炉が、ほとんどエネルギーを生み出さなくなっている。それはソルドが味わったパワーダウン以上に深刻な状態であった。
顔を上げながら中空に手の平を差し出した彼女は、通信回線を開いて呼び掛ける。
「シュ、シュメイス……応答して……」
『……ルナルか? どうした!?』
すぐにその光の中に、シュメイスの姿が浮かび上がった。
「ご、ごめんなさい……敵にバレて、しまったわ……こんなはずじゃなかったんだけ、ど……」
『おい、凄く苦しそうだぞ!? いったいなにがあったんだ!?』
「それは……」
焦燥の色を見せる青年にルナルが答えようとしたその瞬間、彼女の背後から語り掛けてくる声があった。
「【秩序の光】が、君を拒絶しているようだね」
「な……!?」
目を見開いたルナルは、どこにそんな力があったのかと思えるほど反射的に地を蹴り、転がるように距離を離す。
ふらつきながら立ち上がった彼女の目には、金の光を浮かべた黒い影の姿が映っていた。
「やぁ、特務執行官……お初にお目にかかるね。僕は【ハイペリオン】……混沌の守護者さ」
「と、【統括者】……! どう、して……?」
「ダイゴの周りでコソコソ動き回る光の反応があったもんでね。僕が彼に教えてやったのさ。特務執行官が潜んでいるよってね……」
すでに霞み始めた視界の中、ルナルは強い憤りをその瞳に宿す。
【統括者】の中でも金の瞳を持つ【ハイペリオン】――それはベルザスでソルドを屠った仇敵の名前であり、彼女にとってはダイゴ以上に許せない存在だった。
「お、お前が……そう……お前が兄様を傷つけた……【ハイペリオン】!」
「兄様? ふむ……特務執行官【アポロン】のことかい? ふ~ん、君は彼の妹だというのかな?」
「そうよ。私は、特務執行官【アルテミス】……兄様の仇、討たせてもらうわ!!」
苦しみを超える闘志をみなぎらせて吼えたルナルは、その手に数本の光の矢を生み出す。
それを黒き影に向けて勢い良く投擲した。
「なんだい? この情けない力は……? これで本当に特務執行官なのかい?」
しかし、当然のことながらその矢は【ハイペリオン】に通用しない。
彼が闇の腕を振るうだけで、光は霧消してしまった。
「ま、さっきも言ったけど、【秩序の光】に見放されているなら、こんなもんか。そんなところまで【アポロン】そっくりだとはね……」
「な……!」
「だからといって、見逃すつもりもないけどね。つまらない小細工ができないように、ここで君には消えてもらうよ」
面白くもないといった様子で【ハイペリオン】はつぶやくも、その金眼には鋭い光が浮かび上がっていた。
ベルザスでソルドを屠った幻影の手を生み出した彼は、動揺するルナルを宙に掴み上げる。
そして身動きの取れなくなった彼女に対し、空いた手で凄まじい混沌のエネルギーを叩き付けた。
「きゃああああぁああぁぁぁぁああああぁあぁあぁぁぁ……っっ!!」
轟音と絶叫が、空に響き渡る。
衣服が散り散りに吹き飛び、全身から大量の血を噴き出したルナルは、弾かれるように天空を舞った。




