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APOLLON -灼熱の特務執行官-  作者: 双首蒼竜
FILE6 変わるもの変わらないもの
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(12)深海よりの脱出


 深き水底での戦いは、ソルドにとって初めてのことであった。

 いや、仮にソルドでなかったとしても、経験の深い特務執行官はいなかったろう。カオスレイダーは人間に寄生していたがゆえにその戦いは陸戦が主体で、稀に空という場合がほとんどだったからだ。

 戦闘形態の特務執行官は、ありとあらゆる空間における適応性を持っている。普通の人間なら死に至る深海や宇宙空間であっても活動に支障はない。

 しかし元が人間である彼らだけに、水中での動きや戦い方には残念ながら習熟していない。

 加えてソルドは本来の力を発揮できない状態にあり、また彼の得意とする炎も使うことができない環境だ。

 まったく不利な条件しか揃っていない赤髪の青年が、新種カオスレイダーとなったクジラに勝てる道理はないと言えた。


(く……そおおぉぉっ!)


 それでもソルドは、容易くあきらめるわけにはいかなかった。

 しつこく絡みつくヒゲをエネルギーを帯びた手刀で叩き切り、行動の自由を取り戻す。

 それに気付いたクジラは巨体に似合わぬスピードで旋回すると、ソルドに向けて迫りくる。

 鼻面による体当たりをなんとか回避するも、巻き起こった激しい水流に青年の体勢は大きく乱される。


「ゴアアアァァアァァァァァァ!!」


 クジラの咆哮が、水中に衝撃波を放つ。

 凄まじい圧力となって押し寄せたそれは、ソルドの身体を深海の岩壁に叩き付ける。

 苦痛の叫びが気泡となって放たれる中、クジラは更なる体当たりを敢行してくる。

 とても水中とは思えない速度での突進をなす術もなく食らい、青年は岩肌ごと押し潰される。


(ぐ……く……!)


 砕けた岩肌に人型の跡を刻むも、ソルドは力を振り絞って敵を押し返そうとした。

 しかし、巨体はびくともしない。それどころか更なる力をもって彼を押し込んでくる。

 身体が軋み、圧迫された肺から血混じりの気泡が漏れる。

 クジラはそんな彼を嘲笑うかのように、次なる攻撃を仕掛けるべく自ら身を引いた。

 ソルドが自由を取り戻したと思ったのも束の間、今度は複数に伸びた太いヒゲが鞭となり、彼の全身を打ち据える。

 凄まじい衝撃に右に左にと跳ね飛ばされた青年の口から、更なる血が水中に飛び散る。


(いかん……これほどまでとは……これで、は……)


 霞んでくる意識の中でなんとかソルドは離脱しようとするも、敵はまったくそれを許さない。

 意思を持ったように再び絡み付いてきたヒゲが彼の身体を引っ張り、なおも岩壁に叩き付ける。

 戦闘形態の維持すら困難になりつつあるソルドに、もはや抗う力は残されていなかった。


(やはり……これも報いなのか……)


 もはや戦いとも呼べず、一方的に嬲られる中で彼は思う。

 ミュスカを、フューレを、そしてノーマンを――守れなかった者たちの顔が、走馬灯のように浮かんでくる。

 人々を守るために重ねてきた罪が、異形のクジラによって裁かれようとしている。

 倒すべき敵によって裁かれるというのはなんとも皮肉な話だが、激しく荒れ狂う水の中で、彼は再度の死を覚悟していた。


(この深き海の底が、私の墓場か……こんな結末になろうとは、な……)


 彼の脳裏には次いで、ルナルたちの顔が浮かんできていた。

 思えばオリンポスの仲間たちにも、迷惑をかけっぱなしだった。

 ただ一人の妹は、この結末に泣き叫ぶことだろう。

 それでも今の彼には、どうすることもできない。


(シェリー……あとは、頼む……イサキたちを……守って……くれ……)


 最後にソルドの頭に浮かんだのは、緑髪の美しき女性だった。

 犯した罪も償えなかったどころか、イサキたちのことも託さねばならない現実に不甲斐なさでいっぱいになる。

 しかし、水の中で黄金の瞳に微かな光が煌めいたその時、彼は強い叫びのような念を感じ取る。


『ソルドォォォォッ!!』

(……シェリー……?)


 わずかにその方向へ目を向けた時、彼は近付いてくる緑の光を目にしていた。

 その光の中、アーシェリーが必死の形相で手を伸ばしている姿が映る。

 ただその瞬間、ソルドの身体はまたしても硬い岩肌に叩き付けられてしまう。

 砕けた破片が視界を埋め尽くしていく中、それを最後に彼の意識は途切れた。






 赤い血を深い青の中に振り撒きながら、アーシェリーは叫ぶ。

 声にならない悲痛なそれは、果たして青年の元に届いただろうか。

 巨大な異形が殺意と混沌の力とを撒き散らしつつ、ソルドを叩きのめし翻弄する。

 その様子を、彼女は絶望的な面持ちで目にしていた。


(カオスレイダー……うああああぁああぁぁぁぁぁっっ!!)


 普段は絶対に見せることのない強烈な感情を、アーシェリーは解き放つ。

 そのまま手にした銀の槍を、凄まじい勢いで投擲した。

 回転により渦を巻き起こして突き進んだそれは、気が付いたように目を向けたクジラの紅い目に勢いよく突き刺さった。


「ゴアアアアアアァァァァァァアアァァッッ!!」


 苦痛を思わせる咆哮が巨体の口から漏れる。

 暴れるように身を捩ったクジラの周囲の水が乱され、強烈な水流を巻き起こす。

 しかしその中を迷うことなく突き進んだ緑髪の特務執行官は、力を失って海底へ沈みかかっていた仲間の身体を強く抱き止めた。


(戦闘形態が解けかかっている! このままでは、ソルドが死んでしまう!)


 意識をなくしたソルドの身体は、エネルギー消費の少ない通常形態へ戻ろうとしていた。

 しかしそれが意味することは、普通の人間と変わらない状態に戻るということだ。

 千メートル以上の水深、更には酸素供給を司る原子変換システムや再生のためのナノマシンも機能しない現状でそれが起これば、待っているのは確実な死である。


「オアアアアアァアアァァァァアァァッッ!!」


 黒き異形は新たに現れた敵に、殺意をあらわにする。

 残された片目でアーシェリーを睨み付けながら、クジラはそのヒゲを再び伸ばしてきた。


(ここで悠長にあなたの相手はしてられないんです!!)


 アーシェリーは新たな槍を生成すると、すかさずそのヒゲを両断する。

 わずかに冷静さを取り戻した彼女は、敵の体組成を分析――振動波を固定する。

 突き進んできた巨体の体当たりを上昇してかわしながら、彼女は槍の先端から破壊の波動を解き放つ。

 螺旋の槍となったそれは恐るべき力をもって、敵の巨体を縦に撃ち貫いた。

 暗い海中に、多大な量の血が撒き散らされる。


「グアアアアァアアァァァァァァァ……!!」


 残念ながら今の一瞬では、敵を粉々にできるほどのエネルギーは作り出せない。

 しかし、深い傷を負ったカオスレイダーのクジラは、苦痛の声を上げながら身を捩っていた。

 その隙にアーシェリーはソルドを抱え、一気に海面に向けて上昇する。


(なんとか……振り切った?)


 警戒しつつ後ろを見やった彼女だが、敵が追撃してくる様子は見られなかった。

 恐らくあのカオスレイダーは新種子のみによって覚醒した個体であり、SPSまでは投与されていないらしい。仮にそうであったとしても、光の届かない深海では高い再生能力も働かないだろう。

 それでもあれほどの力を持っているのだから、アオメクジラの生物としての強さはいかばかりかというところだ。

 ひとまずの時間が稼げたことに安堵しつつ、アーシェリーたちは浮上を続ける。

 やがて二人は激しい飛沫を上げながら、光の満ちる空の下へと飛び出した。


「はぁっ、はぁっ……ソルド、しっかりして下さい!」


 息を切らしつつ青年に語り掛けたアーシェリーは、意識を取り戻さない彼を見て表情を曇らせる。

 すぐにスキャニングモードを起動して状態を確認したが、幸い瀕死のダメージというわけではないようだ。

 しかしすぐに治療を行わなければ、危険なのも事実だ。元よりアーシェリーも傷だらけの現状では、回復を優先させる必要があった。


「ひとまずは……あそこへ……」


 あいにくフジ島までは、まだ距離がある。

 周囲を見回し、近くにいくつかの岩礁を発見したアーシェリーは、岩棚のようになっているその内のひとつに向けて、ソルドを抱き締めながら降下していった。


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