「輝きの鏡」(7)
乾いた風の中、リグは絶えず魔物の視線を感じながら歩いていた。
「エラル、結界の聖術を唱えておけ。かなりの数を感じる。」
視線を真正面に据えたままリグはエラルに告げる。エラルは小さく頷いた。
やがて陽が西に傾き、宵闇が近づいてくる。
目指す町はまだ見えず、二人はやや焦りを覚えていた。どちらからともなくふうと息をつく。
魔物たちはその好機を逃さなかった。
リグの感じていた視線は殺気となって四方八方から襲いかかってきた。獅子のような体躯、その顔はぞっとするほど白い能面で覆われていた。
「ちっ!」
リグはエラルの背を庇い、振り向きざまに白刃を魔物に薙ぎ払った。数匹の魔物が声を出す間もなく倒れる。しかし魔物は二人に死の牙と爪を立てようと波のように襲ってくる。
リグは一旦刀を背に収めると、魔法陣を中空に描いた。
「……我が魂よ、古の血束により汝の力を行使する。
刃よ、真円を描け! 刃よ、我が周り蠢く妖しを打ち捨てよ……!」
リグは赤黒き光を帯びた魔法陣をスライサーのように魔物に投げつける。魔法陣は鋭い刃となり、周辺の魔物を次々と切り刻んでいった。
そんな中、一匹の魔物がエラルの前に踊り出た。エラルは錫杖で爪をはじいたが、力が足りなかった。そのまま地面にどうと倒れる。
「エラル!!」
リグは叫ぶが早いかその魔物を袈裟懸けに一気に斬り裂くと、エラルに走り寄った。
「……大丈夫、少し服をかすっただけだよ。」
エラルはすぐに起き上がろうとしたが、地面に倒れた時の衝撃の強さに頭を抑え、ごほごほと咳きこんだ。その隙に魔物はどんどん押し寄せてくる。
「くそっ! 一体どこからわいてくるって言うんだ!!」
このままでは二人とも体力を使い果たして魔物の餌食になるだけだった。ようやく立ち上がったエラルは周りをざあっと見渡すと、リグの背に己の背を合わせ、錫杖を両手で水平に高く持ち上げた。
「リグ、君も力を貸してくれ。退魔の聖術を唱える……!」
「俺が? そんな……」
戸惑うリグにエラルは強く叱咤する。
「忘れたのか! 君も聖術士なんだ!!」
その声にはっとして、リグも刀を抜き、エラルのように刃を高く捧げ持つ。二人は互いの呼吸を合わせるように目を閉じ、精神統一をした。
魔物たちはこれを絶好の機会だと思い、次々に飛びかかってくる。彼らの爪が二人の鼻先まで迫ろうという時、二人の呼吸はひとつになった。呪文の詠唱が重なり合う。
「我が古の守り神よ、邪なものどもの罪を裁きたまえ、罰を与えたまえ。
天の光よ、我らを導きたまえ……!」
二人の周りには、温かさに包まれた淡く白い光の輪が幾重にも現れ、広がっていった。その白い光はどんどん大きくなり、周囲をまばゆくかき消していく。その光に魔物は融けて消えていった。
再びあたりに静寂が訪れる。魔物の気配が消えたことを確認し、二人とも膝を折った。
「ありがとう、リグ。助かったよ。」
「それを言うのは俺の方だ。
エラルが聖術を使ってくれなかったら、今頃は二人で魔物の仲間入りだ。」
息の乱れを正しながらリグは天を仰ぐ。同じように呼吸を整えているエラルは言った。
「いや、リグの力がなかったら、今の術は成功しなかった。
君の聖術士としての力は本物だ。」
「聖術士の、力……。」
魔幻士の力しか使ったことのなかったリグには新鮮な脱力感であった。今まで聖術は机上での学識しかなかった分、実践での負荷はかなりあったのだろう。
しかし幻魔術の行使とは裏腹に、何故か清々しかった。
暗雲がなければ満天の星空であろう深夜、二人は何とかギネムハーバまで辿り着いた。
ギネムハーバは町の西にある世界樹と呼ばれる聖なる大木と、東にある水晶石の発掘で御守りなど退魔の術具を作り栄えた町であった。
ふと西に目をやると心なしか青々とした輝きが見える。おそらく世界樹であろう。世界に湧く聖水はすべて世界樹の身体を通り地下水になるのだと伝えられていた。
そして目の前には山の頂きに伸びるようにそびえ立つ石造りの塔、嘆きの塔が姿を見せていた。
しかし様子がおかしい。
その塔の門を守っているはずのギネムハーバには人の気配がなく、ところどころが沼に沈んでいた。家屋も半壊、全壊し、町があったことさえ幻のようだ。
エラルが哀しげに呟く。
「……この町にはもう、人はいないみたいだ……。」
「魔気のせいで……、畜生!」
リグは苛立ちを隠しきれず壁を叩いた。その振動で壁がぼろりと剥がれ落ちる。
二人は何とか休めるところはないかと沼地に沈んでいない石畳を跳ぶように歩いていった。
すると、町の中央に人影らしきものが見えた。
「エラル、油断するな。この町にはもう人はいないんだ……。」
「いや……多分『人であったもの』がいるんだろう。
リグ、呪いを解いてあげよう……。」
エラルの言葉にリグは頷いた。魔物であれば人肉のない廃墟にはもう用はないはずだ。しかしその魔物は町の中心から動かず、まるで何かを待っているようだった。
二人は魔物の正面に赴き、相対した。魔物はぼろぼろの青い布切れを頭からかぶり、その破れた隙間からはグロテスクな粘液状のものが蠢いていた。そしてそれは二人を認めると、狂ったように暴れ、突進してきた。
エラルは錫杖を地面に立て、リグは刀を水平に構えた。二人は互いの武器を十字に合わせる格好で、呪文を柔らかに唱和した。
「我が古の守り神よ、この哀れな魂に救いを与えたまえ。
魔に囚われた心を開放したまえ……!」
リグは刀の切っ先をぐるりと回し、光の円陣を作る。その中心をエラルの錫杖が魔物めがけて突き刺した。その後を追うようにリグの真円の光が魔物の身体を抜けてゆく。
「ギ……!」
魔物はゆっくりと倒れるように塵と化していった。
そしてあたりは闇と静寂だけになった。
「……こいつは、何でこんなところにいたんだろうな……。」
ざあっという風の音と共に塵は飛び去り、青い布切れがそよいだ。ふとリグがその光景に目をやると、怪しいふくらみがある。彼は布切れを取り上げた。
そこには白木で作られた小さな箱があった。
「……開けてみよう。」
二人はそっと小箱を開ける。中には小さな黒い鍵と一枚の紙切れが入っていた。
鍵はおそらく嘆きの塔の鍵であろう。リグは紙切れを手にとって見る。
それは手紙であった。
「エラル……手紙だ。」
二人は額をすり寄せて今にも消えそうな震えた字で書いてある手紙を読んだ。
『 この手紙を手に入れた人へ。
ギネムハーバはもはや人の住む町ではなくなりました。
人々は魔に侵され、町は死の沼に沈んでいきます。
私も、もう人としての意識を保つことが難しくなりました。
世界に光が戻ることを信じて鍵を託します。
どうか世界をお救いください。
シスターフィアネ 』
「そうか……、あの魔物は……」
エラルは懐にある、グラハムからフィアネへの紹介状にそっと触れた。
シスターフィアネ。彼女は最後の最後まで聖術士としての使命を守り抜いたのだ。たとえ魔に侵されても、その心を忘れることなく……。
「……行こう、リグ。永遠の穴はもうすぐ……ごほっ!」
言葉の途中でエラルは激しく咳き込んだ。そのまま石畳に崩れ落ちる。
「エ、エラル!? どうしたんだ!!」
リグは慌てて屈みこみ、心配そうにエラルの顔を覗き込んだ。
「大……丈夫。ちょっと……ごほっ!」
エラルは無理に微笑み、心配ないと右手をあげた。しかし左手は苦しそうに胸のあたりを掴んでいた。
リグははっとした。
この咳き込み……もしや、いや、まさか……!