着火してもらえば良い
『ノスタ君は初心者であること、無知であることを恥じているところがあるよね』
緊張をほぐすためか、ファニー・ポケットさんが俺に通信をして来る。
「別にそこまで卑屈にはなっていないと思うんですが」
『あなたはどこか、いつも自信が無い……いや、自分自身が分かっていないのかな』
まったくもってその通りだ。俺は俺自身をなにも分かっていない。死んでいてもおかしくなかったのに生きているからこそ、生きている意味を見出せない。そのクセ、死にたいとは思っちゃいないのだからタチが悪い。
自分を特別と思っているわけじゃない。けれど俺は実際に、その意味を見出せないほどに現実で苦しんで来た。その日々が心を、魂を蝕んだのか、それとも命の灯とやらに陰りを見せるほどの逆風を送り込み続けて来たからなのか。
どうしようもなく、全てを心底どうでも良いと思っている。ひょっとしたらバレてしまったのだろうか。
小山との賭けも、ゲームを始めたことも、今、このルールでサーバー間で対戦をしていることも、なにもかも俺にとっては“どうでも良い”と思っていると。
一つの人生の揺らぎだろう? たった一回、恐らくは二回はあるだろう命の灯に吹き掛けられる吐息だろう? それで揺らいで消えてしまうのならばそれだけだが、揺らいで消えないのであれば、その程度だ。賭け勝とうが負けようが、撃墜されようがされまいが、本音を言うとどっちだって構わない。どっちに転んだって相応の顛末が俺には降り掛かるわけで、それをただただ俺は受け入れるか、納得することしか出来ないのだから。
「……一つ、訊きたいことがあったんです」
『なにかな?』
「あなたはどうしてそんなにも、自分を燃やすことが出来るんですか? 燃やして、輝いて……その燃料は一体どこにあるんですか?」
『なんでそんなことをあたしに訊ねるの?』
「命の火が、もうずっと、ずっと消えそうですから」
『余命とか、死にそうってこと?』
「生きているのに死んでいる。そんな日々に、諦観してしまっていますから……生死はどうだって良いんです。心が死んでいるのか、魂が折れているのかぐらいの違いしかありませんから」
壊れているのなら直す余地は幾らでもあるだろう。けれど、死んでしまっているのならゲームで言うところの復活の呪文でも実在しない限りは、それは戻っては来ないのだ。魂はひょっとすれば、直せるのかも知れない。けれど心の死んだ魂に、意味はきっと無いから。
『単純なことを難しく考えるのが悪い癖みたいだね』
「答えになっていませんけど」
『敢えて答えるとするなら、あたしはあたしのやりたいことに従っているから。燃料というより推進力みたいなそれは、自分が向かうべき目標だけを見ていたら幾らでも湧いて出て来る。でもきっと、ノスタ君はそうじゃない。あたしの目標とノスタ君の目標は違う。だから、湧き上がる方法なんてあたしには分からない。他人の燃料ばかりを見つめても仕方が無いんだよ。君はちゃんと、君自身を動かす燃料を、目標を、見つけなきゃならないから……って、これじゃ答えになってないかー。でもさぁ、あたしも人生経験が豊富ってわけじゃないからそんなのの答えは分かんない。分かるのは一つだけ。なんにでも本気になれない人は、誰にも真正面からは見てもらえなくなる。だから、手始めにゲームで本気になってみたら? そうしたら、現実でも本気を出そうって気になるかも知れないし』
手を抜いている気は全く無いのだが、本気を出していないかと言われれば確かに出していない。学ぼうとする思考は薄弱で、なんかテキトーにやっていたらそれなりの成果にはなるだろとか、それなりの展開になるんじゃないのと思ってはいた。
小学生の頃からこの体たらくな思考を抱き始めた。主に後遺症に苦しみ続けて、前を向くことが出来なくなってしまった時期に頭が勝手に方向転換を決め込んだのだ。
必死に生きなくとも、無理せず無茶せず、平凡に生きるだけで良い。そうすれば気付いたら卒業して、気付いたら中学生になって、気付いたら高校受験も上手く行って、ついでにその勢いで大学受験だって合格して、その後の就職活動だってなんとなく、テキトーにやっていれば成功するんだろうと。思考はいつだってエスカレーター式を求めていて、現実の厳しさから目を背け、意思表示すらもおぼろげに、真っ当な、そして慎ましくも幸せな生活は将来において約束されているだろうと。
そんなもの、幻想だと分かっているクセに、根本から解決しようとすることはなかった。
現実でだって本気になれていないのに、どうしてゲームでまで本気にならなきゃならないんだ。そう思いながら、巻き込まれ系主人公を気取って、“初心者だから”の一言で全てから逃げ続けている。
別にそうハッキリと指摘されたわけじゃない。俺が勝手にそういう風に解釈しただけで、ファニー・ポケットさんには一切の悪意は無いはずだ。なのに、深奥でも覗かれたかのような、心臓を鷲掴みにされてしまったような、そんな冷たい感覚が全身を襲い、同時に“見捨てられたくない”と浅ましくも思ってしまう。けれどその感情もまた、誰かに目を向けてもらえるだろうというおこがましさから来ているとなれば、誰に言うことすらも出来やしない。
『ヴァートが一気に来たよ。今がチャンス! でも、ノスタ君はやられないように!』
『それじゃ、行きます!』
ススノキさんの号令と共にアマイロさんとクワノキさんの機体が駆け抜けて行く。
燃やす物は無い。燃料なんて尽きている。やりたいこともない。かと言って、死にたいわけでもない。目標なんて定めた記憶も無ければ、達成感を味わったことだって無い。
無価値と呼ばれればそれまでだし、無意味と言われれば確かにそうだと肯いてしまう。自分の人生も、生き方も、生き様も、そんなものは全てどうでも良いから。今更、本気でなにかをやって、なにかが変わるとも思えない。
眩しいほどに輝く物に惹かれる羽虫のように、俺はただ付いて行っただけだ。そしてそこで待っているのは、とてつもないほどの熱量で身を焼かれてしまう結末が待っている。
それはそれで構わないのではないだろうか?
不意にそう思った直後、エース機を狙っての突撃だろうヴァートのArmorから来たソードの一撃を回避する。見えない物が見えたような気がした。アラート音よりも速く、体が反射的に機体を動かしていたような気もする。
「燃料が無いなら、代わりに燃やしてもらえば良いんじゃないか?」
なんて手前勝手な意見だろうと口にしながら思ったが、燃焼させられる物はあってもくべるべき薪が無いのであれば、やはりどこかから炎は、熱は与えてもらわなければ着火は出来ない。
それがたとえ、身勝手であっても、それで燃やせるのならばそれで良いじゃないか。
『新人君がヴァートのArmorと接敵してる』
『ここは一気にエース機を撃墜してしまった方が速いんじゃないっすか?』
『いや、ここは』
『ノスタ君にやらせてみよう。失敗したって良いよ。まずは、やりたいようにやってみなきゃ、なにもかもが始まらない』
相手は同じArmorだ。でも、経験に差がある。操縦テクニックだって向こうにアドがあるはず。避けられたのが偶々であったのなら、次に行うべきことは偶然ではなく必然の回避行動を取ることに努めること。あわよくばカウンターを考える。
捌き方を知らない。だからここで吸収する。ここで学習する。なにもかも燃やして、自身が勝手に着火させた炎の一部にしてしまえば良い。
足りない物は沢山ある。最低限のことは頭に入っている。だから基本に忠実に。そして冷静に、且つ熱く。
敵機を捉え、回避を続けて、振り上げたソードに対抗してこちらもソードを引き抜き、剣戟を剣戟で制する。力強く弾き合って、開いた距離を埋め合わせるようにして撃たれるエネルギーライフルのビームを左に避け、ブーストを掛けてこちらから急接近する。刺突を弾いて、密着からそのまま体当たりして敵機ごとバランスを崩しつつも、超近距離で右肩に背負っていたランチャーを起こす。だがそれを拒むように敵機に蹴り飛ばされ、機体が吹き飛びながらランチャーの一撃は天高くを貫くのみだ。
「足りない」
まだ喉は潤っている。
「足りない」
まだ、皮膚は焦げていない。
「足りない!」
まだ、乾き切っていない。
「足りない!!」
絶望が、足りない。
目の前の敵機が望んだことを、望んだ物を与えてくれるかは定かではないが、着火した以上は止まらない。まずは燃やし尽くす。まずは、この敵機に自ら向けている感情を燃やし尽くさなきゃならない。
左右にステップを踏みながら攻めて来る。その前に機体を起こして眼球を左右に動かして敵機を追い掛け、剣戟が決まる寸前で凌ぐ。かなりギリギリだった。けれど、ギリギリだからこそ良い。昂ぶることが出来る。
剣戟の打ち合いをしばし続けるが、どうにも有効打が入らない。それは敵機のプレイヤーも同様だろう。そして時間を掛け過ぎているが故の焦りだって生じているはずだ。俺のプレイヤーネームを見て、初心者と判断しての突撃だろうから援軍はあり得ない。倒せると思った相手に、油断をした。むしろその油断に付け入ったからこそ俺はここまでこのプレイヤーと戦えている。
エネルギーランチャーがチャージを始めている。俺も同じようにチャージをしても良いが、時間としてはまず間に合わない。距離を空けようかとも考えたが、それは逆に狙いやすくなってしまうのではないだろうか。でも、近ければ近いほど的は大きく狙いやすいのが通常だ。遠ければ遠いほど狙いやすいと思っているのならそれは“異常”である。だからここは定石通りに距離を取る。
チャージの時間はどれほどだったか。そんな物は知らない。知らないならどうやって回収する? どうやって知識は取り込めば良い?
目の前のモニターからで充分じゃないか。
発射のタイミング。溜められたエネルギーの放出。どれもこれも、しっかりと予兆が見て取れる。だから、“避けることが出来る”。
ソードはナジアに一本奪われている。だから、片手に一本ずつの連撃は出せない。そもそもそんなことが出来ると知ったのは、この目の前の敵機が両手でソードを一本ずつ握っているのを見てからだ。
なのでここは固執しない。剣道のようにソードを両手で握って突撃しても良かったが、それはあまりにも隙が大きい。威力は高くなるのだろうが、フェイントが利かなくなる。
フェイント。
足りないのはフェイントだ。だったらどのようにしてフェイントにする?
単純な方法が一つある。即、それを実行に移す。
右手に握ったソードで切り掛かり、敵機が同様に剣戟を振るって来た直後にモーションを中断させ、右手から左手へソードを投げて移す。ついでに機体もモーションの全てを切って、左回りに動いて敵機のソードを空振らせる。
地面を抉りながらのかち上げ――切り上げをヒットさせて、振り切ったら今度はさっきとは逆のモーションで振り上げてからの振り抜いて、二撃。反撃が来る前にランチャーのチャージを始めて、反撃が来た直後に敵機を蹴り飛ばす。
立て直される前にランチャーのビームが敵機を貫き、火花が散ったその機体を更に追い掛け、横を通り抜け様に横一文字に切り抜いた。
敵機が動かなくなり、火を噴き出しながら小さな爆発を繰り返し、崩れ去る。
「……あっはっ♪」
妙な笑いが口から零れ出る。
「まだまだ、足りないなぁ。足りないよ……燃やし、足りない」




