(22)落ちた太陽
天空に向けて、火柱が立ち昇る。
闇を切り裂いて噴き立ったそれは、雲を貫き夜を照らす。
轟音と共に、火柱の発生源である研究棟が崩壊する。
山の木々が燃え始め、優秀な頭脳が研鑽することを目的とした広大な学府に喧騒がこだまする。
「うおおぉぉぉぉおぉぉっ!!」
その炎の中から飛び出したふたつの影がある。
ひとつは炎と同じ赤き色を宿した鋼の戦士。もうひとつは闇よりも暗い黒を宿した邪悪なる影――。
ふたつはぶつかり合い、離れたりを繰り返しながら、空に輝く軌跡を残す。
「フフフ……やるねぇ。特務執行官【アポロン】……実に楽しいじゃないか!」
黒き影――【ハイペリオン】は、愉快そうにつぶやく。
その黄金の瞳は爛々と輝き、目の前の赤い光を見つめている。
「戯言をっ!!」
その相手である特務執行官【アポロン】ことソルドは、無機質な顔に怒りの表情を宿す。
忌まわしき敵である【統括者】に対し、彼は手の上で生成した火球を無数に撃ち放つ。
散弾のように放たれたそれらは蛇のようにうねりながら、【ハイペリオン】を襲う。
「フフフ……無駄無駄……」
しかし、黒い影はその腕を素早く動かし、虫を払うように火球を叩き落とす。
落とされた炎がベルザスのあちこちで爆発し、地上の惨劇を加速させる。
「おのれっ!!」
怒りの咆哮と共に【ハイペリオン】に突っ込んだソルドは、炎を帯びた拳で相手の顔面を殴り飛ばそうとする。
しかし、その手は呆気なく掴み取られる。
「この程度の力では、お話にならないねぇ」
受け止めた手から煙を噴き上げつつも、嘲笑った【ハイペリオン】は空いた手で衝撃波を放つ。
それはソルドの腹に炸裂し、その身体を遥か下方の林の中に叩き落とした。
轟音と共に木々が砕かれ、砂塵と粉塵が噴煙の如く巻き上がる。
「く……貴様ああぁぁああぁぁぁ!!!」
少なからぬダメージを受けたソルドだが、その闘志は衰えない。
立ち上がりざまに彼は両手に強大なエネルギーをみなぎらせると、それを天空の敵目掛けて突き出す。
放たれた灼熱のエネルギー流が、ビームのように【統括者】を襲った。
双頭カオスレイダーを一蹴した攻撃――しかし、それに対しても【ハイペリオン】は動じた様子を見せない。
眼前まで迫ったエネルギーを、彼は両腕を交差させて受け止める。
眩い光が弾ける中、一気に腕を真横に振り抜くと、エネルギー流は複数に分散して落下する。
先ほどの火球同様に着弾した閃光が、そこにあった学府の建物を打ち砕く。
「うおおおおおぉぉああぁぁぁっ!!」
「……ん?」
攻撃を捌いた【ハイペリオン】は、そこでソルドが眼前まで迫っていることに気付く。
宙で前転した灼熱の特務執行官は、炎を帯びた踵を敵の顔面に向けて叩き落とした。
激しいスパークが巻き起こり、対消滅による衝撃が【統括者】を地に吹き飛ばす。
「ハハハハハ……いいねぇ。楽しいじゃないか!」
しかし、【ハイペリオン】は途中で落下を止めて舞い上がる。
その声の調子からは、ほとんどダメージを受けた様子が見られなかった。
「今度はこちらから行くよ!」
黒い影はそう叫ぶと、その手をソルド目掛けてかざす。
同時に巨大な黒い手が宙に現れ、特務執行官の身体を鷲掴みにした。
ソルドを潰すように握り締めた幻影の手は、やがて無造作に彼を地に向かって投げ捨てる。
「うおおおぉぉぉぉぉっっ!?」
再び山の中に落とされたソルドは、隕石落下のような大きな溝を地に刻む。
幻影を消した【ハイペリオン】は、そんな彼の姿を見て再び大きく哄笑していた。
「始まったようね……」
プリズム・レイク付近で天空の戦いを眺めていた【テイアー】は、いつもながらの冷めた口調でつぶやいた。
戦いの余波は彼女のいる付近まで及んでおり、飛来した炎が周囲の林を朱に染めている。
「まったく勝手なもの……仕上げだけ、私に任せるなんてね」
【統括者】である黒い影にとっては、周囲の凄惨な光景など見慣れたものであった。
むしろ整然と整えられた美しい景色など、無価値なものにしか映らない。
朱と闇に彩られた天を眺める銀の視線の外側から、やがてひとつの影が近づいてきた。
「【テイアー】……」
そこに現れたのは、朱に交わらない緋色を纏った一人の女であった。
言わずと知れたアレクシア=ステイシスだ。
「来たわね。アレクシア……ちょうど良いタイミングだわ。あなたの力も貸してちょうだい」
「人を呼び付けといて、いきなりね……なにをしようっていうの?」
アレクシアは、わずかに嘆息しながら問い掛ける。
ソルドたちが研究棟への侵入を果たしたのと時を同じくして、彼女は【テイアー】に呼び出されていたのである。
結果として彼女はA.C.Eモードを発動したソルドと相対せずに済んだのだが、それが僥倖だったかどうかはまた別の話だ。
緋色の女の姿を見つめ、【テイアー】は特に気にした様子もなく、端的な言葉を紡いだ。
「採掘とでも言っておくわ」
「はぁ?」
あまりに意外な単語に、さしものアレクシアも眉をひそめる。
ただ、その採掘の意味が混沌の使者たちにとって非常に重要なものであることを、彼女はすぐに知ることとなった――。
もう何度目かになる技の応酬を繰り返しながら、ソルドは歯噛みしていた。
そのダメージは想像以上に深い。全身にひび割れが走り、内側から人工血液が噴き出す。
A.C.Eモードを発動した状態においてさえこれでは、普段の状態なら致命傷になっていたことは間違いない。
(これほど力の差があるとは……サーナが【テイアー】を退けられたのは、相手が手を抜いていたからなのか? それとも……)
わずかに理性を取り戻した彼は【統括者】の実力を目の当たりにし、改めて戦慄する。
目の前の敵を睨みながら、その心中で祈るように呼び掛ける。
(コスモスティアよ……我に力を与えてくれ! あの敵を打ち倒すだけの力を……!!)
そして再び光のごとく天空を駆ける。
雄叫びを上げながら、彼は再び炎の拳を【ハイペリオン】目掛けて叩き付けようとした。
「……ふぅん? なんだ……」
しかし、【ハイペリオン】はその攻撃を見て、冷めたような声を上げる。
突き出される拳をまったく気にした様子も見せない。
やがてその先端が黒い顔面に炸裂しようかとした瞬間だった。
「な……!?」
ソルドは、自身の身体が【ハイペリオン】をすり抜けたことを知った。
慌てて宙に踏み止まり、敵に対して身体を向け直す。
(これは……バカな……!? 力が……抜けて……!)
いつの間にか、その手に宿っていた炎が消失していた。
そればかりではない。彼の全身を包むように膨れ上がっていた強大なエネルギーそのものが失われていたのである。
「残念だよ。特務執行官【アポロン】……やっぱり君の力はその程度だったんだねぇ」
「なにっ!?」
「少しは期待したんだけどなぁ……もう少し楽しみたかったよ」
落胆したようにつぶやく【ハイペリオン】に、ソルドは動揺を隠せない。
(なぜだ? なぜ、これほどまでにパワーダウンして……!? A.C.Eモードを使った反動なのか……!?)
異形とも呼べたその姿も、再び変容していく。
普段の赤髪の青年の姿に戻ってしまったソルドは、そこで冷徹な【統括者】の声を聞く。
「【アポロン】……君は【秩序の光】に見放されたのかもね」
「な……なに!?」
「まぁ、無理もないことだと思うけど。地上の有様を見てみるんだね……」
その声に従って彼が下方に目を向けると、そこには灼熱の業火に包まれ炎上する山があった。
ベルザス・ユニバーシティもまた炎の中にあり、建物の大半が倒壊している。
夜ゆえに人の姿は多くなかったものの、悲鳴や怒号はあちらこちらから聞こえてくる。
死者や怪我人がゼロということはあり得ない凄惨な状況だった。
「仮にも秩序の戦士が、こんな破壊と殺戮を撒き散らすような戦い方をしていいのかい?」
「わ、私は……!」
「かつての戦士たちは、ここまで無様な戦い方はしなかったよ。君は無為に力を振りかざし、僕を打ち倒そうとした。まるで駄々っ子のようにね……」
ソルドは、ただただ愕然とした。
A.C.Eモード発動からの記憶がないわけではない。
しかし、その最中で気遣うべきだったことにまるで気付かず、目の前の敵を倒すことだけを考えていた。
怒りの衝動のままに、力を振るっていたのだ。
「どのみちそんなものでは、僕は倒せないけどね。ま、君に【秩序の光】を扱う資格なんてなかったということさ」
【ハイペリオン】は、そんな彼に無慈悲に告げた。
その言葉は的確にソルドの胸を抉り、彼の戦意を喪失させるには充分であった。
「でも、【秩序の光】が厄介なものであることは事実だからね。死んでもらうよ、【アポロン】……君の戦いは、ここでジ・エンドだ!」
動くこともできず滞空する青年に向け、黒い影は再び手をかざす。
現れた巨大な幻影の手が、漆黒のエネルギーを大きく膨らませてソルドに叩き付けた。
「う……うおおおおおああぁぁああぁああぁあぁぁぁぁ……っっ!!!」
強大な破壊の力に包まれ、ソルドの身体がズタズタになりながら落下する。
自由落下を遥かに超える速度で地面に叩き付けられた彼は、激しい土砂を巻き上げながら地中深くに埋没し、完全に見えなくなってしまう。
【統括者】の哄笑が、勝利を確信したかのように夜の空に響き渡る。
そして惨劇の炎と闇の中、赤髪の特務執行官が再び戦意を抱いて立ち上がってくることはなかった――。




