(6)冷たい月影
シュメイスはルナルと、最後の情報共有を行っていた。
あのあと一度別れた二人は、SSSに関する情報を各自で調べつつ行動を起こすタイミングを見計らっていたのだ。
一晩の時間を置き、様々な追加の情報を得られた今、潜入を敢行するには頃合いと言えた。
彼は自身が古巣と呼んでいた部屋に陣取りながら、目の前に浮かぶ光の渦を眺めている。
そこに浮かんでいるのは、言わずと知れた青髪の特務執行官の姿だ。
『イーゲル=ライオット?』
「ああ。現在のSSSの代表の名前だ」
言いながらシュメイスは、一人の人物データをルナルに見せる。
金髪に鋭い目つきをした男の映像は、どこか冷たい印象を見る者に抱かせた。
「SSS自体は世襲でトップを決めていたわけじゃないが、前代表の息子である奴はかなりのやり手だった。裏社会での評価も高い……えげつないやり口も平然と行う人物のようだ」
そこまで語ると、彼は追加のデータを提示する。
イーゲルという男の経歴がずらっと並ぶ中、その内の一部を指し示すと、更に別枠でスクリーンが開く。
「そして、奴の大学時代の同級生にダイゴ=オザキの名前があった。二人の関係まではわからなかったが、少なくともダイゴがSSSの参与になったことと無関係じゃないだろうな」
『そう……』
文字列の多いそれらのデータを見つめるルナルの反応は、ひどく淡白だった。
やや首を傾げたシュメイスは、改めて仲間の姿を観察して違和感を覚える。
「……おいおい、だいじょうぶか? ずいぶん顔色が悪いようだが?」
別行動を取る前はそんなこともなかったのだが、今のルナルはひどく疲れた顔をしている。
まだ任務に取り掛かったわけでもないのに、なぜ疲労しているのかも不明だ。
なにか問題でも起こったのかと口を開きかけた彼を制するように、ルナルは抑揚の少ない声で答えた。
『……問題ないわ。つまり、SSSとダイゴ……カオスレイダーとの関係を探るのなら、そのイーゲルって男に近付くのが近道ってことね』
「……まぁ、そういうことになるな」
『シュメイス……普段からイーゲルに近しい人物はいないのかしら? たとえば秘書とか……』
「秘書? いることはいるな。ちょっと待ってろ」
疑問は晴れなかったが、彼女の問いに答えつつ、シュメイスはコンソールを叩く。
ややあって出てきたデータをスクリーンに映すと、そこには赤毛の美しい女の姿があった。
「フェリア=エーディル……イーゲルの個人秘書だな。表裏双方での業務に関わっている点では、彼女が一番の側近的人物と言えるだろう」
『フェリア=エーディルね……覚えたわ』
フェリアという女の映像をどこか鋭い視線で見つめたルナルは、冷たさを感じさせる声でつぶやく。
シュメイスは、そこでなぜか悪寒めいたものを感じた。
「おい、ルナル……どうするつもりだ?」
『ええ……そのフェリアって人間と入れ替わればイーゲルに近付くことはおろか、一気に有益な情報が掴めるんじゃないかと思って』
「入れ替わるって……お前、まさか?」
『彼女のDNA情報を手に入れて、すり替わるわ。上辺だけ真似るよりは、そのほうが確実でしょ?』
驚きに声を大きくした彼に目を移し、ルナルはやはり抑揚の少ない声で言い放つ。
特務執行官は原子変換システムの力で、容易に他者になりすますことが可能だ。
特に対象となる人物のDNAデータを取得すれば、ほぼ完全な模倣ができるようになる。
ただ、詳細なDNAデータを入手するには対象との物理的接触が必要となる。まったく面識のないフェリアという人物に気付かれずアプローチすることは、容易ではないはずだ。
更にはすり替わるという目的上、フェリア自身にもしばらく消えてもらう必要があった。
『心配しなくても、殺すような真似はしないわ。もっとも簡単にバレても困るから、念入りに準備はさせてもらうけどね……』
「ちょっと待て。ルナル……おい!」
あまりに不穏な雰囲気を漂わせたルナルに、シュメイスは詰め寄る。
言葉通りカオスレイダーでない人間を殺害する意思はないとしても、なぜか不安を拭えなかった。
しかし当のルナルは、そんな彼を無表情に見つめるだけである。
『そろそろ行動を開始するわ。なにかわかったら、こちらから連絡するから……』
端的に言い放つと、そのまま彼女は通信を切った。
再びわずかな静けさの戻った空間で、シュメイスは拳を握り締める。
(なんだ? この違和感は? 元から二面性のある奴だと思ってたが、これじゃ……)
まるで別人ではないかと思えた仲間の様子を思いながら、彼は冷たい汗が伝い落ちるのを感じていた。
セレストの天は二色しかない。
大気の満ちる惑星上と違い、エリア全体を覆うクリスタルドームに包まれた空間は光の散乱が弱い。朝焼けもなく、闇が立ち去ったあとに見えるのは常に青い空だ。
たまにその向こうに星の輝きが映り込むのは、独特の景色と言って良いかもしれない。
そんな空を無人のビルの屋上で眺めながら、ダイゴは葉巻を燻らせることもなく立っている。
やがて、そんな彼に背後から語り掛けてくる声があった。
「やぁ、ダイゴ……久しぶりの友人との語らいはどうだったかな?」
音もなく姿を現した黒い影――主である【ハイペリオン】に向き直りながら、彼は片膝をつく。
「どうということもありません。元からそこまで親しかったわけではありませんので……」
冷めたようにつぶやくダイゴの顔には、これといった感情も浮かんでいない。
イーゲルという男と過ごした時間は今の彼にとって、混沌の使者としての目的を果たすための手段に過ぎないのだ。
そんな彼を見つめ、【ハイペリオン】は黄金の瞳を閃かせる。
「ふ~ん……ま、いいけどね。それで、彼らは使えそうかい?」
「利用価値は充分にあるかと。今後のSPS培養に必要なプラントも確保できました。これで憂うことなく、混沌の力を広げることができるようになるでしょう」
「それはなによりだね……ところでダイゴ、君にふたつばかり伝えておきたいことがある」
「は……」
主の言葉に顔を上げたダイゴは、そこにいつの間にか姿を現したもうひとつの影を認める。
【ハイペリオン】よりも一回り大きいその影は、血の色にも似た赤い瞳を輝かせていた。
「貴様が、ダイゴ=オザキか?」
やや慇懃とも思える野太い声で、影は告げる。
わずかな訝しさを覗かせたダイゴは、【ハイペリオン】へと視線を移した。
「【ハイペリオン】様……こちらは?」
「目覚めたばかりの僕らの仲間さ……そういえば、君はなんと名乗るつもりだったかな?」
「名前など我らに意味もない。しかしそれで不都合というのなら……【イアペトス】と名乗らせてもらおうか」
「【イアペトス】様……」
新たな【統括者】――混沌の主の出現に、ダイゴは再び頭を垂れる。
しかし【イアペトス】は、そんな彼の仕草を無視して、暗闇の手を握り締める。
「それよりも久々の現し世よ。早くこの力を振るいたいものだ……!」
「……気持ちはわかるけど、まだ少し控えてもらったほうがいいかな。意識が固着したとはいえ、さすがに力は戻り切ってないだろう?」
「フン……くだらぬ奴らを屠る力くらい戻っておるわ。特務執行官といったか? 秩序の戦士の出来損ないの連中は……」
「彼らを甘く見ないほうがいいよ。まだ未熟とはいえ、その力は侮れない……アレクシアの二の舞になりたくはないだろう?」
昂りを見せる同胞を牽制するように、【ハイペリオン】は視線を鋭くした。
【イアペトス】はいまいましげに瞳を歪めるものの、あえて反論しようとはしない。
そこでふと疑問を抱いたダイゴは、わずかにまた視線を上げた。
「恐れながら【ハイペリオン】様……アレクシアの二の舞とは?」
「ああ……あの女は死んだよ」
「!? なんと!?」
端的に放たれた主の言葉に、ダイゴは初めて驚いた表情を見せる。
「あの女には、地球での実験を頼んでいたんだけど……どうやら特務執行官にやられたらしい。反応もまったく消えてしまっている」
「特務執行官に……そうですか」
視線を落とし、彼はつぶやく。
決して反りの合う女ではなかったものの、その力を認めてはいただけに衝撃はあった。
「伝えたいことが一気に済んだね。ひとつ目は【イアペトス】のこと、ふたつ目はあの女のことってわけさ」
【ハイペリオン】はそんな彼を一旦見やったあと、視線を上げる。
どこか安堵したように金眼の【統括者】は、言葉を紡いだ。
「ま、僕としては余計な気苦労がなくなったというものさ。獅子身中の虫は飼いたくないからね……」
彼がアレクシアを好ましく思っていなかったことは、ダイゴも承知していた。
理由までは聞かせてくれなかったものの、アレクシアがいつか裏切るという懸念を持っていたらしい。
人ならざるものであっても、変なところで人並みの感情はあるものだと思う。
そんな不遜な思いを抱いた下僕の心を見抜いたのか、【ハイペリオン】はやや語調鋭く続けた。
「君も思うところはあるだろうけど、今は予定通りに行動を起こすことだね。混沌をこの世に満たすために……」
「はっ……かしこまりました」
地を見据えたダイゴはうやうやしく答えつつも、本懐遂げることなく果てた女の末路を少し哀れに思った。




