猛獣が獲物を取り合うようなもの
逃げると言ってもどこに逃げるべきなのか。そして背中を向けて逃げ出して、果たして追い付かれることがないのか。そんな判断を俺に委ねられても困る。
《下がらないのか? 初心者なら、ここで通信が入って、どことなりとも逃げろと言われていると思うところだが》
距離はまだ詰められていない。品定めでもされているみたいだ。
弄ぶに足る玩具かどうか。それを見ている。どういう操縦をするかどうかを、見逃さないようにしている。あんな、戦闘態勢もなにもない機体の体勢のままで。
《まぁ、ルーキーがやることって言ったら、行動パターンってのは大半、決まってんだよな。逃げろと言われたら、素直に味方の居る場所に逃げる馬鹿。あれは味方すらも巻き込みかねない。援護を受けたいのなら、相応の位置取りを理解しなきゃなんないんだが、ルーキーは取り敢えず味方の場所へ行けば良いと考えるからなぁ》
先に言われて、胸を撫で下ろしている。何故なら俺はまさにその行動を取ろうとしていたところだ。素直に、集合場所へと逃げようとしていた。どう逃げるかはまだ考えている最中だったけど。
《なんにしたって、クソみたいな初心者が考えることなんざ俺ぁ、お見通しってことだ。で、モラトリアムを与えてみたところ、一切の行動を取らないのは、noobにも程があんだよな》
距離を詰められないように努めていた……と思っていたのはどうやら俺だけだったらしい。目の前の機体とそしてそのプレイヤーにしてみれば、こんな距離は造作も無い距離で、集中してしまえば一瞬で詰めることが出来てしまうものだった。
それを裏付けるかのようにビームの連続射撃を神がかり的な反応速度で相手の機体はかわして行き、あっと言う間に眼前まで迫られてしまった。
バックダッシュを掛けようとしたが、それを阻止するように相手の機体が俺の機体が構えっ放しだったエネルギーライフルの銃身を握り締め、引き寄せられる。手を離す動作を取ろうとした直後に機体に衝撃が走る。今度は胸部にただの拳が叩き付けられたようだ。
耐久力の減りは、自分が思っている以上に少ない。武装で攻撃されていないのだから、こちらとしては大きなダメージを負ったと思っていても、システム的にはそうではないらしい。
《良いのか、手を離して?》
エネルギーライフルを捨てなきゃ掴まれたままだ。そう思って、捨てる選択肢を取ったけど、それは完全な悪手だった。
俺は、エネルギーライフルに固執さえしなければ離脱し、そこから逃走する手段だって見えて来るだろうと思っていた。けれどそうじゃない。ノーリスクで、俺は相手に自身が機体に持たせていたエネルギーライフルという武装を、渡してしまったのだ。
相手の機体が銃身を引き寄せ、手元で回転させて銃口がこちらを向いた。
対人戦については一回切り。しかも、ファニー・ポケットさんがほぼ主体で動いていたから、俺はまず敵機体からの攻撃についての回避経験が乏しい。ましてや相手はベテランとも呼ぶべきプレイヤーらしく、そんな相手の照準から機体を逸らすのは不可能に近い。それでもがむしゃらに機体を動かしては見た。そうでもしないと、そもそもの回避にすらならないから。
だからって、外れるわけもなく、ビームによって右肩が撃ち抜かれる。
《やっぱ初期のエネルギーライフルは威力が低くて、いたぶるには丁度良いよなぁ》
武装を奪われたとは言え、エネルギーライフルも、近接戦闘用のソードも予備はちゃんと持たせている。機体の基本形はライフルとソードを最低でも二挺と二本ずつらしい。テンプレとなるとそこに色々と付け加えられるみたいだけど、生憎、俺にはそのテンプレを備えられるほどの経験もCoMランクも無い。
だが、ここで立ち向かうこと得策じゃない。エネルギーライフルを奪われたのは最悪なのだが、ソードまで奪われるようなことがあればそれは最悪を越える。このナジアというプレイヤーの戦闘スタイル――戦い方は相手から奪取すること、或いはマップ上に散らばる特殊な武装を拾うこと、そして自身が落としたそもそもの武装を回収して戦うこと。その三点であるとするなら、俺が初心者らしい振る舞いを取ると全てが逆効果になってしまいかねない。
全部、初めて感じる対人戦の威圧感、恐怖に強く怯えてしまっているが故の妄想と言われてしまえばその限りになってしまうのだが、どうにもさっきから俺は自分自身で考えたこの三点を、直感的に信じてやまないでいる。
ビームの撃ち合いにしても、近接戦闘にしても今の俺では明らかにタイマンでは敵わない。逃走経路も見当たらない。だとしても、諦めるのは時期尚早過ぎる。なにせまだ始まって十分も経っちゃいない。こんなすぐに撃墜されて、ファニー・ポケットさんを含めたセーブルサーバーの敗北なんてなったら合わせる顔もない。
出来ることを考える。
やれることを考える。
そうだ。距離は詰められたが、ナジアというプレイヤーは俺をいたぶることを愉しんでいる。容易に撃墜出来るところをしていない。初心者狩りを愉しんでいるのかそれともまた別の嗜虐心に煽られているからか、なんにしたってすぐに始末しないのだ。だから、これだけで時間が稼げている。
無駄に思える対峙も、エネルギーライフルによる攻撃をがむしゃらに避けようとする努力も、なにもかも虚しいようで意味を伴っている。
このプレイヤー――ナジアが気分を変えない限り、俺は撃墜されない。
《俺ぁ、ちょっと勘違いをしていたみたいだな》
なんだ、どういう意味だ?
《恐怖を煽れば、ベテランに縋ろうとする。そういう、小心者と思っていたが、どうにも違った》
速過ぎてなにをされたのか分からなかったが、腰に差していたソードがいつの間にか消えていることをコンソール画面が伝えて来る。気を抜いたつもりはないが、相手にはその抜けている部分が見えていたのかも知れない。一瞬で、敵機体にソードを奪われてしまっていた。
《気が変わった。もっと怯えて、泣き叫んでくれりゃ搾れるだけ搾り取ってやろうと思ったが、元より被虐されることに対する感情が干物のように枯れてんなら、用はねぇな。それもまたオツな味って言う奴ぁ、居るには居るが俺は違う》
ソードを振り乱し、空を斬ってから敵機体が攻撃モーションに移った。
《なんにも出来ない無力感を抱いて、そのままくたばっちま――》
勝利宣言にも近しい台詞を吐き捨てるのを中断し、それどころか攻撃モーションを切って、ナジアの機体が自機の正面で勢いを付けながら翻り、そして強引に右へと跳ねた。
直後に弾丸が前方を駆け抜け、斜め前方の地面を貫き、そして抉った。
《ちっ……! パーピュアのアホは、見物することも出来ねぇクソってか?》
《それは、あたしの獲物。あなたに上げるつもりは無い》
《姿を晒してから口にしろ、アホが》
《相変わらず口だけは達者。どこから撃たれたかぐらい、もう見当が付いているクセに、喋って時間稼ぎをしようとしている》
《手の内がバレているってのは困ったもんだ》
《こっちだって、こうも容易く避けられるのはあなたぐらいよ》
続く二撃目、三撃目の弾丸をナジアの機体が避ける。
《丘陵の更に上の見晴らし台から撃ってんな?》
《一々、言わなくても分かっているんでしょ?》
《言わなきゃ俺のメンツに伝わらねぇだろうが》
続く弾丸による攻撃を巧みにかわしながら、ナジアの機体が自機から遠ざかって行く。
《素直に廃都市にでも籠もっていりゃ良いものを。これだから、パーピュアのアホは真っ先に潰しに行かなきゃゲームになんねぇ》
ソードをこちらに目掛けて投げ付けて来る。それを弾丸が俺の機体に到達する前に撃ち抜き、破壊する。
《ちっ、そうまでしてセーブルの部隊を生かしておく意味があんのかねぇ? そんな価値は無いと俺ぁ思うんだが》
《あなたに無くとも、あたしにはある》
ナジアが機体を旋回させながら、彼方の丘陵へとブーストを掛けて走り抜けて行く。
なにがどうなったのかはサッパリ分からないが、縄張り争いのような――獲物を取り合う猛獣同士が争う形に発展して、辛うじて命拾いをした。だが、これで安心して良いわけじゃない。今まさに、ナジアは追い払われた。弾丸を放って来た、いわゆるスナイパーは自身にナジアが向かって来る前に棒立ちしている俺の機体を撃墜することだって出来てしまう。
それはさすがに、二人が通信で話をしている最中に理解できたので、もはや誰に見つかるだとかそんなのは一旦措いて、ブーストを掛けて全速力でナジアが向かった先とは逆方向へと機体を走らせる。
《そんな直線走りじゃ、撃ってくれと言っているようなものなんだけど……ここで瞬殺して、『ヘクス争奪戦』の面白さを理解しないままゲームを嫌いになられても困る》
そう言いながら、実はもう狙いを定めて撃ち抜く準備が整っているのではと思ったので、機体を蛇行させながら近場に見えた丘を越えて、その真下へと機体を隠す。射線を考えれば、これで撃ち抜かれる心配は無い……はず。
「いや……俺は心配無くても、ススキノさんが危ないか」
『なにか言いました?』
「遠方から射撃で狙われていました」
『スナイパーですか……と言うか、無事なんですか?』
「先にスナイパーを潰すみたいで、見逃されました」
『獲物の横取りに腹を立てたんですかね。でも、確かに狙撃されながらあなたを始末するというのはとても手間が掛かる。リスクが大きければ大きいほどナジアは戦局を打破するために馬鹿げた操縦テクニックを披露して来るんですが、一応は分が悪いなら引き下がる頭も持っています』
つまり、ナジアが先に始末しなきゃゲームにならないと思うレベルのスナイパーが居るということで、俺はナジアだけでなくそいつにも狙われているということがこれで確定してしまった。
「ススキノさんが狙われるかも知れません」
『それは無いでしょう。僕を狙っている最中に、狙撃ポイントに急襲を受けてしまったら元も子も無いんですから』
その言葉を示すかのように、数分後にススキノさんの機体が俺の隠れている丘の下までやって来る。
『あたしたちが負けていないなら、まだギリ撃墜されてないんだよね、ノスタ君?』
「どうにかこうにか」
『そこからこっちまで、かなーり慎重に且つ迅速に、可及的速やかに来ることは出来る?』
慎重と口にしているけどこれはつまり「早く来い」ということなんだろうと判断して、ススキノさんに護衛してもらう形で草原地帯の脱出を目指す。




