ライバルはヒロインに攻略されたい
私には前世というものがあります。
それはなんとなく夢に見る程度のもので、もうひとつの世界のもうひとりの私といった認識でした。
けれど、“月ヶ峰学園”という名称を見た瞬間、現世の私…東豊里奈と前世の私…盛岡茅乃が見事に融合しました。
おめでとう、新しい私!!
何故月ヶ峰学園が私にそれ程の衝撃を与えたのかといいますとですね、此処どうやら前世の私がやっていた“月華〜満月の日に恋は花開く〜”という名称の王道学園モノ乙女ゲームの世界みたいなんですよ。
しかも、この乙女ゲームのヒロイン頗る可愛いんです。
生前はどれ程「ウオアァァヒロインテラカワユスペロペロムシャァ」とした事か。あ、そこ引かないで下さいね。
そうそう、ここ重要なとこなんですが私モブじゃないんです。
万能キャラちゃんといいますか、ルートによりライバルになったり友人になったり殆ど関わりが無い人になったりするんです。それでですね!とあるルートに入ると、私とヒロインちゃん親友になれるんです!
きゃー!あのヒロインちゃんと1番の友達になれるなんて!お泊りしてー、一緒にショッピング行ってー、ふはっ、これは息切れが止まりませんぞ!はぁはぁはぁ。
肝心な親友ルートですが、…まぁ平たく言えば私には幼馴染がおりまして。そいつのルートだと私はヒロインちゃんととりあえず友人になれるのです。
「智樹、協力して?」
私は、自分の幼馴染でありヒロインの攻略対象である橘智樹に、自分の全てを打ち明けた後そう告げた。
智樹は黒の艶のある髪をしていて、瞳はキリッとしている。鼻は高く、口の形も綺麗で…つまりはイケメンだ。しかも身体は細身の癖に程よく引き締まっており、お前に欠点は無いのかと問いかけたいぐらいだ。
私も幼馴染で見慣れていなければこう間近で直視出来ないだろう。うむ、さすが攻略キャラだ。
「なんでそんなヒロインとかいうのと恋愛しなきゃなんねーんだよ」
「えー、私の為だと思って!」
「断る」
「ヒロインちゃんマジ良い子だから!天使だから!私協力するし、智樹の為にもいいと思うのよ?」
手を合わせ、こてりと首を傾げるようにして言えば、智樹は顔を顰めた。どういう意味だおい。
因みに、幼馴染のルートにいけばまず友人にはなれる。そこから選択肢によって“私がこいつを恋愛的に好いているか”が変化する。まぁそれによって親友方向に行くか私が嫉妬に狂ってドロドロわっしょいな方向に行くかが決まるわけだが、私はこいつを恋愛的に好いてなどいないので無問題である。
一応ライバルポジションではあるので、親友ルートだと(こ、こんな仲のいい子がいてしかも私の大好きな友達だもん…踏み込めないよ…)とヒロインが葛藤し、嫉妬ルートだと下手すりゃ私ヒロイン刺すのだけど何度も言うように私はこいつを恋愛的に好いては以下略。
「ね、ね、お願いー!」
智樹の腕にしがみ付いてひたすら頼み込む。逃がさねぇぞゴルァ。
「…はぁ。ようはそのヒロインと友達になれればいいんだろ。…それだけなら、まぁ…協力しなくもないけど」
大変不本意そうに智樹はぼそぼそとそう言った。それだけだからな!と私に向って叫ぶこの幼馴染は、なんだかんだで私に非常に甘いのだ。
恋愛感情は無しにしても、私はこの幼馴染が大好きだ。ヒロインちゃんと親友になりたいという目的はあれど、ヒロインちゃんはとても良い子だから智樹を任せられるし、是非智樹には幸せになって欲しいという思いもある。私は嫉妬に狂ってヒロインちゃんを虐めも刺しもしない。智樹とヒロインちゃんが幸せになれるようにバッチリ背中を押してあげるつもりだ。
2人の結婚式では是非司会を務めさせていただこう。そして、「幸せになりなさいよ」と奴の背中を思い切り叩いてやるのだ。…まぁ、そこまでは気が早いかな。
何にせよ、夏になるのが非常に楽しみです。
ヒロインちゃんー!私だー!攻略してくれー!ついでに智樹も。
*
「初めまして、花月千春と申します。父の仕事の都合でこの学校にやってきました。よろしくお願いします!」
元気にお辞儀をし、ミルクティーブラウンの髪がふわりと舞った。上げた顔は、くりっとした愛らしい瞳を細め桜色の唇は口角が上がり嬉しそうに笑っている…頬は白磁の肌に赤みがさし「やり切ったぞ!」という安心感に満ちているのがよく分かった。
なんというか、「がんばったねー!いいこいいこ!」となでなでしたい気持ちになる。
…私のクラスに転校してきたこの子こそ、乙女ゲームのヒロイン花月千春ちゃんだ。これぞヒロインと言える可愛さで、しかもそれに嫌みを感じない類の愛らしさなのだから素晴らしい。ああ、お友達になりたい…。
「じゃあ席は…橘の隣だな。橘ー、花月が困っていたら助けてやりなさい」
「分かりました」
よし、がんばれ智樹!そしておこぼれをくれ。
密かに智樹にガッツポーズを送ると、智樹は此方を見て「うわぁ」という顔をした。うわぁってなんだ、うわぁって。
私にはあの時色々ぶつぶつ言っていたが、授業中も教科書やらなんやらと智樹はヒロインちゃんに世話を焼いていた。
智樹は頼まれた仕事をきちんとやるタイプだし、面倒見も良い奴だ。私もそれに大変助けられている立場で…いや、あの、前世の記憶あって精神年齢結構高いのにお前それは無いだろうという意見は最もなのだが…まぁ転生者には転生者で色々あるし、あとはほらスペックの差というか…これ以上は只の言い訳なので割愛しよう。
「里奈」
「ふぁっ!?」
考え事をしていた所でいきなり正面から話しかけられるとびびる。なんだよ気配無かっただろ。お前は忍者か。
「花月さんを校舎案内する事になったからお前も来い」
「え、でも2人の邪魔に…」
「来・い!!」
智樹は思い切り私を引っ張った。おい、痛いぞ。
ヒロインちゃんはくすくすと笑ってる。
「仲いいね」
「あ、あの…私邪魔じゃない?」
「え、どうして?」
ヒロインちゃんはきょとんとして瞬きをした。ああ…そんな顔も可愛いです…。
「だって私、あなたと仲良くなりたいもの。邪魔なんかじゃ全然ないよ!」
「えっ」
「嫌…だった?」
「ち、違う!私も仲良くなりたい!」
「良かった…!私、花月千春…良かったら千春って呼んで下さい」
「わ、私は東豊里奈…り、里奈って読んでね…千春ちゃん」
「うん、里奈ちゃん」
ほんわりと嬉しそうに笑った千春ちゃんは大変可愛らしい。鼻血が出そうだ。
私達はその後3人で校舎を回った。
楽しくて楽しくて仕方が無くて、私はかなりうっかりしていた。
帰宅して部屋に入った瞬間膝から崩れ落ちる。
「3人で校舎をまわってからの智樹ルートはドロドロルートだわ…!」
思わず頭を抱えてしまう。あれ、でも私がドロドロしようとしなければいいのよね…?そしたら大丈夫よね?ね?
*
あれから暫く経ちまして。
私は毎日千春ちゃんとご飯を食べています。あ、そうそう!千春ちゃんお料理ものすごい上手なんですよ!お弁当箱とか開けた瞬間輝いて見えたね。宝石箱かー!とかツッコミそうになったわ。
2人でお買い物も行けば、帰り寄り道してお茶したり。ゲームセンターでプリクラ撮ったり…つまりは順調に友情を育んでいる。
智樹も千春ちゃんと時折2人で話しているのを見かけるので、そちらはそちらで愛情を育んでいるのではなかろうか。うむうむ、良い事だ。
「里奈ちゃんは好きな人いるの?」
「ふっ、へぇ!?」
千春ちゃんが突然そんな事を口にしたものだから、思わず素っ頓狂な声が出てしまった。
そうそう、今日は千春ちゃんがお泊りに来てくれています。ベビーピンクに白の水玉がちりばめられたマイクロファイバー素材のもこもこパジャマにはフード部分にクマ耳が付いている。可愛い系の千春ちゃんにとてもよく似合う。
因みにこれはこの間一緒にお買い物した際買ったもので、私はこれのイエローカラーのものだ。色違いですでへへ…おっと話がそれた。
「どうして急に…あっ」
こ、これは智樹との仲を気にしてるとか相談したいとかのあれではなかろうか!
つまりはガールズトーク、ラブトーク、恋愛相談!
おおお、親友っぽいぞ!
「いないわ!」
「えっ」
「全くもってこれっぽっちも、ちょっと気になる人さえ居ないわ!」
だから安心して頂戴。
「それに、今はまだ千春ちゃんと遊んでる方が楽しいの。はは…私って子供だね。恋愛ってまだよく分からなくて」
精神年齢ウン十歳が何を言ってるんだか、とは思うが実際私は恋愛がよく分からない。正確には、恋愛の仕方を忘れてしまったのだ。
夢にたまに見る程度の曖昧な前世ではあったけれど、それだけでもまだ人生経験の浅かった幼い子供だった私に多くの影響をもたらした。
そのせいか、恋愛に思考がなかなかいかなくなってしまったのだ。
「そっかぁ…。うん、私も里奈ちゃんと遊ぶの大好きだよ」
「ほんと?嬉しいなー。あ、でも千春ちゃんは気になってる人とか居ないの?」
「うーん、今のところは…」
あれ、少なくともある程度話している智樹には“気になってる”の辺りには入ってもいいと思うのだけど。
もしかして、私に遠慮してるのだろうか。
「千春ちゃんが誰を好きになっても、私は応援するよ」
「本当?誰だけは嫌とか無いの?」
「うーん、あまりチャラチャラした人とか暴力的な人は個人的には千春ちゃんに好きになって欲しくないけど…でも千春ちゃんが好きになったなら良いところもあるんだろうし…」
「そうじゃなくて…うーん…」
何か千春ちゃんは思い悩んでいるようだ。
あ、一応千春ちゃんが別の攻略キャラや他の人とくっついても私は本当に応援はするつもりだ。
本音としては、今となってはヒロインとか関係無く大好きな2人がくっついたらいいと思うし智樹を推したい所だけど。こればかりは本人次第だし、この世界はゲームの内容がちょこっとベースになっているだけの現実なので補正とか変な事が起きなければ千春ちゃんが攻略対象外を好きになることもあり得るわけで。千春ちゃんは可愛いし、攻略対象はイケメンだからなんやかんや惹かれ合う可能性が他より高いだけだというのは理解している。
同じように、智樹に千春ちゃん以外の好きな人ができても協力するつもりだ。
2人が幸せになれれば、今となっては別にいいと思ってる。千春ちゃんとここまで仲良くなれて、私も1歩下がって見方を変える事が出来たのかもしれない。
でも、やっぱ2人共いいこだから一緒になったらきっと幸せになれるとは思うんだけどな。
「うーん、焦れったいなぁ」
「何が?」
私からすれば、智樹と千春ちゃんがとても焦れったいのだけど。
「こりゃあ苦労するわけだぁ」
「千春ちゃん何か苦労してるの?大丈夫?」
心配する私に、千春ちゃんは苦笑いで返した。
*
「というわけで、相談できちゃう親友ポジが危ないのよ。どうしよう」
「俺がどうしようだよ」
お泊り会の次の日。私は智樹の部屋に遊びに行き、相談を持ちかけた。
すると智樹は、はーーーーーーーーー、と深いため息をつきながらちょっと項垂れた。
どうした大丈夫か智樹。
「道理で今日、花月に肩ポンと叩かれてドンマイとか言われたわけだ」
「お、ボディタッチね!」
パチンと指を鳴らせば、智樹にゴミを見るような目で見られた。
なんだよう、そんな目で見るなよ。
「花月の言葉の真意本当にわかんねぇの?」
「真意って何よ」
「…まぁ、いいよ」
そう言って、智樹は私の頭をわしわしと撫でた。
「ちょ、智樹。髪ぼさぼさになる」
「ちょっとぐらいいいだろ。誰も気にしねぇよ」
「私が気にするんだけど。智樹だって目の前にボサボサマンがいたらヤでしょ」
「俺は気にしない」
「えー」
幼馴染らしい、気の置けない会話。
千春ちゃんとはまた違ったこの感じが私はたまらなく好きだ。
こうしているから、この幼馴染はとてもいい奴なのだと分かるし、だからこそ幸せになって欲しいと思うのは私のエゴなのだろうか。
・
・
・
「りなちゃん、りなちゃん。なかないで」
この声はだれだろう。
「うっううぅえぇ…っ!」
泣いてるのはだれだろう。…泣いてるのは幼い“わたし”だ。怖くて悲しくて涙が溢れて止まらないのに、どうして泣いてるのか私にはわからない。
「ゆめをみるの」
「ゆめ?」
「あったかくて、たのしくて、しあわせだったゆめ…」
だったらいいじゃないか。幸せで、楽しい夢の何が悪いんだ。
「わたしがうまれるより、ずっとずっとむかしのわたしのゆめ」
「りなちゃんがうまれるまえの、りなちゃんのゆめ?」
「わたしはずっとあそこにいたかったのに。なのにおわっちゃった」
それが悲しいのだと“わたし”は言う。
「ここも、いまもすきなの。でも、きっとまたおわっちゃう。おかあさんも、おとうさんも、ともくんも、わたしもみんなきえちゃったらどうしよう。ゆめだったらどうしよう」
それが怖いのだと“わたし”は泣く。
此処が好きだからこそ、失いたくないと恐れる。
不安で不安で、前世の夢は確かに愛おしいのにだからこそ恐怖に潰されそうだった頃が私には確かにあったのだ。
「だいじょうぶ」
目の前に居る男の子は“わたし”の手を握って微笑んだ。“わたし”を安心させるように、優しく。
「ここはゆめじゃないよ。ほら、にぎった手はあたたかいでしょ」
「…うん」
「だいじょうぶ、ふあんなら、ぼくがいつでも、りなちゃんの手をにぎってあげる」
「…いつでも」
「うん、いつだって。りなちゃんのそばにいるよ、ぼくはきえない」
だから、笑ってと。
そう言ってくれた君は。
…
「里奈」
その声に、目が覚めた。
「ともくん…」
「誰がともくんだ」
「うーん、私寝ちゃってた?今何時?」
「おー、ぐーすか寝てた。20時」
「うそっ」
「嘘じゃないぞ。お宅の娘さん一向に起きないって事で、お前んちには電話入れといた」
「うわー、ありがと」
家に帰ったらお小言確定かな。
「飯食ってけよ、なんか久しぶりに里奈が遅くまで居るから母さん張り切ってるし」
「いいの?おばさんのご飯好きだからうれしーわ」
「おー。…なぁ」
「ん?」
「なんの夢見てたんだ」
「…昔の夢」
「どのくらい昔だ」
智樹が言ってるのは、生まれるより昔なのかって事だろう。
相変わらず、我が幼馴染は私に甘く、過保護だ。
「ちっちゃい頃の夢だよ」
「…そうか」
智樹は、ほっと息を吐いた。
「智樹がまだともくんだった」
「結構前だな」
「私、いつから智樹をともくんって呼ばなくなったんだろう」
「さぁ」
「成長すると色々気恥ずかしくなるのかな」
「どうだろうな」
智樹は私の支えだった。
あの頃、私の手をよく握ってくれた。
智樹が居なければ、月ヶ峰学園の事だってきっと受け入れられなかった。
現世の私と前世の私が上手く一緒になれたのも、それを良いこととして捉える事が出来たのも。
この世界が、乙女ゲームの世界と酷似していると気付いて…。
智樹の事を思い出した。いい奴だもん、攻略対象なのも頷けると思った。
千春ちゃんの事を思い出した。お友達になりたいと思った。
2人のストーリーを思い出した。千春ちゃんが相手なら、きっと智樹は幸せになれると思った。
私の事を思い出した。友人というカテゴライズになれるなら、2人の幸せの後押しできると思った。
2人が幸せならきっと、わたしも幸せだから。その為に、前世の知識を利用してやろうと。そう…思っていた。
「智樹ぃ…」
「何」
「手ぇ、握って…」
智樹は何か言いたそうな顔をしたけど、黙って私の手を握ってくれた。
「智樹の手はあったかいなぁ」
「お前の手は冷たい」
「いいんですぅー、手が冷たい人は心があったかいんですぅー」
「その理論で行くと俺の心が冷たい事になるな」
「智樹は手も心も超HOTの例外ね」
「お前地味に俺の評価高いよな」
「そりゃあもう、大事な幼馴染ですから」
「幼馴染なぁ…」
握られた手が、握りしめるように強い圧力を感じるようになった。
智樹が力をこめているのだ。今迄こんな事は無かったから、私は戸惑った。
「智樹…?」
「なぁ里奈。幼なじみって、きっと物凄く脆いんだ」
「何を言ってるの」
「里奈はさ、俺に花月を勧めてくるけどどういうつもりなんだ?」
「ち、千春ちゃんはいい子だし…きっと智樹も幸せになれるって思って…、別に他に好きな人出来ても智樹が幸せなら応援するし、その…」
「俺の幸せをお前が決めるなよ」
この人は誰だ。
智樹なのか。…本当に?
私に甘い、手の温かい幼馴染。
この智樹は知らない。
握られた手が、熱い。
「里奈は俺を幸せにする為にとか言うけど、その発言は俺を不幸にしてるの分かるか?」
ふこう、不幸。私が智樹を不幸にしてる?
なんで、どうして。
「失う事を誰より恐れる里奈の為に、俺はずっと我慢して、押し殺してきたのに!!」
「…っ、痛!」
握られた手が痛い。
智樹の言ってることがわかんない。
「なぁ、里奈…。幼馴染じゃ、ずっと手は繋いでいられない」
なんで智樹がそんな事言うのかもわかんない。
優しい智樹がそんないじわる言うのもわかんない。
「俺が誰かと付き合えば、俺がお前の隣から居なくなるって分かってそういう事してたのか」
「わかん、ない…」
わかんない、わかんない。
「どうしたらよかったの、教えて智樹。全部わかんない。何もわかんないよ智樹はどうしてそう言うの。だって、だって智樹に幸せになって欲しかったのに、でもそんな事言われたらわかんない。手の熱ももうわかんない、あの夢も確かに私だから受け入れたかったけどそれもわかんない、わかんない!!!」
子供のようにわかんないと繰り返して泣き出す私を、智樹は悲痛な顔をして見た。
そんな顔させたかったんじゃないんだ、ただ智樹に笑っていて欲しかったのに、結局私はそういう顔をさせてしまった。
どうして、どうして。
「ごめん」
謝らせたいとか、そんなんじゃなかったのに。
緩んだ手から離れて、私はバタバタと慌ただしく智樹の家を出た。
おばさんのご飯たべそこねちゃったたなぁとか、そんな馬鹿みたいな現実逃避的思考に自分で鼻で笑ってしまった。
智樹。私の大切な幼馴染。
ずっと一緒だった彼の事を私は何だって知ってる気でいた。
けれどそれは勘違いだったのだ。
前世も合わせればウン十歳?大人?馬鹿いえ。
この世界で一番大切な人さえ不幸にする今の私は、どこまでも幼稚じゃないか。
ぐすぐすと泣きながら夜道を歩いていると、携帯が鳴った。
画面に出た“千春ちゃん”の文字を見て、私は震える手で画面を押した。
「ぢはるぢゃん…」
私の嗚咽混じりの声に、千春ちゃんはびっくりしたのか向こうからガタガタンッと物音がした。
次いで千春ちゃんは「どこにいるの」と問いかけた。
私は、ヒロインでも智樹の恋人候補でもなんでもなく、私の親友の千春ちゃんと話したくて『もう家の前』と答えた。
千春ちゃんはすぐうちに来た。
因みに泣き腫らした顔を隠しながらお母さんに『千春ちゃんがうちに今から来るよ』と言うと、まあ年頃だし色々あるでしょうと納得していた。理解のある母親である。
千春ちゃんは、お泊りセットをバッチリ持って「何時間でも何でも聞いちゃうからね」と言ってくれた。
部屋で、私は千春ちゃんにぽつりぽつりと話し始めた。
あのね。引かないで欲しい。
私、夢を見たのよ。
千春ちゃんと智樹が幸せそうにしてる夢。
千春ちゃんが来る前に、それを見たの。
そして、その夢の通りに千春ちゃんは転校してきた。
だから、千春ちゃんと智樹は一緒に“幸せ”になると思った。
それは私にとっては最善だったけど。千春ちゃんと智樹の2人じゃなくても、2人が他の人を好きになれば、それでも幸せならいいんじゃないかなとは思った。
2人が幸せなら良かったの。
でもね、そう思うことは智樹を不幸にしてたのよ。
私はどうすればよかったんだろう。
私が生きてる意味だと、私がこの世界に産まれた意味だとそう思っていたのに。
私は…。
そんな他の人が聞いたら鼻で笑われて病院押し込まれておしまい話を、千春ちゃんは真剣に聞いてくれた。
そしてこう言ったのだ。
「確かにそれじゃ、私も橘君も不幸になっちゃうね」
千春ちゃんもそう思っていたんだ。
胸が押し潰されそうだった。…2人共、私を嫌いになっただろうか。
「だって私達の幸せばっかり願って、里奈ちゃんの幸せが二の次なんだもの」
里奈ちゃんが幸せじゃないと、私も、きっと橘君も不幸なんじゃないかな。
…そう口にした千春ちゃんに、私は目を見開いた。
「ふ、2人が幸せなら、私も幸せって…思ったの…」
そう、2人が幸せなら。
「うん、里奈ちゃんの気持ちも分かるよ。でもね、それはただのオマケだよ。そういうのじゃないの、里奈ちゃん」
「わた、し…」
2人が幸せなら、側に居ても許されると思っていた。
2人の側に居たかった。
「里奈ちゃん、もっと貪欲になろう?里奈ちゃんが何に怯えてるか私には全部は分からないけれど、それでも言わせて欲しいの。…里奈ちゃんの幸せはなぁに?」
私の中で、ぱちんと弾けたような音がした。
「だって、だってね、千春ちゃん…」
「うん」
「私、失うのが怖いの。智樹も、今は千春ちゃんも、居なくなっちゃうのこわい」
「うん」
「私が智樹を望んだら…っ、2人共私の前から消えちゃう…!」
涙と言葉が止まらない。
泣きじゃくる私を、千春ちゃんが抱きしめた。
「消えないよ、大丈夫」
「…うぅ」
「だって私、里奈ちゃんと橘君2人が居るのが大好きだもの!」
私と同じようで、全く違う千春ちゃんの言葉。
その言葉が温かい。
「ねぇ、里奈ちゃん。明日橘君にごめんなさいしよう」
「…うん」
「思ってる事も、気持ちも全部言っちゃおう」
「智樹…引かないかな」
「だーいじょうぶ!私が保証しましょう」
にひ、と元気に笑った千春ちゃんはやっぱりこの世界で一番素敵な女の子だと思った。
ううん、他の世界もひっくるめて、私にとっては一番かっこよくて優しくて可愛い女の子だ。
「千春ちゃん」
「ん?」
「私も、ヒロインになれるかな」
智樹のヒロインに。
…私の言葉に、千春ちゃんはだーいじょうぶ!と言ってくれた。
千春ちゃんがそういうと、大丈夫な気がしてくる。
「うまくいったら里奈ちゃんは恋愛の先輩だねー」
とか千春ちゃんは言い出したけど、この状況を考えると全くそうじゃ無い気がする。
「私に好きな人が出来たらアドバイス頂戴ね」
でもその言葉には頷かせてもらった。もしその時は、沢山一緒に悩んで考えたいと思った。
*
「智樹、話があるの」
次の日の放課後。私は帰ろうとする智樹を引っ張っていった。
引っ張らなくても話は聞くと智樹は口にしたけど、その言葉は無視した。
私も必死だった。絶対智樹を逃がさないとか変な考えにまで至っていた。
…なにより、私が逃げないように。
場所は屋上。ゲームの告白の舞台だ。
「話って何…昨日の?」
昨日の今日だ。智樹は居心地が悪そうにしている。
まぁ、そうよね。
「智樹、昨日はごめんなさい」
「え、あー…それは俺もだから…」
「あとね、あとね智樹。自分が逃げないように、変な事を言う前に先に言っちゃうね」
智樹が訝しげな顔を見てるけど、そんなの気にしない。
深呼吸してから、智樹をまっすぐに見て。恥ずかしい気持ちを抑えこんで口にする。
「私、智樹の事が好き」
「…へ?」
智樹はへんてこな声を出した後何か考え出した。
「あの、さ…こういう状況で言われると勘違いするからやめて?」
「はぁ!?」
元はと言えば私が悪いのかもしれないけど!
なんだろう、すっごい腹が立つ!
「勘違いって何よ!」
「いや、だから…」
「勘違いすればいいじゃない、むしろしなさいよ!私は!恋愛的な意味で、智樹が、大好きって言ってるのよバカーーーーー!」
私の叫び声が屋上に響き渡る。
ああ、なんと色気の無い告白か…。
自嘲気味に空を見ると、目の前が真っ暗になった。
…抱きしめられている。
智樹の身長は高い。だから私の視界はすっかり智樹で覆われている。おい智樹、何も見えんぞ。というかなんか良い匂いだな!男のくせに!
「…嘘じゃない?」
「智樹に嘘つく意味無い」
「冗談じゃない?」
「智樹にだってこんな冗談言わない」
「…なんで、だって昨日は」
「昨日あの後千春ちゃんに会ったの」
「……」
「それで気付いたの、私はずっと…2人が幸せになれば私は側に居てもいいと思ってた事に。それで昨日の智樹にそうなれば私は側に居られないって言われてどうにかなってしまいそうだった。でもね?千春ちゃんが言ってくれたの、もっと貪欲になれって。私の一番幸せってなんだろうって思ったら分かった」
抱きしめてる智樹の背中に私も手を回す。
「失う事に怯えて。特別を作るのも怖くて。斜め上に怯えて手放そうとして、その中で1番望んでる事に近い方法を模索して、遠回りしてたけど…私の望みはもうずっと…智樹が側に居てくれる事だった」
多分智樹が手を握ってくれたあの日から、私は智樹に恋してた。
「私が智樹を好きになれば、智樹も千春ちゃんも私の前から消えてしまうと思って、不安になって馬鹿してた」
「里奈…」
「でももう馬鹿な事やめたの、私はこれから貪欲になろうと思う。智樹、だいすき」
「俺も、俺もずっと…」
智樹が抱きしめる力を緩めて、私の顔を見て口を開いた。
「里奈が、好きだ」
ずっとずっと、その言葉が欲しかった。
*
「でね、智樹も自分の好意を私に知られれば私の側に居られないと思ってたらしくて。いやぁ、お互いにお互いが変な方向に行ってとんでもない事に…」
「それで両片思いで10年以上来ちゃったわけだ」
場所は街中のカフェ。
千春ちゃんはプリンアラモードを、私は苺とブラウニーのパフェをそれぞれつっつきながら先日の報告会をしている。
因みに飲み物は2人共カフェオレだ。
「そういえば、智樹にここの無料券渡された」
ここにはキャンペーン等のもの以外に、購入できる無料券がある。まぁ商品券みたいなものだ。
智樹は「花月には世話になったから、これでお前ら食ってこい」とか言ってた。
「はは、橘君らしいね。…ねぇ、里奈ちゃん知ってる?橘君は、今迄ずっと慎重になりすぎだったし踏み込めずにいたけど、里奈ちゃんを諦めるなんてこれっぽっちも考えてなかったこと」
「へ?」
「たまに橘君と私が話してたのはね、橘君の恋愛相談なんだよ」
「ええっ!」
つまり私が千春ちゃんと智樹が恋を育んでいると思ってたあれは、智樹と私の恋を育む為のものだったらしい。
なんだか力が抜けてしまった私に「結婚式の司会は任せてね」と千春ちゃんがウインクするものだから、多分私と智樹は一生千春ちゃんに頭が上がらないなぁと思った。
そんな私達は、ある意味千春ちゃんに攻略されているのかもしれない。
「そういえばねー、きゃっ」
喫茶店に居た子供が走って私達の席を通り過ぎる時、千春ちゃんの肘に少し当たったらしい。
千春ちゃんの丁度手にしていたカップが床に落ちた。
パリン、という乾いた音が店内に響く。
「ボク、怪我は無い?」
「大丈夫…ごめんなさい…」
「怪我が無くて良かった。もうお店の中を走っちゃだめだよ?」
「大丈夫ですか!?」
若い店員さんが駆けつけて来た。
少し色素の薄い髪をきちっと整えた姿は、白と黒と差し色に赤を含んだこの喫茶店の制服に良く似合っている。
なんとなく、見た事あるような気がした。
「はい、子供にも怪我はありません」
「ごめんなさい、もう走りません…」
子供は泣きそうな顔をして、店員さんに謝った。
「うん、それが分かってるなら大丈夫。ほら、お母さんがあっちで待ってるから行っておいで」
店員さんが背中をトンと押すと、子供は母親の方に向かった。
今は早く母親の所に駆け出したいのだろうけど、走らずにきちんと歩いていた。
「私もすみません、もっとしっかり握っておけば落ちなかったかもしれません」
「いえ、あなたは悪くありません。そう気にやまないで下さい。それより、あなたも怪我はありませんか?」
「はい」
「それならよかった。あ、割れたカップ箒で片付けちゃいます。今掃除道具持って来ますので、危ないですから触らないようにして下さい」
そう言って店員さんはささっと箒と塵取りを持って来て、カップを片付けた。
すると…
「あっ、ちょっとすみません」
と口に出して、千春ちゃんの足元に触れた。
「え、あの…」
「飛び散ったガラスがタイツに付いてしまっていたみたいです。つい自分が取ってしまったのですが…不快でしたらすみませんでした」
「だ、大丈夫です。ありがとうございます」
「いえ、あなたが怪我したら嫌だなと思ったので…。では、これで失礼します。ごゆっくりどうぞ」
そう言ってはにかんだ後、ぺこりとお辞儀をして戻って行った店員さんを目で追った千春ちゃんに「応援するよ」と耳打ちすると、千春ちゃんは真っ赤になった。
そんな千春ちゃんが学校で彼と再会するのは、また別の話である。
この小説は流れのままに頭からっぽにして書いていたのですが、気が付いたら千春ちゃんが沢山出て来て、最早里奈と千春ちゃんの友情物語と化した気がします。
あれっ、これジャンル恋愛…。
さ、さすがヒロインということでよろしくお願いします。