(11)高まる焦燥
フジ島でその異変を察知したのは、小さな少女がやや先であった。
「くじらさんたちが……ないてる……!」
「イサキ?」
アオメクジラとの話の内容をダイモンに伝えていたソルドは、驚いた様子で目を覚ましたイサキを見て眉をひそめた。
しかし、すぐになにかに気付いたかのように立ち上がる。
「これは……この反応は……!」
「ふむ……こいつは、例の奴が動き始めたか……!」
ダイモンもまた壁際の電子機器に目を移して表情を厳しくする。
画面に表示された高い数値データと、その所在位置を示すマップ上のマーカーが凄まじいスピードで移動していた。
移動先は、このフジ島である。
「カオスレイダーがやってくるのか……! シェリーは……シェリーはどうしたんだ?」
焦燥に駆られたソルドは、簡易通信でアーシェリーに呼び掛ける。
しかし、届いているはずの通信に彼女が答えることはなかった。
「返事がない。まさか、やられたというのか!?」
「落ち着け。若造……どうやら、そういうわけではないようじゃぞ?」
そんな彼に対してダイモンは、機器の画面を指し示す。
カオスレイダーが移動し始めた起点の位置に、それとは別の強い反応が見られた。
「あのとんでもない奴にも劣らん強力なCW値じゃ。しかも徐々に強くなっておるぞ……!」
「アオメクジラが、赤い魔物と呼んでいた奴か……!」
黒幕である敵の存在を失念していたことを恥じながら、ソルドは改めて戦慄を抱く。
(アレクシア=ステイシス……もし奴と戦っているのなら、恐らくシェリーは動けない。ここは私が食い止めるしかない!)
カオスレイダーの動きを注視しつつ、その手を握り締める。
ただ、自身の中から感じられるコスモスティアの力は、やはり弱いままだ。
その事実が、彼の決意を鈍らせる。
(だが、できるのか? 今の私に……こんな不甲斐ない力しかない私に……!)
かつてアーシェリーを救えなかった時に味わった無力感が蘇る。
もしあの時と同じ結果になってしまったらと思うと、足が竦む。
怖じ気付いたわけではない。彼にとっては自分の生命よりも他者を守れないかもしれないことのほうが、よほど恐怖を感じることだった。
「おにいちゃん……」
彼を見つめたイサキが、不安げに聞いてくる。
そんな少女の声を聞いたソルドは気が付いたかのように、己を奮い立たせた。
(バカな! なにを悩んでいる! たとえ力がなかろうとも、私は特務執行官……イサキたちを守らなければ!)
一度は失った生命を、戦いに捧げた身だ。
決意をその瞳に宿し、彼はイサキの肩に手を置いて告げる。
「イサキ……だいじょうぶだ。お兄ちゃんに任せろ!」
心の奥底に眠っていた小さな灯火が再び燃え始めたことに気付くこともなく、ソルドは外へと駆け出した。
海が大きく荒れていた。
正確には天候で荒れていたわけではない。
カオスレイダーの放つ恐るべき力が波を荒立て、上空の大気までをも悪しき力で侵食しているのだ。
荒れ狂う波の中心にいるのは、黒い姿をしたクジラである。
咆哮を上げ、紅く輝く目をギラつかせながら大海原を槍のように突き進む。
そんな彼の進行を止めるべく、複数のアオメクジラが攻撃を仕掛けている。
巨体で何度も体当たりを繰り返し、その尾で相手の身体を打ち叩く。
しかし、黒いクジラはまったく意に介した様子もない。
逆に咆哮と共に放たれる凄まじい衝撃波が近付く群れを弾き飛ばし、巻き起こした大渦のような水流で押し流してしまう。
巨体を誇るアオメクジラたちでもそれに抗うことはできず、水の中に血を撒き散らしながら一頭、また一頭と海の底へ沈んでいった。
「あれがアオメクジラのカオスレイダー……なんて力だ!」
現場に到着したソルドはその様子を見て、戦慄を隠せなかった。
そもそもが人間以上の強さを持つ巨大生物だ。そんな生物が新型の種子で覚醒したのだから脅威でないはずがない。
ありったけの力を呼び起こして炎の玉を生み出しつつ、彼はそれを黒いクジラに向けて投擲する。
巨体の背で弾けたそれは傷を負わせることもできなかったが、相手の意識を引き付けることには成功したようだ。
紅く輝く目が睨み付けるように向けられたことを確認し、ソルドは大声で叫ぶ。
「こっちだ! カオスレイダー! お前の相手は、私がするぞ!!」
そのまま彼は炎を何度も撃ち放ちつつ、島と別の方向へ飛翔する。
黒いクジラは突如現れた空からの闖入者に憤りをあらわにしたのか、咆哮を上げてソルドを追い始めた。
(引き離さなければ……! イサキたちの集落に行かせはしない!)
ソルドは思惑通りに事が運んだことに、わずかな安堵の息を漏らす。
元よりあの程度の攻撃で、敵を倒せるなどと思っていない。今の彼にできることは相手の注意を引き付け、少しでも時間を稼ぐことだ。
アーシェリーが戻ってくれば、対抗手段はあるはず――彼がそう思った矢先のことだった。
再度咆哮を上げた黒いクジラが、いきなり凄まじい勢いで海の中から飛び出したのである。
「なに!? うあっ!!」
ソルドを遥かに超える高度まで飛び上がった敵は、そのまま彼目掛けて降下する。
巨体の鼻面で体当たりされ呻き声を上げたソルドは、クジラ共々海の中へと大飛沫を上げて落下した。
(しまった! 飛び出してくるとは……!)
泡を吐き出しつつ、彼は自分の認識の甘さを呪った。
敵はクジラの姿をしていても、カオスレイダーだ。一般的な海洋生物と同じではなく、それを超越した能力を有していた。
黒いクジラは水中に落ちた卑小な青年を、大口を開けて呑み込もうとする。
ソルドはそれをなんとかかわしつつ水上に上がろうとするものの、次の瞬間、鋭く伸びてきた鞭のようなヒゲに全身を絡み取られてしまう。
(ま……まずい! 引き込まれる……!)
力を引き出せず炎すらも封じられてしまった彼は、そのまま敵のフィールドとなる深海へ引きずり込まれていった。
ほぼ同じ頃、激闘を繰り広げていたアーシェリーは、焦燥を高めていた。
「フフフ……どうしたの。アーシェリー? そんなにあのクジラが気掛かりなのかしら?」
「くっ……!」
アレクシアが、見下ろすように遥か天へと舞い上がる。
空での戦いに慣れ始めた彼女を前に、アーシェリーは少なからぬ傷を負い始めていた。
致命傷までにはならぬものの衣服のあちこちは裂け、そこから人工血液が流出している。
戦闘の最中ゆえナノマシンヒーリングに意識を割くわけにもいかず、傷はなかなか癒えていかなかった。
(こんなところで、時間を取られるわけにはいかない。なんとかしてソルドたちのところへ……!?)
そこまで思ったところで、彼女は初めて異変を察する。
戦闘に集中していて気付かなかったが、離れていた強大なエネルギー反応がフジ島の手前で停滞していた。
スキャニングモードを起動したアーシェリーは、そこにわずかなコスモスティアの反応も感じ取る。
(これはソルド……! まさか、カオスレイダーを誘導して!? なんて無茶を!!)
ソルドの思惑を悟った彼女は、更なる焦燥を掻き立てられる。
胸の奥が押し潰されるような切なさと押し寄せる不安とに、表情が歪む。
そんな彼女の心の内を知ることもないアレクシアは、赤い翼を広げて高速で突っ込んできた。
「死ね! アーシェリー!!」
「くうっ!」
閃光のような突撃を見据え、アーシェリーは歯を噛み締める。
回避運動を取ることもなく、彼女は敵の一撃にあえて身を晒した。
直後、舞い散った血飛沫が空に赤い軌跡を描く。
「なに!? アーシェリー……お前っ!?」
「あいにくですが……ここであなたと戦っているわけには、いかないんです!!」
アレクシアの爪の一撃を、アーシェリーはその肩口で受け止めていた。
突き立った爪が胸の辺りまでを深く抉る中、彼女は銀の槍を片手で大きく振るう。
閃光となったその穂先が、アレクシアの片翼を切断した。
「な……!? うああああぁぁあぁっ……!」
バランスを崩した彼女を引き剥がすように、アーシェリーは上空へ舞い上がる。
再生が間に合わず落下したアレクシアが、海原に大きな飛沫を上げた。
そんな宿敵に目を向けることもなく、アーシェリーは全速力で天を駆ける。
(ソルド……私は、あなたを……死なせない!!)
美しき姿を血に染めて、緑髪の女神は青年の元へと向かう。
その瞳には、普段以上の強い意思の輝きが宿っていた――。




