買い物
小山のぶっ飛んだ話を聞き終えて、さて件のゲームについて色々と準備をしなければと思いながら校門を出た辺りで、妙な違和感を覚えた。その違和感の正体についてはすぐに見当が付いたのだが、敢えて無視し続けていたら帰り道の途中で「無視すんな」と後頭部目掛けて強烈なパンチが飛んで来て、一瞬だが「あ、俺はこのまま死ぬな」と思った。実際はそんなことは無く、理不尽な暴力を受けてからではもう手遅れだったのだが小山に声を掛けた。
なんで付いて来ているのか。そう訊ねたら、「VR機器は揃えるのが大変だから手伝ってあげようと思って」と、それならそうと暴力を振るう前に言えば良いようなことを言って来たのだが、それをそのまま文句としてぶつけることはなく――どうせまたパンチが飛んで来るだろうと先読みし、仕方無く彼女の同行を許した。
とは言え、見目麗しき女子を連れて歩くのは予想以上に周囲の視線を浴びる羽目になるのだな、と。
「『Armor Knight』は店舗では売っていないの。大半のVRゲームはオンライン経由でしか購入は出来ないわ」
「仮想通貨での購入か?」
「どちらかと言えば電子マネーかしら。『Armor Knight』の企業と提携を結んでいる幾つかの電子マネー会社の物をコンビニで購入すれば、あとはパソコンからネットに繋いで購入するだけ」
「値段は?」
「3980円」
サンキュッパが輝いていた頃ってどれくらい前だっただろうか。
「風上君のパソコンはデスクトップ型?」
「そうだけど」
「何年前に購入した?」
「高校に進学してから……自費で購入した」
通帳のお金については伏せる。
「それならVRゲームにも対応できていそう。それじゃ、HMDと『NeST』も買わないと」
自分の得意分野になると、途端に饒舌になるような人は沢山居ると友達は言っていたけど、まさか小山がそれに該当するとは思わなかった。
「まさか今日揃えさせる気か?」
「今日中にログインさせる気」
「無茶苦茶だな」
「予算はどのくらい? 安物のHMDでも良いなら別だけど、頭が蒸れたり、体臭がこびり付いたりした時に手入れが出来ないような物もあるから、出来る限り慎重に選ばないと駄目だし、あと『NeST』も中古より新品の方が機密性は高くなるから」
こっちの呆気に取られている感を受け取りつつも話を進めるその根性には脱帽だ。関わってしまったのが運の尽き……多少なりとも、邪な気持ちを持って放課後に教室に訪れたツケだな、きっと。
「予算については……まぁ、こっちが出せると思う金額なら大抵は問題無いと思う」
「保護者の意見は聞かなくても大丈夫ってこと?」
俺の保護者についてまでは知ってはいないのか。
「一人暮らしだし、放任主義なんだよ。だから、なんでも自分で決める。ゲームをやると決めた以上は、相応の出費は覚悟していた」
だが、パソコンを買い替えなくて済みそうなのはありがたい話ではある。品質にも寄るけど、出来れば三年間は使いたいという思いから、店員の説明だけを頼りにはせず、ちゃんとパソコンのスペックについてはネットで知識を収集して選んだつもりだったし。
「それよりHMDと『NeST』ってなんだ?」
「ヘッドマウントディスプレイを略してHMDと呼ぶの。『NeST』も略語。これはVRゲーム用に特化したタブレット型端末なんだけど、意識を落とし込むタイプのゲームは必ずこの『NeST』を仲介させなきゃならない。発汗や脈拍の異常を感知するだけじゃなく、ケーブルをうなじに刺すことで脳を介さない脊髄反射をゲーム内で実現する」
一日でこんなことを覚えなきゃならないのかと思ったら、頭が痛くなって来そうなのだが、知識をひけらかしている小山は教室で見た、俺を刺し殺すような視線を向けては来ず、どうにも楽しそうにしているので水を差すようなことはどうしても躊躇われる。
やっぱり、女子と話すのは苦手だな。話の切れ目を見つけられないというか、タイミングを見計らえないというか。
「――それと、これから言うことは全ての意識を落とし込むVRゲームに言えることなんだけど、」
「VR機器とやらを揃えてからで良いか?」
話をし続けている小山に対し、強く言い出せないままにVRやAR機器も扱っている大型店舗へと到着してしまっていた。
「え、あ……もう着いていたの?」
訊ねられたので肯いておく。高校から、この店舗に至るまでの間にどれだけ自分自身が得意げに喋り続けていたか。それを理解して、唐突に訪れた恥ずかしさに死にそうになったのか、頬を赤く染めて黙り込んでしまった。
「小山って物腰がキツい割に、好きなことについては話したら止まらなくなるんだな」
「そういうこと言うな」
弱みの一つでも握ったかとも思ったが、こんなものを交渉材料にでもしたら無慈悲な暴力が俺に振るわれるのは目に見えている。なので、もっと彼女の根元を鷲掴みにするような、俺に対して暴力の一つも振るえなくなるようなものを探したい。さっきの後頭部への一撃はたまったものじゃなかったからな。興味からでは無く、生存本能がそうするようにと訴え掛けている。
「言っておくけど、心を許したわけじゃないから」
「なに当たり前のことを言っているんだ。俺と小山の間に、心を許す余地がいつあった? 無いだろ」
ワケの分からないことを言っている暇があるのなら、さっさとこの苦行にも取れる買い物を終わらせることに尽力してもらいたい。そっちだって、賭けのテーブルに乗せるために仕方無く付き合ってやっているのだから、もう少しテキパキと済ましてもらいたいものだ。
「さっき、言いそびれたことの中で、一番重要なことを伝えとく」
「一番ってことは、あと何個かあったのか」
「十個か二十個くらい」
どうしたら範囲が10~20という曖昧さになるんだ。平均を取れ、平均を。
「で、一番重要なことってなんだ?」
「VRゲームだと、義指は使えない」
HMDが並ぶ通路に入ったところで、俺の足はピタリと止まる。
「ありのままでしか、仮想現実は味わえないってことか?」
「喪った物は、喪ったまま。あなたの右手の小指は、形としては表示されるだろうけどきっと動かせない」
「……へぇ?」
それならさほど、辛いとは思わないな。
「他の誰かに欠損しているように映らないのなら構わない」
「片手の指を一本使えないのはかなりの負担になる」
「負担? 今以上の負担が、どこにある?」
小指を喪ったという事実は覆らないし、義指で代用しているという事実も現実として存在する。つまり、誤魔化しは利かない。ならば今だって俺はこれを負担と思っている。思わないように努めたって、ほんの一瞬、思考がそちらに巡れば一気に脳内が占領される。乗り越えた者でも、乗り越えられない者でも、その本質はいつだって変わらず存在していて、“負担”は自分自身が背負わなければならない。そして、それが現実であれゲームであれ変わらないのなら、受け入れるしかない。
「心無いことを言ってしまったけど」
「慣れちゃいないが、気にはしない。不意に思い出して、多少苦しむだろうが、それでも俺は進むんだよ」
いつ、ストレスとして発露するかは分からないが、それもまた一つの人の一生だろう。
「機械にはさほど聡くは無いんだ。パソコン一台を買うのにも知識を揃えるのに随分と手間取った。お前がオススメを教えてくれるのなら、それに従いたい」
「……風上君は、思っていた以上に切り替えが早い」
「ネガティブなことは考えたくないんだよ。だから切り替えが早いんじゃない。逃げているだけだ」
「逃げるという選択が出来ている。それだけはあたしでも、評価してやっても良い」
……なんで上から目線なんだ?
まさか同学年にこんな頭のヤバい女子が居るとは思わなかった。普通に考えて居ないからな、自分を突然「賭けに負けたらペットになる」とか言い出す女子なんて。もっと平凡な高校生活は送れなかったんだろうか。
「そういや、なんで俺に拘っていたんだ?」
「拘っていたわけじゃない。ただ、あなたはとても、強くなりそうだったから」
「買い被り過ぎだってすぐに判明するぞ。早ければ明日の朝には発覚する」
「この“直感”だけは外さない。でなきゃ、女子受けの良い風上君に対して声なんて掛けない」
「女子受けが良いってのは必要な情報か?」
「抜け駆けみたいに思われたら、あたしの高校生活は針の筵だから」
いやもう、なんか男の間では小山はヤベー奴ってことになっているんだが、もしかして気付いていない?
だが、女子の間ではまだ小山は真っ当な奴という評価を受けているのだろう。異性にどう思われていても大したダメージにはならないが、同性にまで嫌われるような余地が入り込めば、確かに針の筵以外の何物でもない。
「抜け駆け……抜け駆け?」
「女子受けが良いってつまり、大体の女子があなたを狙っているってことなんだけど、もしかして気付いていない?」
全然、これっぽっちも。だって女子と話すの苦手だし。
ならこの話はここで終わりにしてしまおう。お互いに気付いていないところがあった。それで結論として閉じてしまおう。女子受けが良いって部分だけを自分で勝手に解釈して、ナルシストも甚だしい横柄な態度を取るようなことだけは避けたい。なので、そこの辺りはよく分からないということで誤魔化すのだ。
「なら目立つことはしないようにしたらどうだ? 放課後に八組で話をするって約束も、そして現在進行形で進んでいる買い物も、これっ切り。以降はほぼ面識は無いものとして過ごす」
「それはそれで構わないけど、ゲームを始めたあなたの進捗状況を知ることが難しくなるから、スマホで連絡先ぐらいは交換させて」
なんにも考えずに言っていると思いたいことばかり簡単に口にする。小山の連絡先を、苦労も掛けずに入手出来てしまうだと? この容姿だけは端麗で、眉目秀麗で、もはや死語にも近くなっている『高校のアイドル』の一人として任命しても構わないレベルの女子の連絡先を、俺が手に入れるというのはとても現実とは思えない。
「なんで?」
「なんでもなにも、これから必要になって来るから」
「まさか女子の間で流行っているゲームに負けた罰ゲームで俺を騙しているんじゃないか?」
「それだったら、ここまで付いて来ていないし、あとそういうのあたし大嫌いだから、もしやるような友達が居たら、きっと絶交するくらいの喧嘩をすると思う」
自分でも言っていることが非現実的だとは思っている。放課後の教室で見た、彼女の視線。そこに込められていた感情。それを汲み取ることが出来たからこそ、俺は彼女の賭けに乗ったのだ。
にしたって、あんまり話したことのない女子とその日の内に連絡先を交換なんて、あまりにも都合が良過ぎやしないか? 俺はもしかしたらゲームの住人で、小山という主人公に攻略されている最中なのかも知れない、などとありもしない妄想を膨らませてしまう。ゲームに喩えてしまったのは、小山からずっとVRゲームの話を聞かされていたからだろう。
「なにもない時に連絡はして来ないで」
「あ、そういう感じ?」
「……なにもない時に連絡はして来ないで」
連絡先の交換を終えた矢先に、二回言われてしまった。これは本当の意味で、情報交換ぐらいでしか俺とのやり取りはしないという意思表示だ。それなのにホイホイと男と連絡先を交換するのも、なにか歪んでいるように感じる。
「でも、あたしがなにかある時は連絡するから無視したら殺す」
小山は暴力系理不尽キャラ。二次元ならそれに該当する。でも、三次元にも存在するんだな。俺は今、現実の珍妙さに痛感している。
まさか本当に殺す気で「殺す」とは言ってないよな。そこのところだけは常識人であることを祈るばかりだ。