(8)無邪気な協力者
木と機械の入り混じった澱んだ臭いの中、二人の特務執行官の間に緊張が流れる。
そんな彼らを見やりながら、ダイモンは薄い冷茶をすすった。
「オリンポスの基準で言うなら、上級カオスレイダーか? あれよりも更に高いエネルギー値ということになるな」
「博士……このCW値はいつ頃、計測されたのですか?」
「一昨日じゃな。急なことじゃったし、正直、機械の故障かと思ったわ」
懸念しているようでいて、どこか他人事のように彼は続ける。
その中で一昨日という単語を聞き、ソルドはある可能性に思い至ったようだ。
「一昨日ということは、新種の可能性もあるということか……?」
「新種? なんじゃそれは?」
眉をひそめる老人に対し、青年は新種カオスレイダーのことを説明する。
人間を数分で覚醒者に変える種子のこと、それによって生まれる敵の存在や特徴などをだ。
ひとしきりそれを聞いたダイモンは、やがて納得したかのように頷いた。
「ほほう。なるほどな……いわば進化した種子ということか。まぁ、いずれ出てくるとは思っとったがな……」
「いずれ出てくる? 博士は、新種出現の可能性を予測していたのですか?」
「お前はアホか? 生物ってのはどんな種も少なからず進化発展を繰り返しておる。何百年も変わらずに生き続ける種など、ほとんどおらんわ」
ソルドに対し、毒舌めいた言葉を返すダイモン。
しかしそこには彼なりの持論と思いとが見え隠れしていた。
「人間だってそうじゃ。その昔は宇宙に移住することすら夢物語じゃったが、今ではあちこちに生存圏を構えられるほどになった。母なる星を見捨ててな……」
生物学的な変化もさることながら、ダイモンは科学の進歩などもひとつの進化と捉えているようだ。
地球という星に生まれた人類という種――しかしその種は進化の果て、生まれ育った地を捨てても生きていけるようになった。
それを好ましいことと捉えるか否かは、個人次第だ。
「それはさておき、カオスレイダーも生命体であるなら進化の余地はいくらでもあるということじゃ。なんせ、あれほど侵食率の高い寄生生命体じゃからな」
「しかし、カオスレイダーは人間の強い感情を糧にして覚醒するはず。それがなぜ海の中に……?」
「強い感情を糧にするという点は同意するが、人間の感情と決めつけるのはお門違いだぞ。若造」
改めて別の疑問を投げかけるソルドに、ダイモンはまたしてもきつい一言を口にする。
それを聞いたアーシェリーは、なにかに気が付いたような様子で老人に問い掛けた。
「その言い方ですと、博士……あなたは人間以外に、強い感情を持つ生物を知っておられるんですか?」
「すべてとは言わんが、心当たりはある。この近海という点で考えると、なおさらな……」
「それはいったい……?」
「くじらさんだよ」
思わず身を乗り出した二人の特務執行官に対し、返答を返したのは別の人物であった。
ソルドたちを案内したあと、室内で一人遊んでいた少女――イサキは大げさなジェスチャーを加えながら、歌うように続ける。
「おっきいおっきいくじらさん~♪ ど~んとでてきて、ば~んとはねるの!」
「く……くじらさん?」
その言葉に呆気にとられる二人に、ダイモンが付け加える。
「突然変異種のクジラじゃよ。わしらはアオメクジラと呼んでおる」
「アオメクジラ……ですか」
「そうじゃ。目が澄んだ青色をしているのが特徴でな。彼らは人間とほぼ変わらぬ感情を持っており、知能も高い。また思念波を飛ばすことで、同族同士での意思疎通もできる」
茶を飲み干した彼はそこで、目の前で踊るように飛び跳ねている少女を見つめた。
「そしてその思念波は、時に他種族との意思疎通をも可能とする。イサキのようにな」
「他種族との意思疎通? この子が?」
「そうじゃ。イサキはこの島で唯一、アオメクジラと話ができる子供なのじゃ」
そして彼は、イサキが島で重要視されている事実を語る。
アオメクジラは友好的な種族で、フジ島に住む人間たちを他の害ある海洋生物から守っているという。
以前は時折襲来する有害種に何人もの人間が襲われていたが、イサキが彼らにお願いした結果、今は被害に遭うこともなくなったらしい。
彼女が先刻、集落の男たちに意見し抑えることができたのも、その特殊な立場ゆえのことだった。
「あの、博士……少しお伺いしたいのですが、イサキちゃんは博士の娘さんですか?」
「んなわけなかろう。イサキはこの島のとある夫婦の娘じゃったが、今言った海洋生物の襲来で一年ほど前に両親を亡くしてな……わしが引き取ったんじゃ」
答える口調こそ変わらなかったが、ダイモンはそこでやや懐かしげに目を細める。
「当時はいつも泣いておったがのう……ただ、その頃からこの子はアオメクジラの声を聞くことができるようになった」
イサキがなぜアオメクジラと意思疎通できるようになったのかは定かでないが、彼らが少女の心を癒す手助けをしてくれたのは事実らしい。
それから、イサキは今のような笑顔を見せるようになったということだ。
「じゃが、それ以来、こいつはすっかりきかんぼうになりおった。人をジジイ呼ばわりするし……」
「じじいは、じじいだもん」
ぼやくような言葉を続けた彼に、イサキは悪気もなく言い放つ。
「くじらさんもいってたよ~。わかくてぴちぴちはいいって」
そして彼女は屈託のない笑顔を浮かべながら、ソルドの側までやってくる。
そのままぴょんと、彼の膝の上へ飛び乗った。
「おにいちゃんは、わかくてぴちぴちだよね~。そっちのおねえちゃんも!」
「わ、若くてピチピチって……」
無邪気な少女の口から放たれた意外な言葉に、アーシェリーは苦笑いを浮かべる。
アオメクジラという種族が高い知能を持つことは理解できたが、俗っぽい部分も人間同様に持ち合わせているようだ。
ただ、イサキはそこで目を白黒させているソルドにずいと詰め寄った。
「でも、おにいちゃんは、えがおがたりないっ!」
「むが!?」
いきなり少女の指が、青年の口に突っ込まれる。
そのままイサキはソルドの口角を引っ張り、無理矢理笑顔めいた表情を作った。
「ほら。こうすると、えがおになるんだよ~。えがおになればしあわせがくるって、くじらさんがいってた!」
「ひょ、ひょうは……(そ、そうか……)」
初めこそ驚いた様子のソルドだったが、目の前で笑う少女を見て瞳に柔らかな光を浮かべる。
自分の口をむにむにと動かすイサキを咎めることもなく、その小さい身体を抱き上げた。
イサキ自身、それを嫌がる様子もない。
そんな微笑ましい光景を横で見つめながら、アーシェリーは口元を緩めた。
「とにかく、カオスレイダーが海の中に現れたのなら寄生対象はアオメクジラである可能性が高いじゃろう」
ダイモンもまたその光景を目にしつつ、先ほどの話の結論を述べる。
そして提案するように言葉を続けた。
「なんなら、イサキにも協力してもらえばいい。アオメクジラの声を聞けるその子なら、なにか有益な情報が得られるかもしれんぞ?」
「え? しかし、危険では……?」
思わず驚くアーシェリーだが、それに対して意外そうな表情をしたのはダイモンも一緒だった。
「なんじゃ? お前たちは特務執行官じゃろう? 子供一人守れんで、なんで人類を守るなんて言えるんじゃ?」
「そ、それは……そうですが……」
ソルドたちは困ったように、顔を見合わせる。
ダイモンの言うことは正論だが、だからといってカオスレイダーが関わる任務に子供を同行させるわけにはいかない。いかに特務執行官がついていたとしても、不測の事態は起こり得る。
しかし、アオメクジラにカオスレイダー寄生の疑いがあるならば、イサキの能力が有用となるのもまた事実であった。
「あたしはいいよ~。おにいちゃんとおねえちゃんのちからになったげる!」
当のイサキはそんな彼らの心中など気にもせず、屈託のない笑顔で言い放つのだった。




