(5)悪夢は炎に消えて
ジョニーの顔が、一瞬で狂気に染まった。
くわっと開かれた口には、人間にあるまじき牙が覗く。
雰囲気も変わり、どす黒い気が辺りに渦巻いたように感じられた。
そのおぞましさに身の危険を感じたボリスは、思わず一歩退く。
その瞬間を狙って、一筋の光の筋が会場席から伸びた。
「グアアアアアァアァアァァァァ!!!」
「ジョニー!!?」
光は演出用のレーザー光線ではなく、エネルギーの奔流だった。
ムチのようにしなった光は、ジョニーの右腕を吹き飛ばし宙に舞わせる。
鮮血が飛び散り、歓声が恐怖の叫びに変わった。
「正体を現したわね。けど、そこまでにしてもらうわ……」
「女っ!? てめぇ!!!」
光の来た方向に目をやったボリスは、そこにアルティナがいることに気付く。
彼女はプラズマエネルギーを糸状に放つヘアピン型の武器を手に、ステージの上を睨んでいる。
そこには、今までにないほどの殺気が満ちていた。
異変に反応した屈強そうな黒服たちが、集まり始める。
手にハンドガンを握り、思い思いに銃口を彼女に向けた。
しかし、アルティナが武器を振るうと、黒服たちの銃が一瞬で真っ二つになる。
華麗に舞った光の糸に続き、鈍い鉄の落下音が重なった。
「……銃を向ける相手が違うわよ」
驚く黒服たちを威圧しながら、アルティナは跳躍する。
テーブルや人の肩を踏み台にしてさらに跳び、彼女はステージの上に舞い下りた。
およそ常人とは思えぬ身体能力だ。
放たれるプラズマ・ストリングスの光が、再びジョニーを捉える。
とっさにボリスは、彼に覆いかぶさるように跳んだ。
ステージ上を転げる音に混じり、床を切り裂く音が響く。
「くっ! あの女っ!! ジョニー!! だいじょうぶかっ!!」
舌打ちをしながら、ボリスは友人を見やった。
ジョニーの顔色は極めて悪かったが、口からは澱みない言葉が返ってくる。
「アア……マッタクモンダイナイヨ。ぼりす……ソウサ、マッタク、問題、ナイ……」
しかし、やはりその瞳には、邪悪な光が浮かんでいた。
ボリスの全身に鳥肌が立つ。
その瞬間、彼は自分の右腕が肩口から無くなったことに気付いていた。
「うあああああああああああああああああぁぁ!!? ジ、ジョ、ニー……!?」
噴き上がる鮮血が、視界を染める。
ジョニーの右肩口から刃のような物体が無数に伸び、その先端にボリスの右腕が刺さっている。
口元に邪な笑みを浮かべながら、ジョニーはその腕を撫で回した。
「クククククク……実ニ良イ……素晴ラシイ感情ジャナイカ。ぼりすぅ……驚愕……不可解……戸惑イ……恐怖……混沌ノ感情ニ満チアフレテイル」
「ぐあぅぅ……お、お前っ……ジョニーで、は……!?」
「ククク……じょにーカ? 彼ナラ消エタヨ……タッタ今ナ……」
「な……なん、だ、と……!!」
激痛にのたうち回るボリスを見下ろし、かつてジョニー=ライモンだったものは、嬉しそうに語った。
その右肩にはボリスの腕が無造作にくっつき、どくどくと脈動を始めている。
「私ガ完全体ニナルタメニハ、最高ノ餌……ツマリ混沌ノ感情ガ必要ダッタ。数多クノ人間ヲ殺シタガ、イマイチダッタ……ソコデじょにーノ頭カラ、モットモ大切ナ記憶ヲ引キ出シタノサ。ソコニアッタノガ、ぼりす……オマエトイウ男ダ。大切ナ友人ノオマエヲ絶望ニ追イ込メバ、ソコカラ生マレテクル感情ハ最高ノ餌トナル……」
まがまがしい雰囲気は、よりその厚みを増していく。
ジョニーの姿をしたなにかは、高揚したように声を張り上げる。
「予想以上ダッタ!! 予想以上ダッタヨ、ぼりす!! オマエガ今、解キ放ッタ感情デ、我ハじょにーノ心ヲ完全ニ駆逐シタ。じょにー=らいもんトイウ人間ハ、モウドコニモイナクナッタノダ!! ハハハハハハハハハ……!!!!」
「!? んだ、とぉ……それに、数多くの人間を殺し、た……? 殺したって、まさか……!?」
「……決まってるでしょう。最近この付近で起きていた連続殺人事件のことよ」
そこに割り込んだのは、女の声だった。
ボリスが見上げると、いつの間にか近くにアルティナの姿がある。
彼女の表情は殺気をみなぎらせながらも、どこか悲しげだった。
「ぐ……お、お前っ……!?」
「……逃げて。もう彼はあなたが知る友人ではない。カオスレイダーというただの化け物よ」
「カ……カオス、レイダー……?」
「チッ……邪魔ヲスルカ。女!!」
ジョニーの姿をしたものは、アルティナに狂気の視線を向ける。
対して彼女が取った行動は、胸元のペンダントをかざすことだった。
放たれる七色の光が、化け物と化した男をたじろがせる。
「グッ……ヤハリソレ、ハ……こすもすてぃあ……!! オノレ、女ァァアアァァ!!!」
咆哮が轟き渡る。
それは聞く者に恐怖を呼び起こす波長を含んでいるようだった。
いまやホールは我先に逃げ出そうとする人々で混乱し、すし詰めのような状態になっている。
そんな愚かな人間たちを見やり、狂気の化け物はわずかに口元を歪めた。
「ダガ、ココマデぱわーガ高マレバ……問題ハナイ!! 数多ノ血ガ、我ニ真ノ覚醒ヲモタラス!!」
瞬間、かつてボリスのものだった化け物の腕が、無数のしなる刃に変わった。
それらは逃げようとする人々に伸びてゆき、無差別に刺し、斬り、殺す。
首が飛び、腕が飛ぶ。あらゆる人間のパーツが、無残にも宙を舞った。
舞い上がる鮮血は真紅の雨となり、人々の恐怖をあおり立てる。
もはやそこは阿鼻叫喚の地獄絵図。負の空気は化け物の全身に染み渡り、徐々にその姿を変化させていく。
「ウオオオオオオオォオオオオオォォォオオオ!!!! ツイニ、ツイニ……我ハアァァァ!!」
そして現れたのは、もはやジョニーという人間の名残もない暗緑色の獣の姿だった。
それは、旧地球文明で語られた悪魔という生物の姿に似ていた。
「くっ……! やはり……もう、遅かった……!!」
「ジョ、ジョニー……」
唇を噛み締めるアルティナの傍らで、ボリスは驚愕の表情を隠せない。
完全に化け物に成り下がった友人を前に、その思考はほとんど停止していた。
アルティナは再びペンダントをかざす。
七色の光が再度煌めくが、今度は混沌たる獣はまるで動じない。
「ククク……モウ効カンゾ。ソンナチッポケナこすもすてぃあデハナァ!!」
「く……!」
「イマイマシキ女!! 死ネ!! ぼりすトトモニナアアァァ!!!」
獣の口から吐き出された無数の火球が、ステージ上で次々に炸裂する。
強烈な爆風に吹き飛ばされ、アルティナとボリスはホールの壁に叩きつけられた。
「きゃああああぁあぁぁあぁぁっ!!」
「うおおおおおおおぉぉっ……!!?」
ボリスは受け身をとることも忘れていたのか、無様に頭を打ちつけて意識を失ってしまう。
かたやなんとか体勢を立て直したアルティナは、痛みをこらえてプラズマ・ストリングスを振るった。
しかし、敵を斬り刻むはずだった光の糸は、その身体に届く前に霧散してしまう。
獣は、低く喉を震わせた。
「甘イ、甘イナ……ソンナ攻撃ガ、我ニ通ジルトデモ思ッタカ? 女ァァァ!!」
右腕が、今度は巨大な鞭に変化する。
刹那、恐竜の尻尾を思わせるそれが風切り音と共に、アルティナに叩きつけられた。
「はっ……ぐ……ううぅぅぅっ……!!」
再び壁に打ちつけられ、悶絶するアルティナ。
胸と背中を強打し、ダメージは甚大だった。
口から吐き出された泡の中に、多量の鮮血が混じっている。まともに呼吸することも、ままならない。
そんな彼女に向けて、獣は再び鞭の腕を振るった。
「トドメダ!!!」
(くっ……! ダメ……避けられ……!!)
アルティナは遠のきつつある意識の中で、死を覚悟する。
覚醒したカオスレイダー相手では、人間の力などなんの役にも立たない。
そのことを理解していつつも、彼女の心に悔しさが込み上げた。
しかし、次の瞬間、凄まじい轟音と共にホールの天井に穴が開いた。
天井の構造材と、粉々になったシャンデリアが土砂となって降り注ぐ。
アルティナを狙っていた獣の腕は、その崩落によって阻まれた。
(……これは……)
「……だいじょうぶか? アルティナ?」
はっきりしない視界の中で、アルティナは男の声を聞く。
それはぶっきらぼうながらも、強い意志をみなぎらせた声だ。
やや遅れて、霞む瞳の中に赤い光をまとった青年の姿が映る。
「……ソル、ド!」
「遅くなった……ひどくやられたようだな」
「バ、バカ……ッ!! なに、遅刻してんの、よ……それに、どうして、もっとまともな現れ方ができ、ない、の……!?」
「緊急事態と聞いたからな。あれこれ気を遣っている暇はない」
思わず悪態をつきながらも、アルティナは安堵の息を漏らす。
途端に血が口中を満たし、咳と共に吐き出される。
その様子を見たソルドは、彼女を助け起こしてゆっくりと抱え上げた。
「オノレッッ!!」
獣が、口から火球を吐く。
迫り来る炎を跳躍でかわし、ソルドはホール脇の柱の陰へと飛び込んだ。
あちらこちらで起こった爆発が、新たな粉塵を巻き上げる。
「……とりあえず休んでいろ。あとは私がやる」
ソルドは右手をそっと胸の前にかざした。
温かな黄金の光が放たれ、その輝きがアルティナの全身を包み込んでいく。
その途端、血の気の失せていた彼女の顔に、生気が戻ってきた。
落ち着いた呼吸を取り戻したアルティナは、わずかな笑みを浮かべて青年の顔を見つめ返す。
「わかったわ……任せたわよ。それと……ありがと……」
「気にするな」
ソルドもまたわずかに口元を緩めてみせる。
すかさず踵を返し、彼は再び獣の前へと歩み出た。
「ヌッ!? 貴様……!?」
「これ以上好きにはやらせん。お前の存在、ここで抹消する!」
「ナニ……貴様、ナニモノダ!?」
霞がかった空間に、朱と黄金の輝きが満ちる。
辺りに満ちていた負の空気が、光に圧されて退いていく。
「我は太陽……炎の守護者! 絶望導く悪の輩を、正義の炎が焼き尽くす。我が名は、特務執行官【アポロン】!」
一歩を踏み出すソルドの足音が、大きくこだまする。
侵略する炎のような存在感が、獣の中にわずかな恐怖を生じさせた。
「あぽろんダト!? オノレェ!!」
その感情を否定するかのように、獣は鞭の腕を振るった。
アルティナを襲った時よりも遥かに素早い一撃。
しかし、ソルドはその攻撃を無造作に片手で受け止める。
衝撃波が床を穿ち、無数の破片を巻き上げるが、彼は特に気にした様子はない。
そのまま掴んだ腕にエネルギーを集中。ソルドの手の中で起きた爆発が、鞭の腕を粉砕した。
「ウオォオッ!?」
驚愕する獣に向けて、ソルドは疾走した。
わずか一瞬で距離を詰め、スピードを乗せた飛び蹴りを放つ。
体重差などまったく感じさせない強烈な一撃。
凄まじい轟音と共に獣は吹き飛ばされ、内壁に無数の亀裂を刻んだ。
「その程度か。まるで話にならん……覚醒したばかりでは、こんなものだろうがな」
「グ……バ、バカナ……我ノぱわーガ通ジヌ……」
「ひとつ教えておこう。お前のような奴を、かつての地球のことわざで、井の中の蛙というのだ」
ソルドの声は、ひどく冷淡である。
見た目の激しさとは裏腹に、彼の感情の波は表に現れていない。
そうするのが当然といわんばかりだ。
対して獣には、焦りの色が見えていた。
「オノレ……ナラバッ!!」
獣はホールを大きく飛び越えるかのように跳躍した。
その行き先には、いまだ気を失って倒れているボリスの姿があった。
「む……?」
「ククク……コレデモ、我ヲ攻撃デキルカ? 攻撃スレバ、コノ男……ぼりす=べっかーハ死ヌゾ?」
ボリスの首根っこを掴んで吊り上げ、獣は嘲笑する。
かつての友人を盾にする姿には、ジョニーの意思など微塵も感じられない。
一瞬、怪訝そうな顔をするソルドだったが、すぐにその口から嘆息が漏れる。
「ふむ……前言を撤回しよう。お前は蛙以下の存在だ」
「ナニィ!?」
「そんな人質で私の攻撃を防げると思ったら、大間違いだということだ!」
叫びに応えるかのように、ソルドの胸に秘められた【無限稼動炉】が唸りをあげる。
彼の手に七色の炎が生まれ、それは巨大なプロミネンスを生み出す。
蛇のような七つの炎の奔流が、意思を持ったように目の前の敵を襲う。
暗緑色の獣は、一瞬にして業火に包まれた。
「グアアアアアァアァァアァァァァァ…………!!!」
「我が炎は任意の対象のみを燃やし尽くす。カオスレイダー、お前だけを滅ぼすなど造作もないことだ!」
「ウオオオォォォオオオオオォォォオオォォォ…………バ、バカ、ナァ!!」
断末魔の絶叫が響き渡る中、無情な炎の輝きが辺りを照らしている。
不思議なことに、燃え朽ちていく獣の傍らで、ボリスだけはなんの変化も見せずにいた。
業火の中にいるにも関わらず、その肌も衣服すらも焦げる様子はない。
「ウオォォォォ……ぼ、ぼりす……ぼり、すぅ…………」
なす術もなく燃え尽きる獣は、最後に旧友の名を呼ぶ。
しかし、その言葉がボリスの耳に届くことは、ついになかった。




