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APOLLON -灼熱の特務執行官-  作者: 双首蒼竜
FILE1 それはかつて友だった
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(4)疑念と思い出と


 ホールは、意外なまでの静寂に包まれていた。

 造られた闇の中に、淡い光のカーテンが下りている。

 巨大な空間を駆け抜けるのは、赤と緑のレーザー光だ。

 わずかに立ち込めるスモークが、穏やかで幻想的な光景を演出している。

 光の交錯するステージ上には、一台のグランドピアノが鈍色の輝きを放って鎮座している。

 それぞれの席に座り開演を待つゲストたちは、宗教めいた雰囲気の中にいた。

 誰もが一様に押し黙る様子は、少し異様でもある。不可解なまでの静けさだ。

 そのゲストたちの中央――ステージ寄りのやや目立つ席に、ボリス=ベッカーの姿はあった。


(……あの女、いったいどういうつもりなんだ?)


 いつもなら彼は、居心地の悪さを感じただろう。

 しかしその意識は今、別の事柄に囚われている。

 開演前に接触したメッシュの女の言葉が、耳の奥にこびりついている。


『ひとつ忠告しておくわ。かつての友が、今日の敵になる……それが今は、ごく当たり前に起こる世の中だということをね』


 ボリスとしては、怪しげな雰囲気を漂わせる女を牽制するだけのつもりだった。

 だが、当の女から返ってきたのは、予想だにしなかった言葉であった。


(かつての友が今日の敵だと? あいつが、俺の敵になるとでも? くだらねぇ。そんなことあるはずがねぇ……)


 もちろん、ボリスとしてはそんな言葉に踊らされるほど、脆い神経も安い友情も持ち合わせてはいない。

 しかし、あまりに悟ったような口調と真摯な声音が、引っかかっているのも事実だ。

 だからこそ苛立っている。無意識的に疑念を抱いているのだ。


(ちっ! 俺もヤキが回ったか。あんな女の言葉で、ブチブチ悩むなんてよ……)


 彼が無造作に煙草を灰皿に押し付けると、ホール内アナウンスが流れ始めた。


『皆様、本日はようこそ【ジョニー=ライモン・ピアノリサイタル】にお越しくださいました。これより開演でございます。天才ピアニストと謳われるライモン氏の演奏を存分にお楽しみくださいませ』


 ほぼ同時にレーザー光が消え失せ、代わりに暖色のライトがステージ上に降り注ぐ。

 そのスポットの真下――床からせり上がるようにして現れたのは、ジョニー=ライモンその人だ。

 先ほどまでの気さくな雰囲気は消え失せ、どこか近寄りがたい空気をまとっている。


(相変わらずだな。こういう時はやたらと集中してやがる)


 整然とした拍手やわずかながらの歓声を耳にしつつ、ボリスはちょっとした安堵感を覚えていた。

 ジョニーはゲストを見渡して一礼すると、グランドピアノの椅子に腰掛ける。

 再び交錯し始める光の帯の中、彼はおもむろに両手を掲げて鍵盤上に振り下ろした。

 ダイナミックな動きに合わせて響き渡るメロディ――それはピアノ曲としては弾かれることの少ないクラシックジャズの曲だ。


「……この曲は……」


 ボリスは、郷愁を誘われる。

 そして、なんとも言えぬ懐かしさに心を震わせていた。


「ふん……あいつらしい。変な気を回しやがって……」


 わずかに笑みを浮かべながら、彼はふと昔のことを思い出していた。




 十三年前のベータは、小雨混じりの天気だった。

 作り出された天気とはいえ、こういう日は人々の表情も陰鬱になりがちである。

 ボリスはCKOの保安学校に通う生徒であり、学費支払いのためのアルバイトを繰り返していた。

 この日も老朽化建築の撤去作業を終え、帰路に着く途中だった。

 スクラップ処理場の脇を通りかかった時、彼の耳に聞こえてきたのは男たちの言い争う声だった。

 他人のケンカならボリスもあえて首を突っ込まないが、その時は仕事上の不満でムシャクシャしていたこともあり、捌け口を求めていた。

 声のするほうへ足を向けた彼は、数人の男が一人の少年を囲んでいる現場に遭遇する。

 腕に四角いパッドを抱えた少年は、男たちに対して脅えることもなく毅然とした様子で相対している。


「俺がどこで演奏しようが、お前らには関係のねぇことだ! 腐れた耳しか持たねぇ奴は、どこかへ消えやがれ!」

「んだとぉ!? 下手に出てりゃつけあがりやがって!! 人の縄張りで好き勝手やった落とし前はつけさせてもらうぜ!!」

「やれるもんなら、やってみやがれ!!」


 売り言葉に買い言葉で、たちまちその場で乱闘が始まる。

 少年はよほど腕に自信があったようだが、多勢に無勢で追い込まれるのは必至だ。

 ボリスは迷うことなく、少年の手助けをすることに決めた。


「へっ……セコイ真似しやがる奴らだ!! わりぃが、助太刀させてもらうぜ!!」

「なんだてめぇは!?」

「構わねぇ。まとめてやっちまえ!!」


 ケンカのことは、あまり詳しく覚えていない。

 ただ、ボリスたちが勝ったのは事実だ。

 もちろん二人とも傷だらけになったが、男たちはそれ以上のケガを負い、一目散に逃げ去っていった。


「……よぉ、生きてるか?」

「ああ……なんとかな。すまねぇ。助かったぜ」


 鉄屑の山に背中を預けながら、ボリスと少年は微笑み合う。

 爽快感の支配する今は、全身の痛みすら心地良い。


「気にすんな。こっちも軽く汗を流したいところだったからな……にしても、お前、なんであんな奴らに絡まれてたんだ?」

「ああ……奴らの縄張りとかいう場所で、演奏やってたのが気に食わなかったんだとさ」

「演奏?」

「これでもさすらいのピアニストさ。せっかくだから、聞かせてやろうか?」

「ピアニストだぁ? 冗談言うな。そんな奴がなんでわざわざ手を痛めるような真似すんだよ?」


 ボリスは素っ頓狂な声をあげる。

 少年の手はかなり節くれだっており、繊細なピアニストのものと比較すると明らかに異質だった。

 むしろ肉体労働者の手と言ったほうが、しっくりくるだろう。


「ピアニストでも、いろんな奴がいるのさ。俺に言わせりゃケンカ程度で使えなくなるような手じゃ、ろくな演奏もできやしねぇ」


 少年は言いながら身を起こすと、ケンカの最中も肌身離さず持っていたパッドを地面に置く。

 表面に何回か指を走らせると、宙にホログラフィーが浮かび上がった。それはグランドピアノの映像だ。

 彼はそのホログラフィーの前に立ち、両手を掲げてみせる。


「さぁ、なにがいい? たいていの曲なら弾いてみせるぜ?」

「……俺は、ジャズしか聴かねぇんでな。お行儀の良い曲は知らねぇ」

「へぇ、ジャズか。悪くないな……じゃあ、こんなのはどうだ?」


 ボリスの答えに頷いた少年は、豪快に指を虚像の鍵盤に走らせる。

 その動きに合わせて、パッドから音楽が聞こえ始める。

 噂で聞いたことはあったが、それは【MIA】という楽器再現装置のようだ。

 しかし、それ以上にボリスが驚いたのは、演奏の巧みさだった。

 時に静かに、時にダイナミックに、少年の指は鍵盤上を駆け抜け、音の連鎖を生み出していく。

 ボリスもよく知るクラシックジャズの曲だったが、迫力も繊細さもディスクで聴いたものとは大違いだった。


「驚いたぜ。スゲェな。お前……」

「見直したか?」

「ああ……それだけの腕があれば、メジャーになるのも夢じゃねぇ。まぁ、根拠はねぇけどな」


 演奏が終わったあと、ボリスは素直に感嘆の声を漏らした。

 正直、ピアノでここまで感動したことはない。

 少年の腕は間違いなく天才レベルだと思った。


「へっ……そう言ってくれる奴がいるだけでも嬉しいもんさ」


 彼はやや照れたように頭をかくと、【MIA】をシャットダウンする。

 ボリスはそんな少年の目の前に歩み出ると、そっと右手を差し出した。


「お前、名前はなんていうんだ? 俺はボリス=ベッカーってんだ」

「俺はジョニー……ジョニー=ライモンさ」


 ボリスの手を握り返す手は力強く、温かいものだった。

 それが、ジョニー=ライモンとの最初の出会いだった。





「皆様、本日は私のリサイタルにお集まりいただき、ありがとうございます。ここで私は、一人の男性を、皆様にご紹介したいと思います」


 ノスタルジックな一時を思い起こさせる演奏を終え、ジョニーは静かにステージの中央に歩み出た。

 降り注ぐスポットの光を浴びながら、彼は聴衆に語りかける。


「彼は私の友人であり、私がここまで来れたのも、彼との出会いがあったからこそでした」


 そしてジョニーはいまだ夢見心地のボリスを、突然に指差した。


「彼の名は……ボリス=ベッカー!」


 わぁっという歓声があがり、同時にスポットライトがボリスの上に降り注ぐ。

 眩しさに思わず彼が目を細めると、傍らに黒服の男が現れ、その肩を叩いた。


「……おいおい、こいつはなんの冗談だ?」

「ちょっとしたサプライズですよ。とにかくライモンさんがお呼びです。さぁ、ステージへ……」


 突然の出来事に目を白黒させつつ、ボリスは黒服の導くままにステージへのステップを登る。

 そこには彼の友人が、どこか誇らしげな顔をして立っていた。


「おい、ジョニー……いったいなんのつもりで……」


 ボリスは責めるような視線を向けるが、ジョニーはその発言を手で制す。

 そして、マイクに向かって言葉を続けた。


「彼は貧しかった時代より、私を支えてくれたかけがえのない友人です。今日ここに彼を招いたのは、そのお礼をしたいと思ったからなのです」

「ジョニー……お前……」


 歓声がさらに大きくなる。

 まるで狙ったかのようなタイミングだが、それもすべて、この時のための演出だったのだろう。

 恐らくゲストの中に、エキストラが何名か混ざっているのは間違いない。

 ただ、そんなことを置いても、ボリスはジョニーの気遣いが嬉しく思える。

 驚きに昂ぶっていた神経は、収まりつつあった。


「私が彼に捧げるもの……最高のプレゼント……それは……」


 しかし、次の言葉が放たれた瞬間、ボリスを含め会場内のすべての人間の思考が凍りついた。




「そレハ…………死、ダ!!!!」


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