小山の理論=暴論
その後、小山が合間の休み時間に教室にやって来ることは無く、平穏無事に今日の授業は終わりを迎え、俺は班ごとの掃除で少しばかり時間を費やしたものの言われた通り、放課後に八組の教室へと足を運んだ。
特段、なにを期待しているでもない。なにか理不尽なことを言われるのだろうと予測しつつ、同時になにを言われても鋼の精神で乗り越えるのだという心の準備も整える。しかし、フィジカルもメンタルもどちらかと言えば人並み以下なので、こんな決意は場合によっては一言目から脆くも砕け散ってしまうに違いないだろう。だが、それでも俺にもプライドというものがある。表面上は、ノーダメを装いたい。
「ああ、来たんだ?」
「来いと言ったのはそっちだ。約束をすっぽかしたら、明日もまた教室にやって来るんだろう?」
「当然ね」
それのなにがおかしいの? と言わんばかりの視線を向けられる。
本当に、どうしてその容姿でお淑やかに育つことが出来なかったのだろうかと、彼女の代わりに嘆いてしまう。容姿端麗であるのなら性格もそれに似合った形で結実しても良いはずだ。なのに、それに相反する攻撃的な視線だ。
「あんまり話したことないのに、なんで突然?」
「あなたの重大な秘密をあたしが知っているから、と言ったら理解してもらえるかしら?」
「重大な秘密?」
「右手の火傷……だけじゃなく、義指でしょう? その小指」
それは別に重大な秘密ではなく、訊ねられればすぐにでも公表するような事実に過ぎない。ただ、大抵の奴は右手の火傷の痕だけに目を奪われてその先の義指となっている小指までは気付かない。
オーダーメイドで自身の肌に合わせ、限りなく本物に近い。男らしくないと思われそうだが、化粧品を用いて繋ぎ目もほぼ見えないようにする。春夏秋冬で四本ほど備え、日焼けなどの肌の色の変化にも対応する。そして半年に一回、義指の調整を専門の病院で行ってもらう。これでもまだ安い方だ。本当の高級品は代わりになる部分に機械を埋め込み、光の当たり具合で肌色の変化に対応する。つまりカメレオンのように擬態する。装着した人が倒れてしまった場合、緊急時に自ら外れて動き出し、電波を発信しながら近場の人に助けを求めるドローンに変形する代物まであると聞く。
「確かに小指は義指だ。物心が付くか付かないかぐらいの時に火傷してね、特に右手は酷い火傷だったらしい。それでも、小指の切断だけで留まって、再生医療のおかげで皮膚が突っ張る感覚も無く、神経も定着している。さすがに小指を生やそうというのは、ちょっと怖くてまだ無理だけどな」
人体の不思議とまでは行かないまでも、なんか怖いし落ち着かないと思う。途中で再生が止まったらどうしようとか、大きなメリットの前にある細かな不安にばかり目が行ってしまうのだ。火傷の痕が残っているのだって、再生医療で全て消すことが出来ますよと言われても、その過程にどうしても一抹の不安があったからだ。それに、再生医療は高額だ。右手の神経、筋肉、皮膚の最低限の再生だけでどれだけ支払うことになるのか。計算したことはないが――いや、計算するだけでも怖ろしい。
「それはどうして?」
「さぁ、憶えて無い。憶えているのは、炎の中で力尽きそうだったってことだけだ」
祖父母からも聞かされているのはそれだけだ。火事で置き去りにされたのか、なにかの爆発の熱波を浴びたのか、それともなにかしらの人災、天災に見舞われたのか。どういうわけか頑なに話そうとはしてくれなかったので、俺も好奇心で訊くのは諦めた。
「それについて、あたしが知っていたら?」
「……へぇ?」
知っているとでも言うのだろうか。
「興味は無い。昔のことには拘らないんだ。過去をどれだけ思い返したって、結果が変わるわけじゃない。俺のこの火傷の痕も消えるわけじゃない」
「そうやってなにもかも諦めて、現実の生き方も怠惰にして、それであなたの人生になにか意味がある?」
「俺に対してだけなのか、それとも誰に対してもそうなのかはともかく、辛辣だな。ただ、他人の人生に一々文句を言う暇があるのなら、小山は自分の人生を文句無しに謳歌するべきだ」
要するに、他人の生き方を怠惰だなんだと言って来るな。そんな威圧の意味合いも込めた視線を俺は彼女に向けて返す。
「VRゲームをやろうとは思わない?」
「話が飛び過ぎだろ。なんで突然、ゲームの話になる?」
「あなたは絶対に、ゲームをした方が良い」
「たかがゲームだろ」
なんで人生論を語っている最中にゲームをしろと言って来るんだ。どんな有識者も、そんな話の飛ばし方はしない。小山は色んな意味で、理解不能だな。
「あなた、自分が生きているって感覚が薄いでしょ」
これまでの言葉はどれもこれもカチコチに固め切った心にはどれとして突き刺さりはしなかったが、今の言葉はさながら心臓を抉られたかのような激しい心の痛みをもたらした。
「だからなんだ?」
「この世界じゃ、あなたは亡霊、或いは幽鬼のような生き方をしている。それは過去の出来事が起因していて、未だにずっと尾を引いている」
ここまで語るのなら、どうやら本当に小山は俺の過去を知っているらしい。だが、俺以上になのか、それとも俺ぐらいの知識量なのかは判断できないままだ。
「それでも俺は生きている」
「けれど、あの時にあなたは一度死んだようなもの。違う?」
「……お前には分からない」
「ええ、分からない」
「だったらなんで俺の心の傷を抉る? 根本的な解決が見えないことに首を突っ込んで、刺激して、苦しめたいのか?」
「そうじゃない。あたしをそんな“悪趣味な人”と一緒にしないで」
さっきまで攻撃的だった視線に、どういうわけか今は激情のような感情が込められている。これでも、俺に向けられる大抵の人の視線は把握して来たつもりだ。ほとんどが不憫に思ったり、気色悪く思ったり、同情が込められる。
なのに小山の視線は、怒りだ。俺の発言に対する明確な激怒であり、強い否定の感情だ。
つまり、これまでの発言の全ては本心から来るものだと判断できる。たった一度の激怒ではあっても、そこに嘘が割り込む余地はない。それぐらい、俺の発言は彼女の本質を酷く傷付けてしまったらしい。これほど本気で怒るのなら、冗談で俺に関わっているわけじゃない。
だとしたら、小山は本気で俺をゲームでどうにか出来ると考えている。馬鹿げているが、それが事実なのだ。
「確かに俺は一度死んだと思っている。昔の俺と、今の俺は果たして同様の思考回路を有していたのかすら分からない。たまにそれが怖ろしくなる。昔を思い出した時、今の俺は昔の俺に取り込まれはしないだろうかと」
他人になにをどう言われたり、どう思われようが大抵のことは無視できる。とは言え、無視できないこともあるにはあるので、鋼ではなく鉄ぐらいの心を持っている。けれどその心は、その精神は、昔からやって来る自分自身と遭遇した時に、果たして無事で済むかどうかは分からない。
「あなたはあなた自身に打ち勝つだけの強さが必要なはず。今の自分は弱いと自覚しているんじゃないの?」
「どこまで俺のことを知っているんだ」
「あたしだって知りたくて知ったわけじゃない。だけど……知った以上は、放っておけないから」
「だからゲームか?」
「ゲームは今のあなたを強くする」
「なんだそのキャッチコピーというかキャッチフレーズは」
「でも事実だから。現実で強くなる方法を見つけられないのなら、仮想世界であなた自身が強くなる方法を探せば良い」
酔狂な奴としか言えない。どこまでゲームを信じているのかは分からないが、どんな医者であっても自分自身を強くするためにゲームをしなさいとは推奨しないはずだ。小山は医者じゃないが、それでも同学年の俺の事情を知った上で、ゲームをしろと求めるのは明らかにズレているし歪んでいる。
いや、元々歪んでいたのかも知れない。俺はただ、それを見抜けていなかっただけだ。同学年であっても、さほどの交流が無かったのだから当たり前だが、もう少し話をするのなら言葉選びは慎重にするべきだった。そして、こんな風に絡まれるのであれば、約束などと言い聞かせてわざわざ放課後の八組の教室に訪れはしなかっただろう。
「ゲームで強くなれるとは思えない」
「なれるとしたら?」
「そこまで自信満々に言えるお前が、俺は怖ろしい」
「賭けをしたって構わない。あたしが負けたら、あなたのペットになる」
賭け云々は良いとして、とんでもないことを言い出した。
「マジで言っているのか」
「だって負けるはずがないから」
そうだとしても、どこから『ペット』などというワードが出て来るんだ。頭がおかしい。いや、頭がおかしいのはさっき理解していたはずだ。
「じゃぁ俺が負けたら、俺はお前のペットになるのか?」
「それは気持ちが悪いから嫌だ」
本当の本当に、親の顔が見てみたい。育て方を間違えてますよとまでは言わないが、彼女の本性を語り尽くしてしまいたい。
「なら、俺が負けた場合はなにを求めるんだ?」
「あたしの好敵手になって」
「は?」
「あなたが賭けに負けるってことは、あなたはゲームを続けるってことになる。だったら、ゲームの中であたしの好敵手になるぐらいまで強くなれ」
最後はただの命令口調になっていた。まだ勝ってすらいないのに、勝ち誇った顔をされるのはいささか、不愉快である。
「その賭けって俺の感覚に一存されていること分かっているか? つまり、なにをどう思うことがあっても俺が強くなれない、つまらないって言えばお前は俺のペットになるってことなんだが」
「……え、ちょっと待って」
なにやら思案し始めた。ひょっとしたらだが、小山は先ほどまで自分が言っていたことがどういう意味を持っているのか、いまいち分からないままに口にしていたのかも知れない。それを俺がちょっとした意地悪によって改めて考えるようになったとしか思えない。だって思案を終えて、明らかな狼狽を見せ、更には俺のことをまともに見ようともせずに一歩下がり、その一歩が机に引っ掛かって盛大に転んだからだ。
「ともかく、やってみないとまず賭けのテーブルにも乗らないわけだから、売り言葉に買い言葉じゃないが、少しだけやってみよう」
元々、興味はあったし……VRゲームのMMOやMOはほぼオンラインが前提だったな。となると月額制、或いは年額制か。料金にも寄るけど、それ以外のゲームに執着しないのなら充分に『趣味』の範囲で遣って良い範疇ではあるだろう。
「そ、そう。それなら良い」
「起き上がれないなら手を貸そうか?」
「大丈夫、立てるから」
小山は言いつつ、スカートを整えて起き上がる。
転んだ際にスカートが捲れていて、しばらくパンツが見えたことについては伏せておく。さすがにそれをオカズにまでは出来そうにないが、言わない方が身のためだし、言わない方が背徳感がある。
「それで、俺はなんのゲームをやれば良い? 好敵手云々と言うんなら、同じゲームをやらなきゃならないんだろ?」
ゲームで自分を強くする。そんなこと、あるわけない。出来るわけが無い。そうやって見向きもしないで全否定しても良いが、ちょっとだけ付き合ってやっても良いだろう。オンラインサービスも年単位での支払いではなく、一ヶ月や三ヶ月、半年と言った具合に料金を分けてくれているだろうし。
「『Armor Knight』」
「MMO?」
「どちらかと言えばミッション受注式だからMOに近い。ただ、ルームを立てる前に拠点としてのサーバーはある」
「ジャンルは?」
「ロボットアクション。ロボットを操縦して、敵機体を撃墜するの。ミッションはCPUやBotで、対人戦はその名の通りPvPになる」
オンラインゲームと言えば大抵はRPGを想定していたから、まさかのジャンルに戸惑いを覚える。女の子がどんなジャンルのゲームにハマるかはよくは知らないが、ロボットを操縦するゲームなんてその中でもマイナー中のマイナーであるように思っているが、それは男の勘違いかなにかか?
「なんでそのゲームをやろうと思ったんだ?」
「モンスターやプレイヤーキャラクターを攻撃するのは、ちょっと動物虐待な感じがあったし、人を殺しているような感じもちょっと……」
「ロボットなら良いのか……? 一応、人が乗っているって前提だろ?」
「あんまり嫌悪感は抱かなかった」
やっぱり小山は歪んでいる。ゲームの中に現実の感覚を持ち込んでどうするんだ。ゲームならゲームらしくモンスターを攻撃しても構わないし、PvPでプレイヤーキャラクターを攻撃しても罪悪感を抱く必要は無いはずだ。
なのに、それを抱く。彼女の中に、意味の無いモラルが自生している。現実じゃこんなにモラルが欠落しているって言うのに。
「賭けのテーブルに乗るって決めたのは俺だから、どんなジャンルでもプレイはしてみるが、サーバーは同じところの方が良いのか?」
「いいえ、むしろバラバラの方が楽しめる要素が最近、追加されたから。それに対人戦も望めば違うサーバーのプレイヤーとも戦える。ミッションはさすがに一緒にとは行かないけれど。ああ、でも」
「でも?」
「アズールサーバーは希望しない方が良いと思う。あそこは、対人戦ガチ勢しかいないヤバい奴らしか居ないから。あそこは弱肉強食じゃなくて、食物連鎖のトップが色んなサーバーのプレイヤーを喰っている魑魅魍魎が跋扈しているところだから」
よくは分からないが、彼女の言うようにアズールサーバーは避けた方が良さそうだ。