(3)電脳の蛇たち
すえた臭いのする空間の中で、ルナルはシュメイスの話を聞いていた。
彼の語った自身の過去――それは特務執行官として共に戦ってきたルナルにとっても、驚きを禁じ得ない内容だった。
「シュメイス……あなた、ハッカーだったの!?」
銀の瞳を見開きながら言った彼女に向けて、シュメイスは嘆息気味に答える。
「ああ。自慢じゃないが、昔はそれなりに名を馳せてたもんさ。生前の通り名は【ヘルメス】……今とおんなじってのは、皮肉な話だけどな」
「なんで裏社会のハッカーが、特務執行官になったのよ?」
反射的に問い返したルナルの言葉は、恐らく別の仲間であったとしても同様だったかもしれない。
ただ、普段飄々としている金髪の青年も、それに対しては鋭い視線を返した。
「そこまではさすがに勘弁してほしいもんだな。あまり過去を根掘り葉掘りされたくはない……お前も同じだろ?」
「そう……だったわね。ごめんなさい……」
どこか不機嫌そうな様子のシュメイスに、ルナルは素直に謝罪する。
特務執行官の生前の話は本人が望んで語ろうとしない限り、基本的にはタブーだ。
椅子をくるりと回し、再び端末のモニターに向き直ったシュメイスは、軽く頭を掻いた。
「ま、そういうわけで裏との繋がりもそれなりに持ってたりする。戦域情報管理官なんて肩書をくっつけられたのも、それを見込んでの司令の判断さ……」
「じゃあ、さっきの男とはその頃から?」
「いんや、違うな。お前、俺がいつから特務執行官やってると思ってる? お前よりも古いんだぞ?」
そう答えた彼の声は、いつもの調子に戻っていた。
コンソールを遊ぶように叩く音が、狭い室内に一時だけ響く。
「それを抜きにしても付き合いが長いのは事実だけどな。今回もセレスト・ワン侵攻に関する情報をあらかじめ探ってもらってたわけさ」
「探ってもらってたって……この任務の前からってこと?」
「調査任務が来る可能性は、考えていたからな」
ルナルは、シュメイスの先見性に改めて感心していた。
セレスト・ワン陥落から今回の指令が下されるまで、そう時間は経っていない。
そのわずかの間に、彼は【サイバー・バイパー】と接触していたということになる。
「おっと……そういうわけで、約束の時間だな。じゃ、ちょっと行ってくる。あ、それとイタズラはすんなよ?」
「しないわよ。そんなこと……」
嘆息気味に答えたルナルにシュメイスは軽く笑みを向けると、端末に直接、その手を同化させた。
瞑目した彼はそのまま、電脳空間へのダイブアクセスを開始する。
その様子を静かに見つめるルナルの前で、モニターの光が強く弾けた。
青い光の渦を通り抜け、シュメイスの意識は別世界に飛ぶ。
それは電子の情報によって構築された仮想空間だ。
現実の街並みを模しつつも、どこか違和感を覚えさせる光景――その中に降り立った彼の意識は翼を持った蛇の姿を取る。
いわゆるペルソナというやつだ。セントラルの電脳人格たちは明確な女性の姿をしているが、今この街を動く者たちは、生物無生物問わない異なる独自の姿をしていた。
翼持つ蛇は飛ぶように移動しながら、目的のポイントへと進んでいく。
現実の街並みと違い、立体迷路のような構造をした電子の街はそれ自体が高いセキュリティを持っている。
隠しカメラや盗聴器といったものは当然仕掛けることもできず、互いの個人情報もペルソナとしてしか認識されない。
そのため、情報を生業とする者の多くはその取引にこの空間を用いることが多かった。
現実世界のドアに当たる光壁をいくつもくぐり抜け、翼持つ蛇が辿り着いたのは古びたバーのような内観を持つスペースだった。
無人かと思われたそこには、すでに人ならざる先客がいた。
紫色をした蛇のペルソナが、翼持つ蛇を認めて舌を鳴らす。
「やぁ、時間通りだね。さすがは【ヘルメス】だ」
その口から放たれた言葉は紛れもない人間のものであり、見た目にそぐわない人懐っこい雰囲気を持っていた。
先刻、話をした情報屋――【サイバー・バイパー】を見据え、シュメイスはカウンターの椅子の上に降り立つ。
「ま、表だろうが裏だろうが、時間にルーズな奴は信用ならないってね。それは当たり前だろ」
「確かに、違いないね」
同様に蛇の口からいつもの口調でシュメイスがつぶやき、それに紫の蛇が頷きを返す。
二匹の蛇が酒場で会話する様子は、他の者が見たらあまりにシュールな光景に映っただろう。
「さて、早速で悪いが、あんたの掴んだ情報を教えてくれ」
「そうさね……まずは、セレスト・ワンの陥落で得をした連中の話でもしようか」
紫の蛇こと【サイバー・バイパー】は、やや上目遣いになって話を始める。
「今回、セレスト・ワンが落ちたことで、政府の採掘関連企業の株が軒並み下がったのは知ってるだろう?」
「ああ。主にセレストに拠点を置いている企業だな。逆に政府と関わりがなく、かつ競合する企業の株は買われて一気に上昇している……」
「ただ、セレスト・ワンへの襲撃前、この動きを予知したかのように一部の投資家たちが政府関連企業株を手放し、競合企業の株を購入しているんだ。そして侵攻後に売り抜けて、多額の差益を得ている……」
そこまで言ったところで紫の蛇が尾を振ると、中空にいくつかのスクリーンが浮かび上がる。
そこにはグラフや数値による公的な株式データと、非合法に入手したと思われる個人の売買履歴が映し出されていた。
「セレストの政府関連企業株は、値崩れの可能性が低い超優良物件のはずだ。それをわざわざ手放すってのは考えにくい話だな」
「そもそもセレスト・ワンの陥落自体、誰も想像できない話だったからね。市場の動揺も相当なものだった」
データを見つつ唸った翼蛇の言葉を継いで、紫の蛇は続ける。
その視線が売買履歴のリストに向くと同時に、スクリーンがやや拡大した。
「これが投機目的の連中だけなら、まだ偶然という線もあったんだけどね……この動きに同調した大投資家がいる。それがジーン=ロジャーだ」
そのスクリーンには、不敵な笑みを浮かべた白髪の老人の姿が映っていた。
裏だけでなく表でも顔の知れた投資家の一人だが、あまり良い噂は聞かない人物だ。
「【偉大なる守銭奴】か。どっちかっていうと、反政府寄りの投資家だったな」
翼蛇が皮肉げに言うと、紫の蛇は舌をくるくると回す。
「確かに彼は反骨心旺盛な人物だけどね。ただ、それが投資判断に影響することはなかった。しかし今回、このイレギュラーな動きには乗っかっているわけだ」
「つまり、ジーン含め……セレスト・ワンが陥落することを確実視してた連中がいるってことか」
「そういうことだね」
ギャンブルのような投機と違い、投資は損失を最小化し利益を上げることを目的とする。
今回、利益を上げたという投資家たちは、セレスト・ワン陥落に繋がる有益な情報を得ていた可能性が高い。
「その確実視の根拠は、なにか掴めているのか?」
「それと考えられるものはあったね。ジーンは最近ある企業に、密かに資金供与を行っていたんだ。SSSの名は知ってるだろう?」
そこで【サイバー・バイパー】は、唐突に話の内容を切り替えた。
シュメイスはほぼ即座に、その問いに反応する。
「サーパス・スタッフ・サービス……多方面で優れた人材を派遣することを謳い文句にした企業だな。しかし裏では、戦争やテロのための人材を派遣している。別名をスローター・スタッフ・サービス……」
「そう。どちらかといえば、裏での名前のほうが知れ渡っている会社だ。【宵の明星】との繋がりも深いね」
「ああ。【宵の明星】は規模こそ大きいが、その大半は戦闘経験もない一般人だ。軍事行動を起こせるだけの洗練された人材は限られている。それを補っているのが、傭兵斡旋業などの存在だからな」
「ここまで聞いてどうだい? なにか見えてきたんじゃないかい?」
どこか得意げな様子で、舌を回す紫の蛇。
ややあって、翼蛇は静かな口調でつぶやいた。
「なるほど。今回の襲撃……そもそもが【宵の明星】の目論見じゃなく、ジーンの金を元にSSSが企てた事件ってことか」
「そういうことだね」
「しかしなぜ、SSSはそんなことをする必要があった? それに奴らはどうやってあの兵士を作り出した?」
「まぁ、今回の一件……そこが最も気になるところだろうねぇ」
そこで【サイバー・バイパー】は、わずかに嘆息する。
「競合に対する優位性を確保するためのプレゼンという見方はできるけど、正直、SSSの目的は不明だ。ただ、そこには新たな参与が関係しているんじゃないかな」
「参与? 雇われ役員か……どんな奴だ?」
唐突に出てきた単語に、シュメイスは訝しげに問い掛けた。
ただ、その問いに対しても【サイバー・バイパー】は、明確な回答を返さない。
「それが詳しい情報は掴めなかった。ただ、相当なコネクションを持っていることは確かだね」
凄腕の情報屋として曖昧な情報を提示するのは、やはり気分の良いものではないらしい。
ふと【ラケシス】もそんな一面を持っていたなと思いながら、シュメイスは相手の言葉を待つ。
「もっとも、あの緑色の兵士はバウアー上院議員の襲撃時にも目撃された奴だ。当時、裏ではアマンド・バイオテックが動いていたようだし、その上でジーンのような大物と面識を持つ人間となると出てくる人物は限られるね……」
「……推測で構わないから、教えてもらえるか?」
「君も今の内容で、わかったんじゃないかい? 自殺という体で突然世間から姿をくらませた男――元アマンド・バイオテック情報統括役員のダイゴ=オザキだよ」
鋭い光が、二匹の蛇の目に閃く。
電脳空間であるにも関わらず、両者の間に重い空気が流れたように感じられた。




