(10)蝕まれてゆく心
「セレスト・セブンへの襲撃計画だって?」
今の姿はフェリア=エーディルとなっているルナルからの報告を聞きながら、シュメイスは訊き返した。
薄闇の中に浮かぶ彼の表情は、どこか訝しげだ。
『ええ……間違いない情報よ。日時と段取りも掴めている。今、データを送るわ』
聞き慣れない声と共に、光の渦の中に浮かび上がった何枚かのスクリーンが、彼の目の前で展開される。
映像やリストで構成されたそれらには、襲撃計画の事細かな内容が記されている。
それを見据えた青年の碧眼の中に、鋭い光が覗いた。
「なるほど……こいつは厄介だな。それに時間もない。すぐに司令に伝える」
『お願いするわ。私はもう少し内部を探る。あと、可能な限り妨害工作を仕掛けてみるわ』
「了解だ。だが、無理はするなよ」
軽く頷きを見せて通信を切った仲間の様子を観察しながら、シュメイスはわずかに息をついた。
(ルナルの様子……今のところは杞憂で済んでるか。それにしても、セレスト・セブンへの襲撃計画だと? しかもこんな早急に?)
しかし、彼の頭の中には別の疑念が浮かび上がっている。
【宵の明星】の新たな襲撃計画――存在そのものはともかく、その内容は納得できるものでなかった。
(いかにSPS兵の性能が優れていたとはいえ、あまりに計画が短絡過ぎる。ルナルは触れなかったが、これは奴らもおかしいと感じているだろう)
セレスト・ワン襲撃がSSSのプレゼンであったとはいえ、そこから次の襲撃計画に移るには期間が短過ぎた。
CKOによる各プラントの警戒も強まっている今、それを行う理由はない。
もちろんそれらを考えた上で勝算を抱き、あえて襲撃を敢行する可能性もゼロではないが、シュメイスはそうではないと感じていた。
(……考えられるのは囮か。セレスト・セブンの襲撃に乗じて、【宵の明星】がなにかを仕掛けるつもりなら……)
古いアジトのコンソールを叩きながら、目の前のモニターに様々な情報を映し出していく。
ルナルから得られたデータを基にし、彼は【宵の明星】の真の狙いを探り出そうとしていた。
打ち合わせを終えて行動を開始したダイゴは、地下施設のコンピュータールームで一人の男と向き合っていた。
スクリーンの向こうに見えるのは、鼻の頭にイボを持った小太りな中年男である。
「久しぶりだな。【サイバー・バイパー】」
『これはこれは……誰かと思えば、あんたかい。相も変わらず元気そうじゃないか』
裏社会の情報屋として名を馳せる【サイバー・バイパー】は、どこかおどけたような口調で言った。
そんな男を見据えて鼻を鳴らしつつ、ダイゴは椅子に背を預けて足を組む。
「貴様も相変わらずだな。その容姿で毒蛇を名乗るのは、いい加減詐欺だと気付いたほうが良い」
『まったく、えらい言われようだ。別に見た目と通り名は関係ないだろうに……』
つい先日も同じようなことを言われた記憶を思い返しつつ愛想笑いを浮かべた中年男は、そこではたと気が付いたように手を打つ。
『ああ。そういやエルヴァンでは、うちの弟が世話になったねぇ。あいつも危うく殺されそうになったってビビッてたけどねぇ』
「フン……つまらん詮索をしようとしたからな。貴様もその口か?」
『いやいや、情報屋は信用が第一さ。依頼と関係のないことはしないよ。こっちも生命は惜しいからねぇ』
「まぁいい。こうして貴様に連絡したのは他でもない。実は急ぎで頼みたい仕事があってな……」
他愛もない会話を断ち切るべく一度瞑目したダイゴは、改めて依頼の内容を語り始める。
しばらくそれを黙って聞いていた中年男の表情が、やがて苦虫を噛み潰したようなものに変わった。
『……それはまた、少し面倒な仕事だねぇ』
「報酬に色は付ける。明日のこの時間までには探ってもらいたい」
『期限もずいぶんと厳しいじゃないか。それは報酬を倍くらいもらわないとねぇ……』
「いいだろう。時間がないのは、こちらも承知の上だ。では、頼んだぞ」
相手の要望に対して特に気にした様子もなくダイゴは言い放つと、用は済んだとばかりに通信を終了する。
冷たい光がわずかに室内を照らす中、おもむろに立ち上がった彼はその目に鋭い輝きを宿す。
(さて……こちらは良いとして、次は……)
深い闇だけが続く。
それはなにも見通すことができない世界。
その中で、ルナルは一人の青年の姿だけを認めている。
しかし、遠ざかっていく青年を追い続けながら、彼女はその背にまったく追いつけないことに焦燥を抱いていた。
「待って! 待って……兄様!!」
放たれる声は、切実な響きを持っていた。
その声に対し、青年は振り向くこともなく進み続けるだけだ。
「兄様! どうして……どうしてなにも答えてくれないの!?」
何度目かわからなくなる問い掛けをルナルが放つと、そこで青年――ソルドは初めて足を止め、意思のある言葉を発した。
「ルナル……もう、私に付きまとうのはやめるんだ……」
「に、兄様……?」
「私に……もう、お前は必要ない……」
それはあまりにも抑揚のない声だった。
普段、彼女が聞いていた優しさなど欠片もなく、むしろ鬱陶しいと言わんばかりに冷徹な響きを持っていた。
そして彼は闇の中を、再び歩き去っていく。
「に、兄様っ! 待って! にいさまっっ!!」
愕然として足を止め、ただ悲痛に叫ぶルナルの後ろから、語り掛けてくる別の声があった。
『抹殺しなければならない』
はっとして振り向いた彼女は、そこに一人の女の姿を見る。
それは他でもない、ルナル自身――もう一人のまったく同じ姿をした自分が、そこにいた。
「!? そ、そんな!?」
『敵となる者は、すべて抹殺する。それがお前の存在意義……』
なにかに気付いたように動揺するルナルに対し、もう一人のルナルは冷たく言い放つ。
それは普段の彼女と異なる人格であったものの、銀の瞳を持つ外見とは不思議と調和していた。
『偽りの感情など不要……すべてを抹殺するのだ』
「や、やめて……!」
頭を抱えてうずくまったルナルに対し、もう一人のルナルはゆっくりと歩み寄る。
そして、その耳元で冷たい微笑を浮かべながら、彼女は告げる。
『抹殺せよ。敵を……お前を惑わす、あの男を……』
「いやあああああああぁぁぁああぁぁぁっっ!!」
フェリアの部屋で目を覚ましたルナルは、全身に浮かんだ冷たい汗と共に身を震わせた。
時刻は深夜を回った頃である。星の光がわずか差し込んでくる室内で、彼女は今見たばかりの夢を思う。
「な、なんで……どうしてこんな夢を……?」
震える自分の身体を抱き締めながら、ルナルは誰に言うともなく問い掛ける。
「どんどん……ひどくなる。あの声が……また私を……」
絶望すら感じさせる表情の彼女に、もちろん答えを返す者などいない。
立ち上がり、ふらふらと歩んだ彼女は痛む頭を押さえて壁にもたれる。
「うぅっ……兄様っ……!」
鈍い苦痛の中、愛しき兄の姿を思い浮かべたルナルだが、次の瞬間ソルドの放った言葉が脳内にリピートされる。
『私に触るなっっ!!』
それはつい先頃パンドラで起こった出来事――兄から拒絶された時の記憶だ。
彼女の生前含めたこれまでの人生の中で、恐らくは最もショックと言えた出来事だ。
人が聞けば、大げさだと言われたかもしれない。それでもルナルにとっては、これまでになかったことだ。
ソルドが平静な状態になかったことは、もちろん理解している。
傍にいることができたなら、どんなことをしてでも彼の助けになりたいと思った。
しかし、現実は任務によって引き離され、兄の助けには他ならぬアーシェリーが選ばれた。
その事実がまた、彼女の不安に拍車をかける。
アーシェリーとの間のわだかまりが解決しない限り、ソルドは立ち直らない――理屈として理解はできても感情は納得できない。
兄が自分から離れていってしまうという恐怖はどんどん高まり、彼女の心は底なし沼のような闇へと沈んでいく。
「に、兄様……見捨てないで……! わたしを……助けて……!」
力なく床に倒れ込みながら、ルナルは嗚咽混じりのつぶやきを漏らした。




