(10)因縁は再び
ソルドたちの元を離れたアーシェリーは、ダイモンによってCW値が計測された例の海域にやってきていた。
辺りは見渡す限りの青一色であり、陸地は遠方に山のようにそびえ立つフジ島だけが見える。
(情報を総合すると、この辺りですか……)
アーシェリーはスキャニングモードを起動し、周辺一帯のCW値を探る。
一昨日計測されたという莫大な数値には及ばないものの、海の深いところに反応が見られた。
(恐らくはこれが、カオスレイダーにされたクジラでしょう。CW値が落ち着いているのは、彼らの精神干渉が効いているからですね。倒すなら今のうちですが……)
心中でつぶやきつつ、彼女は海面に向かって降下する。
その瞬間、上空から飛来した真空の刃が音を立てて青き海原を切り裂いた。
噴き上がった飛沫が煌めきを残す中、しかしアーシェリーは動揺することもなく、厳しい視線を宙に向ける。
「誰が来るかと思ったけど……まさか、お前が真っ先に来るとはね! アーシェリー!!」
「その声……やはり、アレクシア!!」
「つまらない仕事だったけど、引き受けた甲斐があったわね!」
空に一滴の染みを落としたように、人影が現れる。
それは緋色のスーツに身を包んだ女――アレクシア=ステイシスだった。
背に生えた翼が赤く禍々しい輝きを放ち、熱風を巻き起こす。
それは確かに天使というより魔物を連想させる姿であった。
「アレクシア、その翼は……!」
「フン……最近、使えるようになった力よ。ガラじゃないと思うけど、こんな場所じゃ使わざるを得ないわね!」
異形の翼を手に入れた女はそう叫ぶと、宿敵目掛けて降下する。
そのままナイフのように変化した鋭い爪を振るうも、行動を予測したアーシェリーは身を翻して一撃をかわした。
(速い! 以前よりもスピードが増している!?)
前回戦った時も相当な素早さだったが、今回は更にそれを上回っていた。
完全に回避したと思った爪の一撃が、衣服を削っていたのだ。
アレクシアはすぐに体勢を立て直そうとしたが、間に合わずその背が海面に触れ、大きな飛沫が上がる。
「チッ……やっぱり、まだうまくいかないわね」
宙に舞い戻った女の全身は、ほぼずぶ濡れになっていた。
その様子を見てアーシェリーは、アレクシアの現状を察する。
(まだ、空中戦闘には慣れていない様子……であれば、付け入る隙はあるはず……!)
心中でつぶやいた彼女は、その手に銀の槍を出現させた。
アオメクジラの群れと別れたソルドたちは、集落への帰途に着いていた。
さすがに長いこと難しい話をして疲れたのか、イサキはソルドの背中におぶられてうつらうつらしている。
「……ねぇ、おにいちゃん……きいてもいい……?」
「ああ……なんだ? イサキ……」
やや眠たげに問い掛けてきた少女に、ソルドは努めて優しい口調で答える。
普段のぶっきらぼうな彼を見慣れている者がいたら、極めて新鮮な光景に映ったことだろう。
「おにいちゃんとおねえちゃんって、こいびとどうしなの……?」
ただ、続いた質問にはさすがに彼も驚きを隠せなかったようである。
ちょうど足場の悪い岩場だったこともあり、ソルドは思わず足を滑らせそうになるのを必死にこらえた。
「ど、どうしてそう思うんだ?」
「ちがうの……?」
「別に私たちは、恋人同士というわけではない。仲間として、共に任務を果たしに来ただけだ……」
動揺を隠すように、彼は事実だけを告げる。
実際、ソルドとアーシェリーの関係は、それ以上でもそれ以下でもない。
ただ、それをぼんやりと聞いていたイサキは、やはり思わぬ返答を返してきた。
「でも、おねえちゃんは、そうおもってないよ……だって……」
吹き抜ける柔らかな風の中で、少女は青年の首元に頭を預ける。
規則正しく静かな揺れに身を委ねながら、イサキは今までと異なる小さな声でつぶやいた。
「すごくやさしいめをしてた。おかあさんが、おとうさんをみてたときと……おんなじ、めだよ……」
「イサキ……」
「……おとうさん……おかあさん……あいたい……な……」
最後にふとそう漏らすと、イサキは静かな寝息を立て始める。
その目元には、わずかな輝きが煌めいていた。
(……おとうさん、おかあさん、か……)
ソルドは首元に残った冷たい感触に、少女が隠していた悲しみと寂しさとを感じ取っていた。
恐らくではあるが、彼女はソルドたちに亡くなった両親の面影を感じていたのだろう。ダイモンやアオメクジラたちがいるとはいえ、親を失った心の傷はそう簡単に癒えはしないはずなのだ。
そんな健気な少女に愛しさを覚えると共に、ソルドは彼女が残した言葉の意味を考えていた。
(シェリーが私を……? そんなことは……)
確かに自分とアーシェリーの関係は、ルナルを除く他の仲間の女性たちよりも近しいと思う。
【テイアー】によって彼女が致命傷を負った事件以来、その距離は更に縮まったとさえ思う。
しかし、そもそも自分は彼女を死なせた張本人だ。特務執行官という名の生き地獄へと引き込んだ者なのだ。
恨まれこそすれ、好かれることなどあるはずがない。
「私は彼女にとっての仇だ……罪人のはずなのだ……」
イサキとの邂逅で忘れかけていた事実を改めて心に刻むように彼は苦悩の表情を浮かべ、密やかにつぶやくのだった。
緑の髪を持つ特務執行官と、緋色の髪を持つ混沌の使者――その戦いは文字通り目にも止まらぬスピードで切り結ぶ技の応酬だった。
陽光の下、宙にいくつもの輝きが弾ける。
大気が、海が切り裂かれ、旋風と激しい飛沫が巻き起こる。
しかし、その戦いは派手なように見えて、実際は膠着していた。
お互いかすり傷は増えるものの致命の一撃を負うことはなく、ただ時間だけが過ぎていく。
(やはり速い……! 間違いなく、彼女は力を増している……!)
その中でアーシェリーは、アレクシアの能力が以前と段違いであることを改めて実感していた。
波動を使って相手の行動を読んでも、回避することすら困難になっている。
考えてみれば、アレクシアはカオスレイダーとして覚醒している。つまり、通常のカオスレイダーと同じく時間経過によって能力を高めていくという特性を持っていておかしくないのだ。
(このまま空中戦闘の勘を掴まれれば、こちらが不利……どうにかして動きを止めないと)
しかし、戦闘がある程度続いたところで、アーシェリーは異変に気付いた。
下方遥か海の底から、凄まじい混沌のエネルギーが放たれたからである。
(これは!? あのクジラが……!)
彼女の顔に、戦慄が走る。
まだここに到着して、さほどに時間は経っていないはずだ。
しかし、感じられるエネルギーはどんどん増大しており、ダイモンの見せたデータに届くほどの値となる。
「あら? やっとお目覚めかしら。ずいぶんお寝坊さんだったわね」
アレクシアもそれに気付いたのか、笑みを浮かべて鼻を鳴らす。
改めて彼女の全身からも強いエネルギーが放たれているのを感じ取り、アーシェリーはハッと目を見開いた。
(まさか……共鳴!? 今の戦いで高まったアレクシアの力が、寄生されたクジラの覚醒を促してしまった!?)
これほど強い力を持った同族が、真上で戦いを繰り広げていたのだ。
アレクシアの放つ力に感化された寄生クジラが仲間による精神干渉を跳ね除けてしまったとするなら、この突然の異変も納得がいく。
だとすれば、戦いに応じてしまったアーシェリーにも落ち度があるということになる。
「フフ……やはり凄まじい力ね。さて、新種子を宿した巨大クジラは、これからどうするのかしらね?」
「くっ……!」
枷を外されたかのように凄い速度で動き始めた海中の反応を、アーシェリーが追おうとした瞬間だった。
アレクシアが行く手を阻むように、その前に立ち塞がる。
「どこへ行く気? お前の相手は、この私のはずよ!」
動揺する特務執行官とは対照的に、混沌の使者は嬉々とした様子で攻撃を再開する。
鋭く突っ込んできた爪の一撃を銀の槍で受け止めながら、アーシェリーは焦燥に駆られた。
(いけない! カオスレイダーがフジ島へ向かっていく! このままではソルドやイサキちゃんたちが……!)
今は力を失っているソルドに、カオスレイダーの――しかも新種の相手は務まらない。
アオメクジラのカオスレイダーが、どれほどの能力を持っているのかも未知数だ。
しかし、宿敵との戦いで昂るアレクシアを前に、彼女は身動きの取れない状況に陥っていた。




