(17)待ち受ける悪意
夜の帳が降りた中を、ソルドたちは進む。
プリズム・レイク付近から伸びた隠れ道は人の手が入っていないこともあり、かなり足場が悪い。
あちらこちらに木の根が張り出している上、道幅も人一人通るのが精一杯だった。
うっかり足を滑らせようものなら、滑落の危険もあるだろう。
「思った以上に荒れた道だな」
周囲の様子を窺いながら、ソルドはつぶやく。
特務執行官の彼にとっては特に困難な道でなかったが、各所に隠蔽された対人センサーを無力化しながら進むという作業は正直、鬱陶しい。
「歩いていたところが自然に道になったという感じですな。下手に整備して人目についてはまずいでしょうし」
暗視機能のある眼鏡をかけ直しつつ、ノーマンが答える。
彼自身は普通の人間のため、登山に不向きな革靴での移動には少し苦労しているようだ。
もっとも、ソルドについていけないということはなく、息も切らしていない辺りはさすがと言うべきだろう。
「だが、ここまでかなりの数のセンサーが仕掛けられていた。普通の大学施設にはあり得ない警備だ」
「よほど後ろ暗いことでもあるんでしょうか。ますますもって、怪しいですな……」
声を潜めつつ、二人は歩みを進める。
明かりもない獣道を数十分ほども進んだ頃だろうか、彼らの前に三メートルほどある壁が姿を現した。
施設を囲む外壁のようだ。向こう側にはビルのようにそそり立つ研究棟が垣間見える。
「どうやら着いたな。通用口らしきものがある」
太い幹の木陰に身を潜めながら、ソルドが前方を窺った。
壁に設えられたドアがあり、その前に警備ロボットと人間の警備員が一対で立っている。
「ふむ……少し面倒ですな。いかが致しましょう?」
「ノーマンは警備員のほうを頼む。あのロボットは私が抑えよう」
「かしこまりました」
速やかな青年の指示に、老紳士は頷く。
ステッキのコンソールを浮かび上がらせたノーマンは手早くそれを操作すると、先端を警備員のほうに向けた。
ほぼ無音で、その先から白い物体が発射される。
「むがっ!?」
警備員の顔面に広がったトリモチ状の物体が、その視界と呼吸とを奪う。
異変を察知した警備ロボットが動きを見せようとするが、それよりも早く赤い影がロボットの背後に降り立っていた。
ソルドはすかさず手をロボットの首元に突き刺し、システムをハッキングする。ロボットはすぐにその動作を停止し、物言わぬ鉄塊になり果てた。
隣では慌てふためいていた警備員を、ノーマンが昏倒させている。
ここまでにかかった時間は、わずか数秒ほどだ。
「よし……侵入するぞ」
ソルドはドアの傍らにあるコンソールに手を同化させると、そのロックを解除する。
重々しい鉄の扉を静かに引き開けながら、二人は速やかに内部へ移動した。
壁の向こう側に人の気配はなく、特に気付かれた様子もないようだ。
乾いた風の音だけが、辺りに響き渡っていた。
「さて……入ったは良いものの、どこから調べたものですかな」
「闇雲に当たっても仕方がない。まずは施設の詳細を調べたいところだな」
「そうなると、コンピューター端末を見つける必要がありますな。ひとまず、ここに入ってみましょう」
二人は言葉を交わすと、目の前に立つ研究棟の入口に向かった。
施設の中は、明かりこそ点いていたものの、人の姿は見当たらなかった。
正確には、人の気配が感じられない。使われていた痕跡こそあるものの、空気は少し澱んでいる。
(なんだこれは? 人が使っているわけでもないのに電気だけが点いているのか?)
わずかに疑念を抱きつつも、ソルドたちはコンピューター端末のある部屋に侵入する。
ノーマンが周囲を警戒している間に、ソルドが情報を引き出す算段だ。
(ここも含め周辺は、主に実験を行うための施設か……設備もかなり充実している。ここ最近は三号棟の電力供給がずいぶん多くなっているようだが……)
端末に直接アクセスし、施設内容やその他の情報を漁っていくソルドだが、やがて奇妙なことに気付いた。
異常な電力供給の為されている三号棟だけが、外部からのアクセスを受け付けなくなっているのだ。
(この棟だけ、ネット接続から外れた独立区画になっている。なぜ、そんなことを?)
元々、そういう構造なのか意図的にされているのか定かではなかったが、ソルドはそこに違和感を覚えた。
ネット上から知ることのできる三号棟の概要を追った結果、彼はそこにひとつの名前を発見する。
(施設責任者は、ラング=アステリア教授だと!? これは、リーンの父親か!)
行方不明の人物が責任者を務める施設――そこが外部からの干渉を受け付けない状態になっているということに、彼の疑念は高まった。
ダイブアウトしたソルドは足音を忍ばせつつ、ノーマンの元へと歩み寄る。
彼の気配を察した老紳士は、警戒を解くことなく問い掛けた。
「ソルド殿、いかがでしたかな?」
「うむ……ひとまず三号棟を調べよう。実は……」
そこでソルドは調べた内容を共有する。
ひとしきり聞いたノーマンは静かに頷くと、シルクハットを目深に被り直した。
「なるほど……それは怪しいですな。調べてみる価値はありそうです」
「よし、行くぞ」
部屋を出た彼らはソルドの先導の下、三号棟へ向かって駆け出した。
暗天の下、木々の騒めきだけが聞こえている。
人気のない鬱蒼とした林の中に、静かにたたずんでいる人影がある。
闇に溶け込みほとんど同化している影ではあったが、目元に浮かぶ金の輝きは猫のようにその中で異彩を放っていた。
「またひとつ現れた光の反応……しかもこれは、別格の奴か……」
その影――【ハイペリオン】は、天を睨みながらつぶやく。
その口調には、少し不快な様子が滲んでいた。
やがて、彼の背後に別の気配が現れる。
闇に溶け込むような同質の影は、【ハイペリオン】と異なる銀の光を瞳に宿していた。
「君か……傷の具合はどうだい?」
同胞たる【統括者】に、彼は背中越しに問い掛ける。
それに対する【テイアー】の答えは、いつも通りの淡々とした口調だった。
「……特に問題はないわ」
「そうかい? ま、そういうことにしておこうか……」
先刻まではサーナに不覚を取ったことから感情的になっていた【テイアー】だが、今はすっかり落ち着いた様子である。
地を滑るように進んだ彼女は【ハイペリオン】の隣までやってきて、同様にわずか天を見上げた。
「特務執行官【アポロン】が、ベルザスに来たようね……」
「みたいだね。ダイゴがお出迎えの準備をしているから、とりあえず任せるつもりではいるけど……」
同胞の言葉に答えた【ハイペリオン】は、そこでやや声のトーンを落としてみせる。
「ただ、奴らも本腰を入れてきたようだ。この辺りで、少し本気を見せておく必要がありそうだね」
「あなた、まさか……!?」
「なに。心配せずとも、君の獲物を取ったりはしないさ。ただ、今の特務執行官の実力は僕も確かめておこうと思ってね……」
気色ばむ様子を見せた【テイアー】に、彼はいつも通りの口調で答えつつも、同時に強い光を瞳に宿した。
「とりあえず君には、アレの回収を頼むよ。少し手間ではあるけど、そのためのエネルギーは充分に蓄えたはずだからね……」
「……わかったわ」
銀眼の【統括者】は少しもの言いたげな雰囲気を覗かせたが、それ以上は言葉を紡ぐことなく、静かに頷くだけだった。
ほぼ同じ頃、ベルザス・ユニバーシティの施設内の一室で、ダイゴ=オザキは目を細めていた。
「どうやら来たようだな……」
彼の目の前に浮かぶスクリーンには、学内施設の見取り図が映っている。
その図の一部が赤く点滅しており、その点滅がひとつの線になってある方向に進行していた。
「想定通りといったところかしら」
「当然だな。奴らの情報網なら、ベルザスがアマンド・バイオテックの息の残る施設であると突き止めることは容易かろう」
同じようにスクリーンを見つめるアレクシアに、彼は葉巻を燻らせながら頷く。
「それにしても見事な手際ね。こうも容易くセキュリティを突破してくるなんて」
「奴ら特務執行官に、そんなものは役に立たん……だが、すべての足取りを消すことは不可能だ」
動く赤い点滅の向かう方向には、ひとつの施設があった。その上には、ナンバースリーの文字が浮かんでいる。
やがて点滅が施設に到達したところで、ダイゴはスクリーンに背を向けた。
「さて、こちらの出迎えの準備は完了した。せいぜい足掻いてもらうとしようか」
その口元が、怪しく歪む。
男の前には巨大な窓があり、眼下には広大な空間が広がっている。
中には数十名の緑の肌をした男たちがたたずみ、その先の壁際には一人の人物が磔になるような形で鎖に吊るされていた。
「楽しみだよ。ソルド=レイフォース……貴様の苦しむ様を見るのはな」
その人物は、薄汚れた全裸姿の少女――フューレ=オルフィーレであった。




