魔法使いからのスカウト
張り詰めた空気の中、俺は神経を研ぎ澄ませ、意識を集中させる。
周りは闇で満たされている。下手に動けば、何が襲ってくるかわからない。
だが、俺は焦らずに深呼吸し、心に余裕を持たせる。こういうときの対処は、この2年間でしっかりと身につけてきた。何も心配することはない。
「光れ、我が熱き魂の結晶――プリンセス・ティアラ!」
俺は、右手に握った魔法具を掲げ、呪文を唱える。
俺の魔力に反応して、魔法具はその内側から眩いばかりの輝きを放つ。俺の宝物、『魔法王女マジカル☆ティアラ』の限定版フィギュア(ver.プリンセス・ティアラ)から、暖かいオレンジ色の光が発せられ、俺の周囲を照らし出した。
「おお!この輝き、なんと力強い!」
俺の光魔法を見た師匠が、驚嘆の声をあげる。
「うむ。もう君に教えるべきことは何もないな。君はもう一人前の魔法使いだ」
研修室の灯りがつく。最初に目に入ったのは満足そうに微笑む師匠。その手には一枚の紙切れが握られていた。
「それでは、桃井冬彦君。明日付で、魔法営業部第二営業課に配属を命ずる」
師匠から渡されたその紙切れは、辞令だった。
第二営業課。明日から、そこが俺の新しい職場になる。
俺は桃井冬彦、三十二歳。職業、会社員。兼、魔法使い。
三十歳の誕生日を一人寂しく自宅で迎えたその瞬間、株式会社オーバーサーティ・エージェンシーからスカウトされ、転職。それまでは、大手商社の下請け会社で倉庫管理をしていた。彼女イナイ暦=年齢。そしてロリコン(ただし二次元に限る)である。
転職を決意したあの日のことは、今でもはっきりと覚えている。
いつものように大して面白くもない代わりに大してストレスもない仕事を終えて帰宅した俺は、これまたいつものようにコンビニで買った飯を食い、同じくコンビニで買った酒を飲みつつ、日課のネットサーフィンを楽しんでいた。
翌日が何の日であるかなんて、そのときの俺は全く意識していなかった。
「ドワ○ゴが午前0時くらいをお知らせします」
動画サイトの時報で日付が変わったことを認識しつつ、缶ビールをあおる。
「桃井冬彦さん、ですね」
「ぶっはぁ!どどどどどどどちら様ですかっ?」
予期せぬ声に驚き、せっかく口に含んだビールをほとんど吹き出してしまった。
慌てて視線を戻した画面には、何故か中年男性のバストショットがあった。
あれ?動画は?俺のティアラたんは?
てか、WEBカメラ、いつの間に起動したの?
そして、これは何の冗談ですか?
ワイシャツにネクタイを締め、キリッとした表情で画面におさまったその男は、何故かシャツの上に黒いマントのようなものを纏い、頭にとんがり帽子をかぶっていた。
丁寧に撫で付けられた髪と銀縁眼鏡で大人の男という雰囲気を醸し出し、中年にしてはやせているその男自身はスマートな印象――なのだが、とんがり帽子と黒マントなんていう悪ふざけのような装備のせいで、恐ろしく滑稽に見える。
「初めまして。私、株式会社オーバーサーティ・エージェンシー、人事部の須藤と申します」
「は、はぁ。どうも」
「桃井冬彦さん、突然のことに驚かれるかもしれませんが、よく聞いてください。単刀直入に申し上げますと、私はあなたをスカウトしにきたのです」
「は?スカウト?」
「はい。あなたには、ぜひ、わが社の一員として、我々の仲間として、働いていただきたいのです」
これは、もしかして、噂に聞くヘッドハンティング、というヤツではないのだろうか?
正直、俺にとってスカウトなどという単語は縁が無さ過ぎて、実感がまるでない。
むしろ、これは夢なんじゃないデスカ?ほら、ボクいま、酔ってマスシ。
とはいえ、今の日常に不満はない。安定した収入と安定した日常。繁忙期がないわけではないが、それさえ過ぎてしまえばそこまでキツイ仕事でもない。人間関係もそれなりに波風を立てずに過ごしている。そんなわけで、転職するつもりなんて――
「桃井さん。あなたが今の会社でリストラの候補になっているのは、ご存知ですか?」
なんですと!
「え?ちょっと、おっしゃってる意味が良くわからないんですが?」
寝耳に水な話をされて、ほろ酔い気分は完全にふっとんだ。内心、激しく動揺していたが、そんな様子は微塵も見せずに、実に社会人らしく対応する俺。
「あなたは入社してからの8年間、会社のために何か成果をあげたわけでもなく、職場の円滑な運営のために心を砕いたわけでもなく、ただ上司から命じられたことを教えられたとおりにやってきた。その事実に間違いはありませんね?」
「……言い方にいくつか引っかかる点はありますが、まぁ、その通りです」
「あなたは無断欠勤もなく、真面目に毎日定時出社し、定時に退社している。上司や先輩からの飲み会の誘いはすべて断り、後輩や新人に対しては気安く話しかけるな、という態度をとっている、というのも本当のことですね?」
「えっと、それはその、自分、人付き合いとか苦手で、話をしているだけで相手に不快な思いをさせてしまうのではと思って」
「私は言い訳を聞きたいわけではありません」
キッと銀縁眼鏡の奥の瞳に睨まれ、画面越しだというのに、俺はたじろぐ。
あれ?なんで、俺、怒られてんの?この須藤とか言うオッサンは、俺をスカウトしに来たんじゃないの?
「桃井さん。残念ながら、そのコミュニケーション能力の低さが、現在、あなたがリストラ候補になっている、最大の理由です」
ひるんだ俺に追い討ちをかけるように、須藤はそう言った。
誠に遺憾なことだ。そんな哀れみに満ちた顔で言われても、俺としてもこのコミュ障な性格は、幼いころから培ってきたものであるからして、今更どうしようもない。
だから、そんな、「可哀相な人」を見るような目で見るなよ。やめろよ!怒るぞ!(泣)
「あなた、同僚がどんな人物かということに、まるで興味がないのでは?」
「あ、興味なんてないですね。同僚っても、オバちゃんか男ばっかで、可愛い女の子とかいませんし」
仕事自体は事務と肉体労働で、そこまでコミュ力が必要とされるものでもないし。最低限、仕事の処理能力と名前と顔が一致していれば、問題ない。
「あなた、入社当時からその態度だったんですか?」
「まぁ、ええ。同期には、聞きもしないのに、ベラベラと自分のことをしゃべるヤツもいましたけど。自分はそういうの、なんというか、かっこ悪い気がして」
「ああ、中二病が治ってないんですね。なるほど」
待て待て、どうしてそうなる!中二病ってのはアレだろ、「くっ、俺の右腕に封じられた邪神が暴れている……ッ」とか、そういうヤツだろ?
「あ、あのー。さっきから、何をおっしゃりたいのか、良くわからないのですが?」
こんな深夜に訳のわからん話をされて、俺の脳内はパニックを通り越して、思考することを諦め始めていた。それでも、なんとかまともな受け答えができるのは、それなりに人生経験があるからだろうな。自画自賛してないと理性が働かないくらいにはギリギリの精神状態だけど。
「失敬、話が脱線してしまいました。あなたに我々の仲間となる資格があるのかどうか、少々、確認をさせていただいていたのです」
「資格、ですか?」
自慢じゃないが、俺は運転免許くらいしか持っていないぞ。ん?本当に自慢できねぇや。
「我々の仲間になるには、とある条件を満たしていないといけないのですよ」
意味ありげに微笑む須藤。
その、とある条件とやらを俺が満たしているかどうか、今までの問答でわかるのか?俺としては、自分の精神的ライフを削られただけなんだが。
「一応、調査はしていたので、間違いはないとわかっていたのですが。万が一、ということもあるので、確認させていただきました」
「はぁ。そうですか」
「結論から申し上げますと、桃井さんは合格です。だからこそ、ぜひわが社に来ていただきたい」
このオッサン、どうも肝心な部分を引っ張ってしゃべる癖があるらしい。話の中心が見えないから、俺はいったい何がどう合格で、なんで“だからこそ”ぜひわが社へ、になるのか、全くわからない。
いや、もしかしてわざとなのか?スカウトと言いつつ、俺を値踏みしてるんじゃないか?
さっき、オッサン自身が言ったように俺のスペックは大変に残念な惨状となっている。他人に興味がない、というか、他人が若干、怖い。社会生活を送るのに、最低限必要なコミュニケーションしかとらないで生きているのが、俺という人間だ。実際、社内でも俺は『話しかけづらい人』という共通認識を持たれている。俺としてはそのほうが煩わしくなくて良いので、その認識を正そうという気もない。
「桃井さん。ひょっとして、自分に対する周囲の認識が『話しかけづらい人』だと思っていませんか?」
「え?あ、はい」
「それは微妙に間違っていますよ。あなたは周りから『扱いづらい人』、もっと言えば『キモい人』だと思われています」
がーん!
え?俺って、そんな風に思われてたの?そりゃ、コミュ障こじらせてるし、ネットとかアニメが趣味のオタだけど、でも、社内には同類と思われるオタな奴らだっていたし、それなりに上手くやっていたと思っていたのに!
「ショックを受けられているところ、大変恐縮なのですが、あなたが仲間だと思っていたオタク趣味の男性たちはきちんとリアルにも居場所があるのです。所謂、リア充でもあったのです」
「と、申されますと?」
「はい。大変申し上げにくいのですが、全員、彼女がいたことがある、もしくは現在進行形で、います」
「なん……だと……」
この話を聞いた時点で、俺の精神は限界を迎えた。それまでは須藤の手前抑えていた感情が、一気に俺の中を駆け巡り、気付けば俺は絶叫していた。
「チクショォォオオオオオオオオオオオ!あいつら、全員、駆逐してやる!この世から、一人残らず!」
「悔しいですよね!羨ましいですよね!わかります、あなたのその気持ち!」
滝涙を流しながら咆哮する俺に、須藤が力強く同意してくる。画面の向こうで、何故か須藤も涙を流していた。
「桃井さん、やはりあなたは我々の仲間です!まごうことなき同志です!だから、我々と契約して――」
銀縁眼鏡の奥で瞳を潤ませたオッサンが画面越しにこっちを見つめている。それを見つめ返す俺も、涙と鼻水で顔面が洪水状態になっている。そんな、傍から見たらシュールこの上ない状況で須藤から放たれた言葉は、
「魔法使いになってください!」
今日一でシュールかつ笑えないものであった。