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APOLLON -灼熱の特務執行官-  作者: 双首蒼竜
FILE6 変わるもの変わらないもの
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(9)巨鯨の願い


 深き海の底に、それは澱んでいた。

 黒い巨体が悶えるように動き、それに伴って水中に大きな波が生まれる。

 周囲を泳ぐ魚たちが巻き起こった水流に乱され、押し流されていく。

 音の響かないはずの水中に、ぐるるという呻きが放たれる。

 やがてその生物は、わずかに目を開く。

 その色は異様なまでの紅に染まっていたが、時折、青い輝きが入り混じるのだった。


(すっかり落ち着いてしまったわね……)


 海の上空で、その生物の様子を見つめている者がいた。

 緋色の髪を持ち、同色のライダースーツに身を包んだ女――アレクシア=ステイシスである。

 しかし今、その姿は多少の変化を遂げていた。

 背中から飛び出した赤い翼――それは異様な輝きを放ちながら、美しき覚醒者に空を制する力を与えていた。


(新種子の力でも、人間以外にはそこまで適応できないということかしら……)


 わずかにため息をつきながら、アレクシアは思う。

 ここに来た当初に新種子を与えたその生物は、当初こそ凄まじい力をもって海を荒らしたものの、やがて力尽きたかのように深き水底で眠りについてしまったのであった。




「新種子の適応性を試す?」


 アレクシアが今回の仕事を請け負ったのは、三日ほど前のことだ。

 訝しげな視線を向ける彼女に、黒き影――【テイアー】は静かに告げた。


「そう。人間相手には有効性が証明されたけれど、他の生物にも適応できるかということね」

「奇妙なことをするのね……それになんの意味があると?」

「人間は確かに種子の糧として最適だけど、生命体としては脆弱な部類に入る……」


 その口調はいつものように淡々としたものだったが、銀の瞳の奥にはわずかに厳しい光が垣間見える。


「もっと強靭な肉体を持つ生物ならば、より強く、そしてより効率的に混沌の力を得られるのでは……というのが【ハイペリオン】の意見ね」

「それをなぜ、私に任せるの?」

「オリンポスの奴らは今まで以上に私たちの動きを潰そうとしてくるでしょう。今後のために、私たちも戦力を増強する必要がある」

「ふ~ん……」


 アレクシアは、いかにもつまらないといったようにため息を漏らす。

 そんな彼女の様子を見咎めたのか【テイアー】は、やや声音を低くして問い掛ける。


「……なにか言いたそうね?」

「別に……ずいぶん今更な話だと思っただけ」


 その言葉は、恐らく【テイアー】自身も抱いているであろう思いを代弁したものだった。

 ただ、それに対して黒い影は答えることはない。

 代わって飛んできたのは、先の依頼に対する確認の言葉だけだ。


「……で? 引き受けてくれるのかしら?」

「……いいわ。特に断る理由もないし……」


 期待したわけではないものの、相変わらず心を読ませない【統括者】の言葉に、アレクシアは再びため息をつくのだった。




(いかにもな理由だけど、【ハイペリオン】は私を遠ざけたいだけね……)


 あの時のことを振り返りつつ、アレクシアは思う。

 確かに新種子の完成したこのタイミングで、その適応性を試すというのは理解できる。

 しかし、人間以外の生物に対してアクションを仕掛けるのは、今回が初のはずだ。

 戦力増強を考える必要があるとはいえ、未知数だらけの実験を自分一人に任せるのは腑に落ちなかった。


(そしてあわよくば、特務執行官に私を討たせようとしている。【テイアー】の目もあるからとはいえ、回りくどいやり方だわ……)


 恐らくは、そこまで結果に期待していないのだろう。

 むしろ、敵の目を引き付ける囮としての役割が強いのかもしれない。

 特務執行官を倒せれば結果良し。倒せなくても敵の戦力を削ぐと同時に、目障りな自分を正当な理由で消し去ることができるからだ。


(まぁいいわ。来る者は片っ端から倒すだけ……)


 元々、裏稼業に身を投じていたアレクシアだけに、忌み嫌われるのは慣れていた。

 自分を狙う敵がいたことも日常茶飯事であったし、今更気にする意味もない。

 今の彼女がこうして生きている理由も、たったひとつの目的を果たすためだけに過ぎないのだから。


(そして、アーシェリー……次は必ずお前を殺してやる……!)


 仇敵の顔を思い浮かべつつ、彼女は静かに闘志の炎を燃やすのであった。






 ダイモンとの面会を済ませたソルドたちは、イサキの導きによりとある入り江に向かっていた。


「イサキ……その入り江というのは、まだ先なのか?」

「もうすこしだよ~」


 ソルドに肩車されたイサキは、満面の笑顔で言う。

 少女は鼻唄を歌いながら、時々目の前の赤い毛を引っ張ったり、いじったりしている。

 元々くせ毛のソルドであるが、今の見た目は普段以上にボサボサで、まるで鳥の巣のようになっていた。


「すっかり懐かれましたね」

「そうだな。私は不思議と子供受けが良いらしい。生前、ルナルも言っていた……」


 そんな様子を見つめながら微笑んだアーシェリーに、ソルドは静かに答えた。

 ここに来た当初の険悪な雰囲気はどこへやらという感じで、二人は自然な会話ができるようになっていた。

 ソルド自身も苦悩を忘れたかのように、以前の落ち着きを取り戻している。

 イサキの見せる子供らしい無邪気さが、彼の心を癒しているのは事実だった。


「そうですか。ソルド自身はどうなんです? 子供は好きなんですか?」

「嫌いということはない。孤児院の子の面倒をよく見ていたからな……」

「孤児院? それに面倒を見ていたって……」

「……もう昔の話だ。あまり語ることでもない……」


 少し遠い目をして語ったソルドは、そこでふと気が付いたように言葉を止めた。

 どうやらそれは彼にとって懐かしい記憶でありながらも、思い出したくない記憶でもあるようだ。

 影を落としたその表情にアーシェリーが口をつぐんだと同時に、上からイサキの声が代わって響いた。


「ここだよ~」


 少女の声に改めて前を見た二人は、そこに広大な入り江を見る。

 イサキが初めてアオメクジラに会ったというその場所は円形に陸地が抉れており、まるで海と繋がった湖のような地形をしていた。


「ここでアオ……くじらさんと会ったのか?」

「そう。よべば、どっぱ~んときてくれるの! お~いっ! くじらさーーーん!!」


 ソルドの問い掛けに、イサキは無邪気に答える。

 青年の肩から降りた少女は砂浜を駆けながら、海に向かって呼び掛ける。

 そもそもなぜソルドたちが、ここにやってきたのか――それはアオメクジラが二人に会いたがっていると、イサキが言ったからに他ならない。

 調査に向かうに当たってアオメクジラがいかなる生物かを見ておきたかったこともあり、二人はその願いに応じたのであった。

 イサキが呼び掛けてから数分後――入り江の水がいきなり大きく噴き上がったかと思うと、そこに全長十メートルほどあるかと思われるクジラが数頭、姿を現した。


「これがアオメクジラか……」


 見た目はヒゲクジラと呼ばれる種と同じであったが、その目が青い輝きを放っているのが特徴的であった。

 イサキが話しかけると、クジラたちは目を瞬かせたり、ヒゲを動かしたり口を開いたりする。

 確かにその様子は、少女がクジラと意思疎通できていることを感じさせた。


「イサキ、くじらさんはなんて言ってるんだ?」

「ん~とね……よくきてくれた。ひとのすがたをしたつよきものたち……だって!」

「なんだって?」


 注意深くその様子を見守っていたソルドたちだが、イサキの言葉に思わず目を見開く。


「アオメクジラは、私たちが特務執行官――普通の人間でないことに気付いているようですね」

「ああ……生物としての本能なのか?」


 ソルドたちは顔を見合わせながら、小さな声で言葉を交わす。

 実際、見た目だけでソルドたちが普通の人間でないことを見分けることは不可能なので、アオメクジラに特殊な感知能力があるのは確かだろう。

 ただ、二人が耳を澄ませても意識を傾けても、クジラたちの声は聞こえない。

 それは向こうも同様なようで、やはりお互いの意思疎通を図るためにイサキの力が必要なのは事実だった。


「それで彼ら……くじらさんは、なぜ私たちに会いたかったんだ?」

「おねがいがあるんだって。え~と……あかいまものをたおしてほしいって」

「赤い魔物?」


 少女を通訳にした対話は、それから数十分は続くことになる。

 イサキの語彙力が圧倒的に不足していたこともあって時間はかかったものの、ソルドたちはアオメクジラの願いをなんとか理解することができた。


「つまり、その赤い魔物とやらに、仲間の一頭がカオスレイダーにされてしまったということか?」

「話を総合すると、そうなりますね。ですが、彼らに同族の暴走を抑える力があるとは驚きでした」


 話の中で明らかになったことは、アオメクジラは意思疎通の能力を応用することで同族の精神にある程度干渉できるということだ。

 カオスレイダーに寄生された個体は現在、群れによる一斉干渉で破壊衝動を抑えられているという。そのため比較的落ち着いた状態にあるということだ。


「カオスレイダーは、ほぼ人間を寄生の対象にしていたからな。それ以外の生物に対しては、適応できていない面もあるのかもしれない」

「ですが、ぐずぐずしている暇もありませんね」

「ああ。すぐ現場に行くとしよう」


 アオメクジラの精神干渉の効果がある内に、ケリをつけなければならなかった。

 カオスレイダーに取り付かれた個体が助からないことはなんとか彼らに伝えることができたので、掃討すること自体に不都合はない。

 そして、彼らの言う赤い魔物の存在も気になるところだ。

 しかし、勇んで次の行動に移ろうとしたソルドを、アーシェリーが制した。


「待って下さい。ソルドはイサキちゃんと一緒にいてもらえますか?」

「なに? しかし……」

「ここは私だけで充分です。なにかあったら連絡しますので」


 どこか有無を言わせぬように彼女は告げると、ふわりとその場に舞い上がる。

 その視線はいつになく鋭く、ソルドも続ける言葉を失ってしまう。


「わっ!? すご~い! おねえちゃん、とんだ~!」


 イサキが目を見張りながら、ぴょんぴょん飛び跳ねるように真似をする。

 わずかに笑みを取り戻してそちらを見やりながら、アーシェリーは光になって飛び去っていった。


「ねぇねぇ、おにいちゃん! あたしもおねえちゃんみたいにとべる~!?」

「そうだな……今のイサキにはちょっと難しいかもしれないな」


 その問いに苦笑いしつつ、ソルドはアーシェリーの飛び去った方角を見つめる。

 彼としても不本意ではあったが、今の状態では戦闘が発生した場合、足手纏いになることは確実だった。

 そしてなにより赤い魔物というキーワードが、二人に共通の敵を想起させていたのである。


(もし、あの女が今回の黒幕だとするなら、一人で決着をつけたいということか。だが、気をつけてくれ。シェリー……!)


 わずかな懸念を抱きつつも、彼は美しき仲間の無事を祈った。


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