続ける理由は見つかったかも知れない
「一種のトラウマみたいなものなんです。炎を見ると、動悸が止まらなくなる。抑えようとして、体が震える。ただ見ているだけで、呼吸すらままならなくなるんです。マッチやロウソクの火、あとはガスコンロみたいな火は克服出来ているんですけど」
出撃ゲート前に戻った俺は、心配そうに見つめて来るファニー・ポケットさんに事情を説明しておく。心配されたのだし、自身のことについて伝えておかなければこの人はきっと納得しないと思ったからだ。
いわゆるパイロフォビア。ある程度は克服しても、克服し切れない部分が残る中程度の炎恐怖症だ。
それに、こうして言っておくことで距離を取ってもらえるかも知れない。理解してもらおうとは思わないし、理解してくれないのが当然の反応。今までだってずっとそうだった。一部の、本当の本当にお人好しな奴だけが俺のことを気に掛けてくれる。ファニー・ポケットさんは俺のようなかなり難のある初心者とはこれ以上、関わらないで欲しい。この人はもっと、普通の初心者に色々と教え込むべきプレイヤーだと思う。
「んーそっかぁ。まー、プレイヤーの事情なんて人それぞれだし、一々それを気にするのもなぁ」
「ファニー・ポケットさんに非は全くありませんので」
「でもさ、それだったらわざわざこういうゲームを選ばないでしょ? なんでこれを選んだの?」
「……ちょっと、賭けを持ち掛けられたので」
「賭け?」
「俺がこのゲームで強くなれるかどうか。その真意は、俺がこのゲームにハマるかどうかってところにあるんだとは思うんですが」
けれど、ここまで全てが俺に対する嫌がらせだったのなら、賭けそのものもただのブラフだったということになる。
「……あなたが強くなるかどうかはあたしには分からない」
「ですよね」
「だってそれは、あなたが強くなりたいかどうかが大事だから。トラウマだから、乗り越えられないから、駄目だから。そうやって、やめちゃってもあたしは構わないと思うけど、それだときっと強くなることは永遠には出来ないような気もする。でも、炎が苦手な人に炎が迸るようなゲームをプレイして克服するっていうのは、強くなるという方向性とは異なる気もするし、荒療治も甚だしいとも思う」
ファニー・ポケットさんはそこで一呼吸置いた。
「どれもこれも、あたしじゃ決められない。決めるのはあなたであって、そしてあなたがどうしたいのか。そこが重要なことなんじゃないかな」
よくは分からないけど、と付け足しつつ、なにやらコンソールを操作している。その数秒後、俺のコンソールが勝手に開いてフレンド登録の確認画面が出て来た。
「え?」
「取り敢えず、フレ登録よろしく。続けるなら、今後もなにかとアドバイスをしてあげる。続ける気が無いのなら、拒否してしまって構わないから」
つまりは、俺が決めろということらしい。
選択を俺に委ねている。ここまで身勝手に振り回した人が、この場面で身勝手に決めることはなく、俺に委ねた。
正直なところ、意味が分からない。むしろこういう唐突に人になにもかもを任せて来る感じは嫌いだ。本人は俺の意思を尊重して、とか勝手に思っているんだろ。良い人っぽく振る舞っている自分に快感を覚えているんだろ。善人の自分って本当に人間性が出来ている、とか自画自賛している。誰だって――そう、誰だって、良いことをしたいと思った時に出て来る感情なんて、大半が善意に隠れた自己評価を上げる行動だからという理由に過ぎないのだ。
そして、その行動すらも起こせない人だって中には居る。起こす気すら湧かない人だって居る。世間から見て、自己評価を上げたところで結局、環境における評価の上昇に繋がらない。街中で通りすがったり、電車に乗っている人の大半は、関わらなければいつまでも知ることのない赤の他人だ。そんな人たちに良く思われたって、なんにも変わらない。そう思えば、動かない意味もなんとなく理解する。
要するにこれは好感度稼ぎだ。良いことをしている自分をもっと見て欲しいという、承認欲求がもたらすものだ。
そうやって、全部を跳ね除けたって良いんだが。
「まだ、始めて一日目なのでもう少しだけ、粘ってみます」
フレンド登録を承認し、俺はファニー・ポケットさんに顔を上げて答える。
たとえ好感度稼ぎだろうと、承認欲求のためだろうと、善意が無ければ俺は救われてはいないし、生きてはいないのだ。だから善と付くのであればたとえ偽善であったとしても、俺は素直にそれを受け入れる。受け入れなきゃならない。自己評価を上げるための材料や燃料になるのだろう。だったら、それで構わない。潔く、材料や燃料になってやるだけだ。
「そう、良かった。じゃ、一先ず落ち着いたら次は近接戦闘のミッションに行こう」
「え゛?」
「だって初心者ミッションはあと四つもあるんだよ? 近接戦闘、地上戦、空中戦、そして最後は総合試験。さっさとクリアしてもらわないと、あたしも解放されないでしょ」
「いや一人で進めますし」
「それだと見込みがあるかどうか見極められないよ。乗り掛かった舟だし、最後まで面倒は見ないと」
「もう今日はこれぐらいでやめようと思っていたんですけど」
「なら最低でも近接戦闘のミッションだけは終わらせようよ。いつまでも初心者ミッションを長々とダラダラと続けても良いことってなんにも無いっていうか、それ以上に制限が多すぎて嫌になってしまうから」
割と今でも勝手気ままに動けているんだが、これで制限が掛けられている状態なのか。
「それとも、炎が怖くて近接戦闘は出来ない?」
「……そういう言い方は卑怯じゃないですか?」
恐怖症の相手を煽るのはやめてもらいたい。俺は大丈夫かも知れないが、本当に駄目な人は倒れるだけでなく救急車を呼ぶ事態になりかねないのだから。
「ノスタ君は意外と負けず嫌いなところがあるみたいだね。まぁ、無理にとまでは言わないよ。あなたの体調次第だし、時間次第。あたしは別になにもかもを強制するわけじゃないから」
けれど表情から読み取れる雰囲気としては、これから近接戦闘の初心者ミッションに同行する気満々というのが受け取れる。
結局、この謎の意気込みから俺は逃れることが出来ず、近接戦闘ミッションをこなし、そしてその際に再び見ることになった爆発という名の炎に苦しみながら出撃ゲート前へと戻り、体のあらゆる反応が鎮まるまで時間を潰し、ファニー・ポケットさんと別れてログアウトした。
現実に戻って最初に感じるのは、思った以上の倦怠感。そして体の節々の痛み――とは言え、これは同じ姿勢で体を放置していたことで起こっている痛みであってゲーム内で受けた痛みじゃない。
ゲームで噴き出した汗で服が湿っているというわけでもなく、俺の体は正常そのものだった。ただ、心はその限りではない。
HMDを外し、『NeST』のケーブルを引き抜いて、再度、背もたれに身を預ける。異常に疲れた。異様に、疲弊している。初めてのVRゲームの緊張から解放されたことも相まって、脳が休息を求めている。VRゲームをやると、脳が活性化する分、眠気が薄くなるはずなのに今の俺はとてつもない睡魔に見舞われている。
「明日もファニー・ポケットさんに見つかったら、俺は振り回されるのか? それは、御免だな。出来れば、一人で出来ることは一人で済ましておきたい」
信じられないくらいの情報量を一度に叩き込んで来るから、あの人のアドバイスは勉強になる部分もあるけど、連日のようには聞きたくはない。
「小山に電話……は、しなくて良いか。土日は……休みだけど、月曜日にどうせ声を掛けて来るだろ」
むしろ、小山から電話が掛かって来る可能性の方が高い。理不尽にも俺から電話するのはなるべく控えろと言っていたので、言われた通り、電話しないでおいてやろうじゃないか。
「小指は、動くな……うん、動く」
義指は自身の意思に合わせて滑らかに動いている。けれど、とても眠いこととあとは入浴と就寝だけなので、もう取り外しておこう。
身を起こして、浴室に行って疲れと合わせて体の汚れを洗い流す。髪を乾かし、歯磨きを済ませて寝間着に着替えたところで、ふと思い出す。
「ファニー・ポケットさん、自分で割と有名だからって言っていたけど……実は、トッププレイヤーなのか?」
あんまり詮索するべきことではないのかも知れないが、『Armor Knight』関連で検索すれば勝手に引っ掛かるレベルで有名であるのなら、一般プレイヤーと同等のレベルであの人のことを知っておいたって良いはずだ。
パソコンの電源を落とす前にブラウザで特定のキーワードで検索を掛ける。
「は……?」
『Armor Knight』の各サーバーのアイドルプレイヤーという文字が画面で踊っている。しばし、思考が停止して文字をしっかりと読み込むことが出来ない。
「いや、マイナーなゲームでアイドルって……アイドル? いや、よく分からん」
それでも嫌々といった具合で頭には情報が入って来る。
セーブルサーバーにおけるアイドルプレイヤーはファニー・ポケットだというのはどうやら確実らしい。なにせネットには活動記録が残っている。あの人が運営しているギルド名は『Brave Singers』。直訳なら『勇気の歌手たち』。時折、運営から大会サーバーと同程度のサーバーを借りて歌を唄っている……と書かれている。
それと合わせて、各サーバーのアイドルプレイヤーの名前も目に入る。一部はアイドルというよりは、歌を唄うプレイヤーのことを勝手にそう呼んでいるようだが。
「パーピュアが、魅子。ギュールズがエヴァンス、ヴァートがルー&リュー」
そしてアズールサーバーは現在、ネムネムというプレイヤーがその枠に収まっているようだ。
ゲームや親切なプレイヤーについて調べようとしたら、何故かアイドルについて調べているみたいになっている。なんだこのギャップ。
「って言うか、街の雰囲気も違うんだな……セーブルは城塞都市って感じだったけど」
パーピュアは和風でギュールズはSF。ヴァートは氷都でセーブルが魔都でアズールがファンタジー。
ともかく、ファニー・ポケットさんがゲーム内でライブをした映像がアップロードされていたので、ヘッドホンをして再生をタップする。
「……超上手い」
素直な感想が口から出て来る。同時に、映像の向こう側に居るあの人の、歌唱に対する情熱が痛いほどに伝わって来る。
どうしてそんなに輝けるのか。どうしてこんなにも眩しく見えてしまうのか。どうしてそこまで楽しそうなのか。その熱は、その炎は、その燃料は、一体どこからやって来るんだろうか。
俺には分からない。
「命の燃料すら危ういクセに、他人の熱を受けたら……燃え尽きてしまうじゃないか」
余命宣告されたわけではないが、俺は小山の言うように現実じゃ亡霊みたいなものだ。生きてはいるけれど、“あの時”に俺は死んでいる。そんな自分が眩しい存在に近付いてしまえば、そのまま浄化されるか或いは消え去ってしまうか。きっと、そのどちらかだ。
「でも……確かめたい」
知りたい。その情熱の根源を。前へと進める強さを。
全てを心から楽しんでいるかのように見えるその全てを。