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APOLLON -灼熱の特務執行官-  作者: 双首蒼竜
FILE2 兄妹の絆は悲しみの中に
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(1)月の女神の名を持つ者


 そこはむせ返るような空間だった。

 もうもうと立ち込める水蒸気が、霧のように視界を遮っている。

 リノリウムの床を満たしているのは、澱んだ緑色の液体である。

 わずかな部屋の傾斜に沿って、せせらぎのように流れ続ける。

 バチリ、バチリと不快な音をたてるのは、あちこちで弾けて消える無数の火花だ。

 その音に混じって聞こえてくるのは、低い唸りを伴った空調の稼動音である。

 しかし、まともに機能していないであろうことは、霞が晴れないことからも明らかだった。


「あ……かっ……」


 その中に、ふたつの人影があった。

 重なり合うように寄り添う影のひとつから、苦しげな声が漏れている。


「ク、ク、ク……」


 もう片方の影が、微かに笑う。

 片言のようでいて、強い威圧感を伴った声である。


「…………な……ぜ……だ……?」


 苦しげな声は、問いかけるようにつぶやく。

 そこには、戸惑いと動揺の響きがある。


「……コタエルヒツヨウハ、ナイ……ダガ……」


 寄り添うふたつの影は、歪に動く。

 片方の影が伸ばした腕は、もう片方の胸板に突き刺さり、どくどくと脈動している。

 それは、なにかが腕を伝って流れ込んでいるかのような光景だ。


「オマエハ……サイジョウノ、エサ……」

「う、あ、ぐああぁ……!」

「オマエハ……ワレ……」

「うぐああああぁぁぁぁあぁぁ!!」


 苦痛に叫ぶ声が、片言の声を打ち消した。

 刺された影の全身が痙攣したように動くが、やがてそれは収まり指一本動かなくなる。

 ゆっくりと腕が引き抜かれると、不動となった影は床へ崩れ落ちた。

 水しぶきの音が、火花の音に重なる。


「……スベテヲ、コントンニ……キスタメニ……」


 残された影はうわ言のようにつぶやくと、その場を歩み去っていった。



 それから数分後、その場に倒れた影が再び立ち上がったことを、知る者は誰もいなかった。






 遥かな高みから地上を見下ろすのは、神の特権と呼ばれていた時代がある。

 しかし、新暦を百年以上経た現在において、それは特に珍しいものではない。

 高層ビルから地を見下ろすような光景ではなく、衛星軌道から雄大な星のカーブを眺めるのも日常となった時代である。

 暗闇の中で輝く星の様々な色は、人類の得た新たな情景と言っていいだろう。

 かつて人は住み慣れた星を離れ、新天地へと移住した。

 それは神の手を離れ、神の領域へ近づいた証とも言える。

 しかし、神は意地悪である。

 人類の進歩の先に恐るべき罠を用意していた。

 それこそが、あらゆる生命を乗っ取る混沌の使者たち――カオスレイダーという名の災厄であった。

 そして災厄は人のあるところ、常に存在するのである。




 火星の赤道部に屹立する軌道エレベーター。

 その頭頂部は直径二十キロの円盤状構造体であり、定期連絡船や商船の発着場の他に、巨大企業の研究施設が軒を並べている。

 外郭部には各エリアを繋ぐための超電導ライナーが、網の目のように走っていた。

 完全自動制御によって運行する車両は、クリスタルチューブの中を無音で走ることが可能である。

 外に広がるのは、複色のコントラスト――眼下に広がる惑星が、太陽の光を受けて眩しく煌めく。

 快適性と絶景とが相まって、超電導ライナーはムードスポットとして有名であった。

 ネットを調べれば、常に恋人同士の語らいの場として上位にランクされている。

 もっとも、それは良いことばかりではない。

 密閉された空間を走るために車両内でトラブルが起きても、救援が駆けつけることは困難というデメリットを抱えてもいるのだ。

 それでも想定された多くのトラブルであれば、解決できるだけの人員もシステムも車両には備わっていた。

 あくまで人間の起こすトラブルであれば、だが。


「うあああああぁああぁぁぁぁ…………!!」


 絶叫と共に深紅の飛沫が、壁面に飛び散る。

 重い音と共に床に転がったのは、血にまみれた頭蓋である。

 まるで般若のような表情が凍りついたように固まっている。

 遅れて首なしの死体が重なり、流れ出した鮮血が錆びた鉄の臭いを漂わせた。


「スベテハ……ムニ……」


 死体を放り出したのは、緑色をした化け物である。

 その姿は二足歩行のトカゲという表現がしっくりくる。

 飛び出した金色の瞳がせわしなく動き、辺りの様子を探っている。

 すでに、その車両に生きている者はいない。

 様々な形で殺された人間たちが、文字通り血の海に沈んでいた。


「……コントンニ……キスタメニ……」


 トカゲは、陶然とした様子でつぶやく。

 びちゃびちゃと血溜まりを踏みしめる音が、不気味に響き渡る。

 怪しくうごめくその指を舐め回し、鮮血の味に舌鼓を打っている。

 殺戮は至上の餌を得る手段であり、混沌を導く最も手っ取り早い手段である。

 カオスレイダーとして目覚めたトカゲには、目に映るすべてが獲物であった。



 しかし、その殺戮者にも天敵は存在するのだ。



 車内に、光が集まってきていた。

 粉雪のように輝く銀色の粒子がどこからか流れ込み、収束していく。

 そして、集まった粒子は一際眩い閃光を放った。


「ム……?」


 トカゲは、訝しげな反応をした。

 先ほどまで誰もいなかった場所に、一人の女性の姿が現れている。

 澄んだ青のロングヘアーと、やや濃い目で合わせたような同系色のワンピースに身を包んでいる。

 整った顔立ちの中に輝く瞳は、美しい銀色の光を放つ。

 その姿は女神のような人間離れした雰囲気を漂わせる。


「コードナンバーS121の対象を発見……掃討を開始します」

「キサマ……ナニモノダ!?」

「我は月光……静寂の守護者。安らぎ乱す悪の輩を、正義の光で貫かん……」


 トカゲの問いに、女性は静かながらも威圧的なトーンを秘めた声で告げる。

 メタルシルバーの瞳が、冷たい輝きに満ちた。


「我が名は……特務執行官【アルテミス】」

「ナニ……!?」


 トカゲが驚愕の声をあげたのと【アルテミス】が動いたのは、ほぼ同時だった。

 一回の跳躍で距離を詰めた彼女は、そのまま前転し、トカゲの顔面に痛烈な踵落としをいれる。

 爬虫類の顔が不気味に歪み、次の瞬間には床の血溜まりに頭ごと叩きつけられた。


「ヌグッ……!?」


 トカゲは身を起こしつつ首を振ると、右腕を突き出した。

 一瞬で鋼鉄の槍と化した腕が、唸りをあげて伸びていく。

 紙一重で【アルテミス】がその一撃をかわすと、背後の内壁が大きくへこんだ。

 彼女は右手に、一本の光の矢を生み出す。

 そのまま、手首のスナップだけで矢を投げつけた。

 眩い白光の一閃はトカゲの右腕に突き刺さり、次の瞬間、音もたてずに爆発する。


「ウオォッ!?」


 右腕を半分失い、あとずさるトカゲ。

 瞳に忌々しげな光を宿した化け物は真後ろに飛んで、次の車両へのドアを打ち破った。


「逃げる? そうはいかない……」


 わずかに目を細めながら、飛び出したトカゲを追って【アルテミス】は駆け出す。

 その左手にはいつの間にか光の弓が、右手には新たな光の矢が出現している。

 すぐにトカゲの姿を捉えた彼女は、その背に向けて狙いをつけた。


「数多の光よ! 我が敵を屠れ!」


 引き絞った弓から、光の矢が放たれる。

 矢は次の瞬間、無数の光に分裂し、散弾となってトカゲの全身を撃ち貫いた。

 全身を穴だらけにされた化け物は衝撃で吹き飛ばされ、もんどりうって倒れる。


「ここまでね……」


 新たな矢をつがえ、【アルテミス】はとどめの一撃を放とうとする。

 しかし、トカゲは意外なまでのスピードで体勢を立て直すと、死角となるシートの裏側へと姿を隠した。

 疾走して跳躍し、空中から敵の姿を視界に捉える【アルテミス】。

 だが、その瞬間に閃くものがある。

 とっさに彼女が上体を反らすと、傍らを鋭い槍の一撃がかすめていった。

 敵の見せた変化に、美顔がわずかに歪む。


(……再生が早い!? どういうこと?)


 トカゲは、一番最初に彼女が対峙した時と同じ姿に戻っていた。

 全身に空いたはずの無数の穴も、吹き飛んだはずの右腕も元通りに治っている。

 正確にはその痕跡となる部分はあったものの、ほぼ完全に再生したと言って良い。

 トカゲにふさわしい能力ではあるが、それにしても……と【アルテミス】は思う。


(コスモスティアで損傷した箇所が、こんな短時間で完治することはあり得ない。この敵は、なにか特殊な力を持っている?)

「ゴアアアアァァアアァァァァ!!」


 一瞬、思考に集中力を奪われた時、トカゲの姿が彼女の眼前へと現れていた。

 鋭い鉤爪が振り下ろされる。

 とっさに光の弓で防御したルナルだが、その恐るべきパワーで通路の端へと飛ばされる。


(く……油断している場合じゃないわ。ならば、一撃で破壊するのみ……!)


 猫のように身を翻して降り立つと、【アルテミス】はトカゲに向けて、弓の狙いをつけた。

 全身に淡い光が満ち、その光が右手に収束されていく。

 やがてそれは、眩いばかりの巨大な矢と化した。


「消えなさい!!」


 声と共に光の矢が放たれ、次の瞬間、五つの流星へと姿を変えた。

 流星は意思があるかのように複雑なカーブを描き、トカゲの全身へと吸い込まれていく。

 そして凄まじい閃光と共に、その身体が弾け飛んだ。


「……掃討、完了」


 細切れの肉片になって飛び散ったトカゲを見つめながら、【アルテミス】は静かにつぶやいた。

 さすがのトカゲも、木っ端微塵になってしまってはひとたまりもないだろう。

 彼女の前に、ただひとつ原型を残した頭だけが転がってくる。

 不気味な眼を縦横に動かし、トカゲは自らを葬った女へと語りかけてきた。


「フ、フ……コレ、デ……カッタ、ト……オモワヌコトダ、ナ……」

「なんですって?」

「スベ、テハ……ハジマリ……ハ、ハハハハハ……ハハハハハハハハハハハハ!!」


【アルテミス】が訝しげな表情をして近寄ろうとした時、トカゲの頭は哄笑と共に砕け散った。

 肉の飛沫が四方に飛び散るが、すぐにそれも淡雪のように溶けて消えていく。

 あとには、ただ静寂が残ったのみだ。


(勝ったと思わぬこと……すべては始まり……ただの負け惜しみとは思えない……)


 敵の残した言葉を反芻しながら【アルテミス】は、しばし立ち尽くす。

 口から漏れたため息が、存外に大きく聞こえた気がした。


(敵の能力を分析しなかったのも失敗したわ。この一件……あきらかにまだ終わっていない)


 その瞳には、いまだ鋭い光を宿したままである。

 やがて彼女は掌を掲げ、その上に光のスクリーンを浮かべた。


「【アルテミス】より、オリンポス・セントラルへ……」


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