4-22
事が起こったのは、ソラがディアに近づこうと一歩、足を進めたときだった。
ディアが、右手に握りしめていたソレが、黒い雷を放ち始める。
「ソラ! 離れて!」
リッカが、ディアの右手から急激に膨れ上がる膨大な魔力をはじめとしたエネルギーを『視て』慌てて叫び、ソラはとっさにリッカを抱えて物陰へと飛び込んだ。
「ひぃ……あ………………あああああああああ!!!!」
ディアが、叫び声を上げている。
物陰から覗き込むと、彼女の胸の辺りでは、爪ほどの大きさの黒いコインを浮きあがり、黒い雷をほとばしらせディアにまとわりつかせていた。
かと思いきや、黒雷の衝撃で黒い塗装をはがされた左手は、元来の銀の色を出し始めている。
そして
「なにあれ……」
「……」
ソラとリッカの目の前で、黒いチップはディアの左手に吸い込まれていった。
「まずい……」
ソラがつぶやく。
即座に翼を展開。
撃てるだけの魔力弾をディアにむけて打ち放つが
「ちっ」
手ごたえを感じられない。
「ちょっと、ソラ!?」
「とりあえず、逃げろ」
言い捨てて、両手に白いダガーを握り突っ込んでいく。
「……なにが」
鈍い、金属がかみ合う音があたりに響いた。
ソラの突き出したダガーの先では、変貌したディアの左手がその刃先を受け止めている。
「え?」
いままで、左の手首から先にしかなかった彼女の機塊は肩口までその侵食を果たし、鮮やかな銀だった色はいまや漆黒の中にわずかに混ざるだけとなっていた。
十センチほどはあったはずの爪も三十センチほどまで伸び、腕そのものが二周りは大きくなっている。
「ぬぅぅぅぁぁああああああ!!!」
ディアが叫び声とともに左腕を振り払い、ソラを押しのけた。さらに腕のいたるところから黒いワイヤーが伸びてソラを捕らえようと舞う。
一息に下がるソラの腕をかすめ、ワイヤーが戻ってゆく。
そして
「暴走してる?」
先ほどよりさらに、リッカを抱えてソラは下がる。
「……本人の意識は?」
「え? えと……ないみたい?」
「やっぱり」
一人、勝手に納得するソラに、リッカが詰め寄る。
「なんなのあれは」
「うん?」
「知ってるんでしょ?」
半ば決め付けにちかいものではあったが
「……」
ソラは、いってもいいのかどうか、一瞬迷う。
二人の視線の先では、いまなおディアが左腕に浸蝕を受け、苦痛と混乱に叫び声を上げている。
「実際に見るのははじめてだけど」
言いよどむでもなく、きっぱりと
「たぶん、あれは『悪魔』の被害者だ」
言う。
「被害者って……」
「契約したのか、騙されたのか、それともその両方なのか」
「でもだからって?」
「スラムの住人でも気がつかないうちに悪魔が関わって来ていることだってあるし」
「それはそうかもしれないけど、でも」
騙っただけでしょう? と、リッカは言う。
「騙るというだけで十分自分から『関わる』ことになる。そして、『悪魔』がそれを見逃さないはずはない」
「その結果があれってこと?」
ちらりと、ディアの変貌した左腕を『視て』、リッカが身震いをする。どうにも禍々しい魔力の流れをしていた。明らかに通常の機塊とはちがう。
「……理由や過程はどうであれ、あの状態になったら大抵は暴走して自壊する、らしい」
ソレまでの間に、どれだけの被害が出るかはわからないが。
「ぐるぁああああああ!」
ディアが叫び、ワイヤーと黒雷が当たりを穿ち始めた。当たりに一面、瓦礫だらけになっていく。
そしてソラを視界に納めたのか、次の瞬間姿を消した。
「え?」
リッカが認識するよりはやく、腹部に何かが当たりソラに蹴り飛ばされたのだと知る。
起き上がり確認した先では、ソラが左右八枚の羽を全開にして黒雷を相殺し、二本のダガーでディアの左腕を受け止めている所だった。
ソラの足が薄く積もった雪に沈み、地面をえぐる。どうみても、力負けしている。
さらにワイヤーがソラの体へと突き立ち
「ちっ!」
ワイヤーを伝った黒雷が直接肉を焼いた。
全身に走った電気で体の自由が奪われ、左腕によって再び跳ね飛ばされる。一度抜けたワイヤーがまたソラの体に絡みつき、引き戻し、そして三度目。
ぞぶり
と、肉を穿つ音がリッカの耳にも届いた気がした。
ソラの背中から、黒い腕が生えている。
「ソラ?」
足元に滴る赤い液体。
ソラの体を走る黒雷。
そして立ち昇る、肉を焼かれたことによる煙。
無造作に振るわれた左腕からソラの体が抜け落ち、離れたところに力なく落ちる。
さすがにワイヤーは骨まで切断することはできなかったのか、それでも引き抜かれていく間に肉をえぐり出血の度合いを深めていた。
動かない。
ディアが、血走った目をソラに向けている。
リッカの『眼』には、ソラから抜け落ちていくナニカが『視えて』いた。
グルリと首を回し、リッカに首を向けた。
いままで、一番傍で、もっとも『視』なれていたモノが、次々と消えていく。
野獣のような雄たけびを上げ、周囲に黒雷をばら撒く。
大丈夫。『熱』だけは、まだ残っている。『熱』だけは……
黒い爪が、リッカの眼前に現れた。
無意識に、その腕を払うことができたのは運が良かったのだろう。
右手をやけどしたものの、ディアは自らの力を反転されて、離れたところへと転がっていく。
茫然とソラの元に歩み寄り、座り込み、抱き寄せた。
顔をうずめ、目を閉じる。
聞こえない。感じられない。
ああ、もしソラが助かるのであれば、何だっていい。それこそ……
うずくまるリッカの背に、我を失っているディアが現れた。その爪をつきたてようと、大きく振りかぶっている。
だが
いままさに、リッカの背に左腕が吸い込まれるというときだった。
ディアが、空振り、宙を回転する。
「――!?」
そっと、リッカの体が押しのけられた。
「え?」
目を見開くリッカの『眼』には、あるべきものが映っていなかった。
それでも、リッカの目には、しっかりと映っていた。
ソラが音もなく起き上がり、計十六枚の羽を散らし、焦点の合わない目を、ディアに向ける。
「……」
無言。
空のように蒼い目が、無感情に、無表情に、ディアを映す。
ディアは、何を感じたのかその左腕からワイヤーを伸ばし、離脱を図ろうとした。
同時に、黒雷を放ち時間を稼ごうとする。
実際、黒雷はソラの元に届きその体をなめるように這ったが、先ほどまでとは違い特にダメージを与えているようでもなかった。
それだけでなく
ソラの気配が、膨れ上がる。
いままで人であったものが、まるで巨大な岩のように、山のように、いや、まるで大地のように。
ソラの周囲を地雷が走り、瓦礫が漂い始め、無重力の空間が覆い始めた。
同時に、浮かび上がったソラの、翼から奔る魔力光が蒼から黄金へと変貌し、流れ落ちていた血がとまり、傷が癒えていく。
リッカがディアとは反対側に跳ね飛ばされ、転がった。
「ソラ!?」
翼を大きく、一打ち。
ソラの背から伸びる翼は、軋みを上げその円盤部となっている箇所からさらに新たなアームを伸ばしていく。
黄金の翼が、二倍のサイズにまで広がった。
いつのまにやら、無重力空間から逃げ出していたディアが、ケモノじみた咆哮を上げワイヤーと黒雷をソラに向かって打ち放つが
届かない。
ソラの眼前で、まるで何かに押しのけられるかのように、何かに書き分けられるかのように、無重力の球体に添うような形で、大きく曲がり、反れた。
それでもディアは、巧みにワイヤーを操り、横から、後ろからソラを絡めとろうともするが、一定の場所からピクリとも動かなくなった。
そしてソラは、その『力』でもって、ディアの体を『持ち上げる』。右手をかざし、まるで包み込むようにそっと握りしめていく。
「ぎ、あああああああああああああああ!!!」
ディアが叫び、ワイヤーと黒雷をでたらめに振りまき、ソラが右手を閉じきった瞬間。
彼女の存在が、消失した。
ちがう。
リッカの『眼』には、しっかりと『視え』ていた。
ディアを中心として高重力が発生して、同時に外側から押しつぶすような圧力をたたきつけたのだ。
その結果
ディアの体は、髪の一本、血の一滴にいたるまでが一つの小さな球体に圧縮されたのだ。
いままでの、ただ上から下に『潰す』ような『力』とは違う、明らかに大きな力。
「ソラ……?」
リッカの呼びかけに答えることもなく、ふと、ソラの強大な気配が消えた。
浮かんでいた体は地に堕ち、力なく横たわる。
慌てて駆け寄り、抱き起こして
「よかった。生きてる」
呼吸と脈拍を確認する。
ただそれでも、見た目の傷は癒えていても、それなりに大きなダメージは受けていたのだろう。目を覚ますような様子もなく、背中の両翼は黄金の光をうっすらと放っているままだ。
「……どうやって運ぼう?」
これでまだ、浮いていてくれていたなら引っ張って動かすこともできたかもしれない。
一応背負うことはできなくもないが
「事務所までは結構距離あるよねー?」
それでも、となんとか背負おうとして
「あ、あれ?」
安心したからなのか、腰が抜けていて、結局合流したエリーやジョイたちが迎えに来るまで、そこから動けなかったのだった。
「やるねぇ。『堕天使』君は」
遠くから、二人を眺めている人影があった。
「昔と比べて、なあんにも変わってないと思ったがいやはや……まさか成長するとは」
その手に持った望遠計測器を下ろし、誰に言うともなく歌うように独り言を言う。
「まあ、今回は貸しと借りでチャラにしといてやるよ。ってか、借りになんのか? 貸しのが多いのか? うん?」
勝手に悩み首をひねるその人影の後ろに、不意に一つの気配が生まれる。
「ああ、ダッヂ? どうだったそっちは。……ああ、問題ないさ。それならそれでまた面白いことになる」
さあ、いこうかと、背後にいた人物に声をかけた人影の爪は黒く、その何枚かが失われていた。




