「輝きの鏡」(4)
日没。闇が恐怖と共に大地を覆う。魔の時刻である。
彼らは幾度の戦闘に巻き込まれながらも何とか予定通りにグレダリオに着いた。
水清き町グレダリオ。かつては緑であった草原も砂漠に姿を変えていた。せめて町だけは、砂漠のオアシスといった風情にはなっていないかと期待をしていたが、その期待を裏切るように町は、実際の水だけではなくその雰囲気までもが渇きに潤いを奪われていた。
町の囲いはひび割れ、すでに直そうという気もないらしい。半壊した家屋からは血の生臭さが漂い、剣や爪の後が壁に刻みつけられている。おそらく『人であったもの』の仕業なのであろう……。
町の隅でしゃがみこんだ吟遊詩人が虚空を見つめ、詩っていた。
水清き町グレダリオ かつての名前はもはや形のみ
温かき人々集う町グレダリオ かつての人々はもはや居ない
暗闇の空よ 永久の夜よ 世界はこのまま滅び逝くのか
誰か教えてくれ 賢人よ ただ人よ 人であることを失ったものよ……
一通り町を見て回る。宿屋の看板は明かりをつけていない。もはやこの町に旅人など来ないのであろう。
「……どうする? 冷えるかもしれないが、そこらの壁際で仮眠を取ったほうがいいぜ。」
エラルを気遣うようにリグは言う。
「そうだね……。夜に旅をするのは自殺行為のようだし。」
そう言って振り返ったエラルは町の外れに灯を見つけた。
「リグ……あそこは何だろう。ちょっと行ってみよう。」
二人は町の南、小さな泉の脇にある小高い丘へと向かった。
そこにはかがり火を煌々と焚き、天を仰いで祈る聖術士たちの姿があった。
「何をされているのですか……?」
ひとりの聖術士にエラルは声をかける。リグは彼らから身を隠すようにエラルよりも数歩後ろに下がって見守っていた。
エラルのいでたちを見て修行中の聖術士だと理解すると、彼は辛そうな悔しそうな顔をして話しはじめた。
「おお、旅の聖術士よ。よくぞこのグレダリオへお越しくださいました。
しかし美しかったグレダリオも、魔気に侵され今はごらんの有様です。」
そう言って彼は周囲の砂漠をぐるりと指差した。
するとこの聖術士たちの長であろう高位の聖術士であることを示す青色の法衣を着た初老の男が彼らの元にやって来た。
彼はエラルを見て取ると、驚きと共に敬意を表した。
「あなたは確か大聖士様の元にお仕えしていた聖術士……、エラル様ですね?
おお、懐かしい。お久しゅうございます。」
「ああ、グラハム様。お久しぶりです。」
彼が、かつてゴアと共に巡礼の講話をしていたグレダリオの聖術士、グラハムと気付いたエラルは、互いの生存を喜ぶかのように彼と固く握手を交わした。
そしてこの祭壇について問いかける。
「グラハム様、この祭壇は……?
グレダリオでは今何が起きているのですか?」
その問いにグラハムは哀しそうに天を仰ぎ、祭壇脇の小さな泉に視線を落とした。
「この町でも多くの人が魔気に侵され、魔物へと姿を変えていきました。
残された人々を魔気から護るために町に結界を張ろうとしているのですが……。」
そこで少し彼は口ごもった。
重い沈黙。やがて彼はゆっくりと口を開いた。
「結界の力となる聖水までもが魔気に侵されてしまったのです……。
このままではグレダリオはもう……。」
エラルも泉に目を見やり、はっとした。
聖水の泉は普通、瑠璃色の輝きを発している。それが今は澱んだ薄墨のような色になっていた。
エラルはしばらく考え込むように、右手を下顎に近づけ、唇をなでるように物思いに耽っていた。そして何か決心を固めたように顔を上げ、水色の瞳をグラハムに向けた。
「……アインの村の聖堂に戻れば、まだ聖なる泉が湧いています。
それでは駄目でしょうか?」
「何ですと!?」
願ってもない申し出にグラハムは歓喜の表情を見せた。驚いたのは後ろに控えていたリグである。
「おい、エラル!」
エラルの左肩を掴み、強引に振り向かせようとする。しかし彼はそれを振り払い、グラハムに承知、との頷きを見せた。
すぐに踵を返し、町を出て行こうとするエラル。そんな彼を無理やり両腕で制し、リグは闇色の瞳で睨みつけた。
「エラル、こんなところで道草食ってる暇はないんだ!
どうしてあんな……」
「……リグは何のために永遠の穴に行くの?」
「そんな話をしてるんじゃない!」
いきり立つリグにエラルは静かに告げた。
「ゴア様のため? 鏡のため?」
そして凛とした水色の瞳でリグを見つめた。
「……人々を魔気から救うためじゃないのかい?」
その言葉にはっとしてリグは両手の力を抜いた。自分が何を追い求めているのか、改めて思い知らされた気持ちであった。自分は確かに魔幻士である。しかし誰がどう言おうと聖術士としての心を忘れてはいけなかったのだ。ゴアとエラルといる限りは。
落胆したように力を抜いてしまったリグに、今度はエラルが優しく両腕で抱きしめた。
「……ゴア様だってこうするよ。アインの村に戻ろう。」
そんな中、後から急いでひとりの聖術士が追いかけてきた。
「エラル様、外は魔物の刻でございます。
宿屋の扉を開けさせますので、今夜はどうぞお休みください。」
エラルは空を見やり、いくら急を要するとはいえ、この闇の時刻での旅路は確かに危険すぎると判断した。
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えさせていただきます。」
重い宿屋の扉がぎいと開かれると、簡素なベッドが並んでいる。宿屋の主人はグレダリオの聖術士に事の経緯を説明されると、二人に向かってお辞儀をし、申し訳なさそうに告げた。
「宿の方はこのとおりでして……、雨露をしのぐぐらいにしかお役に立てませんが……。
申し訳ございません。」
「ご親切ありがとうございます。私たちはこれで充分です。」
二人は隅にある二つのベッドで旅の装備を解き、しばしの休息を取る。
「リグ、明日の朝一番でアインの村に戻ろう。その為に今は少しでも休んでおこう……。」
黙ってベッドに寝転んでいたリグにエラルはそう告げた。
リグは目を閉じ、しばしの間沈黙を守っていた。そしてゆっくりとエラルから離れるように立ち上がると、再び装備の確認をした。
「……リグ?」
驚くエラルにリグは意を決したように告げた。
「……俺が聖水を取りに行って来る。エラルはここにいろ。」
「! そんなことできるわけないじゃないか!?
今はただでさえ、危険な夜なんだよ?」
動揺するエラルに、リグは己の言葉と現実を噛み締めるように告げた。
「俺にとっては普段と変わらないんだよ。
闇の眷族の呪いを受けた……魔幻士なんだから。」
魔幻士たちは自らの魂を幻魔たちとの契約に交わしている。その為普通の人間より魔に近く、魔気に対して耐性があった。
「リグ……。」
「……すまなかった。俺たちの目的は、この世界を魔気から、救うことだった。
……エラルが正しいんだ。俺は自分のことしか考えられなくて……。」
俯き、震えながら言葉を紡ぐリグに、エラルは優しく慰めた。
「……リグがゴア様を大切に思うのは良くわかってるよ。
リグにとってゴア様は命の恩人で、育ての親なんだから。」
エラルはベッドから静かに立ち上がり、リグの不安そうな瞳を見つめる。そして優しく微笑むと羽のように軽く彼の両肩を包んだ。
「……僕はそういう誰かのために一生懸命になれる……リグが、好きだよ。」
しばらくの沈黙。
リグは少し赤くなった目を隠すように右手で顔を覆った。そして親友の左肩に額を落とし、身体を預けた。
「……エラル。お前がいてくれて、よかった……。」
震える声を搾り出すように告げた。
そしてゆっくりとエラルから離れると音もなく宿屋の出口に向かう。最後にエラルの顔を心に焼きつけるように振り向き見つめるとドアのノブに手をかけた。
「……行ってくる。」
リグはゆっくりと宿の扉を開き、闇の中に消えた。自分を見つめてくれるエラルの視線を感じながら。