(9)闇に隠された本質
翌日、フェリアを演じるルナルの姿はあるエレベーターの中にあった。
彼女の傍らには当然のごとくイーゲルがおり、冷たく光る階数表示を見据えている。
SSSオフィスの入ったビルには複数のエレベーターがあるが、その内のひとつはイーゲル含む重役が専用で使用している。
中規模企業が単独で借り切るエレベーターというのも奇妙な話だったが、その理由はすぐにはっきりとした。通常と異なるボタンの操作をすることで、それは極秘の地下階へ向かう唯一のエレベーターとなるのだ。
同時にそれが意味するところは、このビルが実質上SSSの所有物であり、それゆえにこのようなギミックを仕込めたということなのだった。
(……これがSSSの裏の顔……これほどの設備を持っているなんて……)
エレベーターを降り、青い光が灯る通路を進む中、ルナルはSSSという企業が表向き見せている顔が氷山の一角に過ぎないことを実感していた。
兵士を育成し派遣する闇の業務こそがSSSの本質であり、そういう部分ではアマンド・バイオテックなどの巨大企業にも引けを取らないということだ。
「ダイゴ、ご苦労だな。では、打ち合わせを始めようか」
通路の突き当たりにある部屋に入ったと同時に、イーゲルは中にいた人物に向けて声をかけた。
円形の会議テーブルの傍らに、一人の壮年の男が立っている。
ルナルは静かにその相手に目を向け、観察した。
(この男が……ダイゴ=オザキ。【統括者】の下僕にして元アマンド・バイオテックの重役……そして兄様を……!)
その姿は、彼女のメモリーデータに記録された外見や特徴と完全に一致していた。
こうして直接対面するのは初めてだが、この男がソルドを苦しめた人物であることを思うと、自然と表情が険しくなる。
そんなルナルの様子に、ダイゴもわずかに訝しさを覚えた様子だ。
(……なんだ? この秘書、前に会った時と雰囲気が違うようだが……?)
初対面の時も歓迎されていない印象を受けたが、今は殺気にも似た雰囲気すら漂っている。
それだけでなく、妙に全身が粟立つような感覚があった。
不快とも言える違和感に彼が目を細めた時、着席したイーゲルが静かに問い掛けてきた。
「で、【宵の明星】側からは、その後なんと?」
「ああ……それがだな……」
疑念を抱きつつもそれを抑えたダイゴは斜め向かいの席に座ると、昨日あった出来事を語り始める。
その話を聞く中で、イーゲルの表情が目に見えて変わっていった。
「……それはなんとも性急な話だな。いくらなんでも無理が過ぎるぞ」
「そうだな……かと言って、ここで断りでもしようものなら、せっかくのプレゼンも台無しになってしまう。それは我々としても本意ではない」
「しかし明後日までに百人近くの人員確保は難しいぞ。事前準備も含めれば、実質、明日までに揃える必要がある」
セレスト・セブン襲撃――計画としては相当大掛かりであるにも関わらず、準備期間はあまりにも短い。
しかし、苦虫を嚙み潰した表情をするイーゲルに対し、ダイゴは淡々と答えた。
「確かに急な話だが、兵としての質を求めなければ招集は不可能ではあるまい?」
「なに?」
そこで彼は手元に浮かんだコンソールを操作した。
それまで無機質だった壁面に、映像が映し出される。
「兵士育成プロジェクトの基準から外れた者たちがいるだろう? 奴らにSPSを投与し、間に合わせる」
「それでどうにかなるのか? 確かにSPSの性能は認めるが……」
「問題はない。ある程度の数が揃えられれば、あとは私のほうで手を打つ」
「ふむ……まぁ、いいだろう。どのみち使い道のない奴らだ。捨て駒として使う分には構うまい」
そこにはどこかの施設で行われている戦闘訓練の様子や、人名・能力・ランク分けといった内容の記されたリストが映し出されていた。
それを事細かに確認したルナルは、密かに息を呑む。
(これが兵士育成計画の概要……! 戦力外の不適合者ですって……!?)
しかし次の瞬間、彼女は目の前の光景が大きく揺らぐのを感じていた。
同時に、例の凄まじい頭痛が襲ってくる。
思わずテーブルに手をつき、ふらつく身体を必死に抑えるルナルだが、そこで秘書の異変に気付いたイーゲルが、怪訝そうな視線を向けてきた。
「ん? フェリア君、どうしたのかね? 顔色が悪いようだが……」
「い、いえ……なんでもありません。代表……申し訳ありませんが、少し席を外してもよろしいでしょうか?」
「ああ、構わんが……本当にだいじょうぶか?」
「はい。ご心配なく……すぐに戻りますので……失礼致します」
内心で焦燥を抱きつつ、ルナルは一礼をして男たちの元から離れる。
そんな彼女を訝しげに見送る二人だったが、ルナルの様子があまりに具合悪そうに見えたため、不審には思われなかったようだ。
ドアの閉まる音を聞きつつ、互いに姿勢を正した男たちは話の続きを始める。
「……しかし、このままレイドリックの思うがままにされるのも癪だな」
嘆息したイーゲルは、その目にわずかな憤りを宿していた。
もちろん【宵の明星】は重要な取引相手ではあるものの、使い勝手の良い駒と思われたくはないのだろう。
そんな彼の内心を察したように、ダイゴは頷く。
「ああ……恐らく今回の計画、成功を前提に考えてないだろう。奴らの狙いは、明らかに別のところにある」
「ほう……さすがだ。ダイゴ……その狙いが、なんなのかわかるか?」
「今のところは、はっきりとわからん。だが、その目論見をあえて外してやるのも面白かろうとは思っている」
それはダイゴ自身の本心でもあった。
世に混乱をもたらすためとはいえ、他者の意向に盲目的に従うのは彼もプライドが許さないと言ったところか。
もちろん、本来仕える主である【統括者】の意向は除いてだ。
「うむ……しかし、その辺の情報収集も含めて手を打つにしても、時間がないな。すぐに行動に移ったほうが良いだろう。不適合者共には、こちらで緊急に招集をかける」
「では、私は奴らの真意を探りつつ、準備を進めるとしよう……少し忙しくなりそうだな」
無機質な光の中、頷き合った男たちは揃って立ち上がる。
その二人の瞳には、それぞれに冷たい輝きが覗いていた。
(な、なんとか……持ちこたえた……)
その頃、化粧室の壁にもたれながらルナルは力尽きたように座り込んでいた。
例の声こそ聞こえてこなかったものの、あのまま二人のところに居続ければ間違いなく不審に思われたことだろう。下手をすれば、偽装が解けていた可能性もある。
やがてよろよろと立ち上がった彼女は、先ほど見た映像の内容を振り返って憤りをあらわにする。
(兵士不適合の人々を捨て駒に使うなんて、絶対に許せない……!)
ただ同時に、彼女は己の無力さを痛感してもいた。
シュメイスの情報通りSSSは独自に兵士を育成していたが、その規模は相当なものだった。なぜならリストに並んでいた人間の数は千を超えていたからである。
訓練施設も新太陽系各地に存在しているだろう。そして先のデータもSSSのすべてである保証はない。
いかに特務執行官と言えど、ルナル一人でどうにかできる規模ではなかった。
そもそもSSSが非人道的な企業であったとしても、それを断罪する権利は彼女にない。
オリンポスの任務はカオスレイダーを掃討し人々を守ることであり、同じ人間に向けて振るう力ではないのだ。
(とにかくセレスト・セブンの襲撃計画を阻止しないと。早くオリンポスにも伝えなければ……!)
それでも、ルナルにできることがないわけではなかった。ダイゴ=オザキが関わっていることが判明した今、その動きは確実に潰さねばならない。
ここでセレスト・ワン以上の戦いが勃発すれば、また世の中は大きく混乱し、混沌の力が溢れてしまうだろう。それは【統括者】たちの望むところであるし、恐らく狙いでもあるはずだ。
呼吸を整え、身だしなみを直したルナルは計画阻止への思いを新たにすると、毅然とした表情を作り化粧室を出た。




