(4)変動の予感
秩序管理維持機構――通称CKOと呼ばれるそれは新太陽系政府の下、人類圏における様々な治安維持活動を行う組織の集合体である。
警察的な役割を担う保安局や捜査局、要人警護を主任務とする特別保安局など様々な組織があるが、その中でも軍事的な役割を担い、大規模な勢力を誇るのが治安維持軍である。
ここ数年は、勢力を拡大しつつある反政府組織【宵の明星】との武力衝突が多くなっており、特に政府直轄の工業プラントや採掘プラントが軒を並べる月では、常にあちこちで小競り合いが続いていた。
ただ、技術力や装備に加え、軍としての統制や兵の練度に優れる治安維持軍が反政府組織に後れを取る道理はなく、戦闘は常に政府側の勝利に終わっていた。
しかし、つい先頃起こった大型採掘プラント――セレスト・ワンを巡る戦いで、ついにそれまでの常勝神話は崩れることとなったのである。
その日、イプシロンの中枢に位置するCKO本部では、治安維持軍将校を主体とした緊急会議が行われていた。
「今回のセレスト・ワンの陥落は、由々しき事態と言えるな」
四角く作られた会議テーブルの上座に座る男が、重々しく口を開く。
白髪をオールバックにし、豊かなヒゲを蓄えた初老の彼は、部屋の中央に浮かぶスクリーンを厳しい目で見据えている。
そこには炎を上げる採掘プラントの映像が映し出され、治安維持軍兵士らと交戦する緑の肌の男たちの姿も見られた。
「ガーディナル・アーミーの力をもってしても、敵の侵攻を防ぎ切ることはできませんでした。幸い全滅には成功したものの、こちらも甚大な被害を被っています」
続いて、男の左脇に立つ女性が報告する。
金髪を肩口辺りで整えた四十代くらいの女の言葉には真実でない部分が混ざっていたものの、それに対する反論は見られない。
「セレスト・ワン自体の損害もひどいものです。採掘プラントとしての機能は、完全に麻痺したと言って良いでしょう。専門家会議を招集していますが、復旧の目途はしばらく立たないかと思われます」
女性は別枠のデータをいくつか提示しつつ話を締めると、一同の顔を見渡した。
テーブルを囲む将校たちは中空の映像を見つめながら、それぞれに意見を口にする。
「今回、現れた既存の生体強化兵をも上回る兵士……【宵の明星】が、どこからあのようなものを手に入れたのか気になりますな」
「背後に企業の動きがあるのは事実でしょう。アマンド・バイオテックか、それともハナビシ・バイオケミカルか……」
「諜報部経由で探りを入れたほうが良いかもしれません。ここ最近は両社共に怪しい動きを見せていますから」
「しかし、確証もなしに動くと余計な反発を招きかねませんぞ。アマンドにせよハナビシにせよ、現行政府との繋がりも深いですからな」
「だからといって、このまま手をこまねいていろと? もし今後もあのような兵士が投入されてきたら、どのように対処するのです?」
「手をこまねいていろとは言っていない。対策を講じるとしても、むやみに企業へ手を出すのは賢明ではないと言っているのだ」
「なにを悠長なことを言っているのか。他の採掘プラントが同じような目に遭えば、どれだけ経済への影響が出ると……!」
エキサイトする将校たちの声を聞きながら、白髪の男はわずかにため息を漏らすのだった。
「結局、明確な結論は出ませんでしたね」
会議を終えて通路を歩く中、金髪の女性が白髪の男に語り掛けた。
その白髪の男――CKOの最高責任者である統括司令アルベルト=グラングは、強化クリスタル製の外壁の前で足を止めると、外を見つめる。
コロニーミラーの反射光が降り注ぐ中、目の前に広がる光景はすべてが輝いて見える。
しかし、アルベルトの表情はそれに反してまったく晴れなかった。
緊急会議自体の内容が希薄だったのもさることながら、彼の頭には拭えぬ予感があったのである。
「うむ……なにぶん情報が少な過ぎるからな。今回はオリンポスに動いてもらえて助かった。ライザスや君には感謝している……」
「いえ……これは私たちの任務でもありましたので……」
その言葉を受けて、女性はわずかに頭を下げる。
先の会議では触れられなかったが、セレスト・ワンへの侵攻にはSPS兵士の他にも特記戦力となる敵が存在していた。
人類にとっての脅威――カオスレイダーである。
「ただ、カオスレイダーが関与していた事実は気になります。調査も含めて特務司令にお願いするつもりではありますが……」
「そうしてもらえると助かる。今回の件は正直、我々には荷が重いように思えるのでな……」
「かしこまりました」
アルベルトの予感とは、これがオリンポス以外の組織の手に負えないのではないかということだった。
どれだけ技術力や戦闘力があろうとも、カオスレイダーという脅威に対抗できるのは、そのために生まれた特務機関しかない。
苦悩を思わせる一言を言い残して再び通路を歩き始めた白髪の男を見送りながら、女性はその場で静かに息をつくのだった。
「オリンポス・セントラル……アクセス」
やがて、人気がなくなったところで彼女は手の平を上に向けてつぶやく。
おぼろげな光がそこから生まれる中、女性の容姿はいつの間にか二十代後半の見目麗しい麗人の姿となっていた――。
ほぼ同じ頃、小惑星パンドラにある司令室では、ライザスが一人の人物に向けて言葉をかけていた。
「今回はいろいろ苦労をかけた。君も多忙なはずなのにな」
「いえ……お気になさらず。特務執行官に関係することなら、私としても無視するわけにはいきませんので」
彼の目の前で敬礼し答えたのは、紫の髪をショートボブにした女性だ。
理知的な風貌に加え抑揚の乏しい口調には、どこか冷たい印象がある。
『正直、【ヘスティア】に来ていただいて助かりました。私だけでは、推定でもあと四十八時間以上はかかったはずです』
そんな二人の間に浮かびながら、電脳人格である【クロト】が頭を下げる。
それを見た女性はわずかに息をつきながら、瞳に厳しい光を湛えた。
「その呼び方は止めて。【クロト】……なんだか他人行儀だわ」
『す、すみません。エルシオーネ……母様……』
普段は淡々としている【クロト】だが、女性の前では恐縮した様子を見せた。
次いで放たれた母様という言葉に、二人の特殊な関係性が表れている。
わずかに口元を緩めた紫髪の女性は、電脳人格の頬にそっと手を添えた。
実際に触れていないにも関わらず、【クロト】はその仕草に穏やかな表情を浮かべる。
この女性の名は、エルシオーネ=ガードフォースという。
【ヘスティア】のコードネームを持つ特務執行官であり、同時にCKOの科学技術局局長を務める才媛だ。
そして、セントラル・コンピューター【モイライ】を含めたオリンポスの設備の大半を造り上げた天才科学者でもある。
「それで、アーシェリーの状態はどうなのだ?」
ライザスはしばし間を置いて、彼女に問い掛けた。
今回、エルシオーネがやってきた主な理由は、アーシェリーの迅速な再生作業のためである。新種のカオスレイダーが現れた現在、戦力の復旧は急務であったからだ。
【クロト】から身を離した彼女は、再び抑揚の乏しい口調で返答する。
「最終チェックは完了しました。あと三十分ほどで姿を見せるはずです」
「そうか……彼女の早い復帰は本当に助かるな。ところで、ソルドの件なんだが……」
安堵の息をつくものの、ライザスはもうひとつの懸念について問い掛けた。
ノーザンライトでの任務以来、本来の力を失ってしまったソルドの検査も、彼はエルシオーネに依頼していたのだ。
しかし、それに対する返答は、あまり望ましくないものだった。
「彼に関しては正直、わかりません。無限稼働炉は先日、オーバーホールしたばかりと聞きました。現状で機能不全はなく、正常そのものです」
「そうか……では、彼の不調は外的な要因ではないと?」
「無限稼働炉はさておき、コスモスティアに関しては不明な点が多過ぎますので……私もこれ以上はお手上げです」
エルシオーネは首を振りながら、ため息をつく。
どうやら彼女にしても、不本意であることに変わりはないらしい。
『司令。お話中、失礼致します。特務執行官【ヘラ】からの通信が入りましたが……』
ややあって【クロト】が、新たな報告を告げる。
その内容にわずか眉をひそめたライザスは、二人を交互に見つめて続けた。
「そうか……繋いでくれ。エルシオーネ、すまなかった。もう下がってもらって構わない」
「了解しました。では……」
再度、敬礼したエルシオーネは、速やかに踵を返す。
彼女が立ち去ったすぐあと、その場に浮かび上がったのは金髪の美しい女性の姿であった。
『司令、お疲れ様です』
「ああ……こちらからもちょうど連絡しようかと思っていたところだ。セレスト・ワンの件か?」
『はい。先刻は迅速な対応をいただき、ありがとうございました。統括司令も感謝しておりました』
「気にするな。あれはカオスレイダー案件だったのだからな」
女性の言葉にため息をつきながら、ライザスは返答する。
月面採掘プラント襲撃に際し、特務執行官の出動を要請してきたのは他ならぬ彼女であった。
ただ、あの対応が迅速であったかは正直、疑問である。新種のカオスレイダーがいたこともあって敵の侵攻は早く、結果としてセレスト・ワンは陥落してしまったのだから。
『それでここからが本題なのですが……【宵の明星】の侵攻に、カオスレイダーが関与していた背景を探る必要があるかと思いまして』
「ふむ……それはグラング殿からの依頼か?」
『いえ。可能であれば動いて欲しいというのが統括司令の意向ですが、これは私の意見です』
「確かにそうだな。今のところ被害はセレスト・ワンだけだが、これが他でも起きないとは限らない……」
セレスト・ワン侵攻において現れたSPS兵士の出所はいまだに掴めなかった。
【統括者】やその下僕が関与していることは間違いないが、彼らがなぜ【宵の明星】に荷担するのかも謎であった。
『もし、【宵の明星】への潜入捜査となれば、一筋縄ではいきませんね』
「うむ……彼らの月支部に関しては、極めて情報が少ない。支援捜査官だけでは荷が重い案件だな」
『シュメイスか、ルナルに任せてはいかがでしょう?』
「確かに情報収集に関してはあの二人の右に出る者はいないが……特務執行官を捜査に回してしまうと、こちらの戦力低下も否めなくなってしまう」
『ご心配なく。そこは、私もフォロー致します』
「君とて多忙なはずだろう? だいじょうぶなのか?」
女性の意外な言葉に、懸念の表情を浮かべていたライザスは目を見開く。
CKO統括副司令という肩書を持ち、特務執行官の中でも極めて特殊な立ち位置にいる彼女が戦線に出ること自体、稀なことなのだ。
『これでも特務執行官の端くれです。それに新種のカオスレイダーに関しては、実際にその能力も見ておきたいので……』
女性は、鋭い視線を向けて続けた。
彼女自身も、カオスレイダーを巡る戦局が大きく変化し始めていることは理解しているのだろう。
ライザスもまた表情を引き締めると、立体映像の彼女を見つめる。
「そうか。では、お願いする。フォートベルク副司令……いや、イレーヌ=コスモフォース」
『了解……要請がありましたら、またご連絡下さい』
特務執行官【ヘラ】としての名で呼ばれたその女性はわずかに一礼すると、光と共に姿を消した。




