4-9
マスター、いつものを
「おや、初めての方ですね」
いつも、帝都を見下ろしているその佇まいから、どうしても気になっていた。
目的地ははるか上空、およそ六百メルテ先の店舗。
先は見えていても風の機嫌次第でいいようにもてあそばれて、これまでに三回リトライする羽目になった。
一回目は一番低い枝まで。二回目は一番高い枝にぎりぎり。三回目でやっとあと一息というところだったのに、突風が邪魔をして堕ちざるをえなかった。
地面に激突するようなへまはしない。ただ滑空するでもなく、純粋に『堕ちる』という行為が水底に沈むにも似ていて、何かがつかめるかもと水面に向かって手を伸ばしたけれど、何もつかむことはできなかった。
すでに天を堕ちた証を持っているのに、さらにどこへ堕ちるのだろうかと自分で自分に皮肉をいって、わずかに笑ったということを覚えている。
そして今日。風に殴られ、流され、まとわりつかれながらも昇りつめて、ついにとうとうそこに足をつけた。
いまだ吹き付ける風に逆らいながらもドアをくぐったとたん、鼻をくすぐる香ばしい香りが広がる。
落ち着いた雰囲気の店内は席の間が広く設けられていて、客はみなその背にさまざまな翼を持っていた。なるほど飛行者専用の店というだけのことはあると思った。
そして、出迎えたのは一人のマスター。
ほかの客達以上に、久しぶりの新しい客を笑顔で迎え、歓迎の言葉を述べる。
「ようこそ、いらっしゃいませ。ここが空中カフェ『止まり木』です」
□ □ □
町の喧騒を足元に置き去りにして、一人の少年が空を飛んでいく。
一人飛び上がり向かうその先は、飛行者達の集うところ『止まり木』
一度心配になって根元を確認してみたものの、スチールイーターの群れの被害にはさしてあっていなかったようで、穴どころか傷一つついていなかった。
自分とは逆に滑空して降りていく顔なじみ達に対して簡単な挨拶を交わしつつ、ソラは上昇を続ける。
しばらくして店舗エリアへとたどり着き、降り立った。
「おや、お久しぶりですね」
店内に入ると同時に、マスターが顔を向けて変わらない笑顔を向ける。
「ここのところ、いろいろとあったから……」
言葉少なげに挨拶を返し、定位置となっているカウンターのすみへと向かった。ゴーグルとマスクを下ろしながら、店内を見渡す。
店内の様子は一切変わっていないというのに、まるで数年来来ていなかったような懐かしさを感じて、ソラはその理由を探す。
ああ、違う。変わっていないからこそ懐かしく感じるんだ。
いくつも混ざったコーヒーの香り。
澄み渡った冬の冷たくも寒すぎない空気。
下界の猥雑さから切り離された店内。
騒ぐのは立ち寄る鳥達と、止まり木にじゃれ付く風のみ。
これが夏になったらなったで、夏の暑さを忘れるかのような涼しさが店内を満たすために、涼をとりに訪れる客が増える。
「あら、ソラこのあいだぶり?」
マリアがいち早く気付き、声をかけてくる。
「この間というほど昔じゃないような気も……」
マリアに続き、他の客たちも次々と声をかけていく。
「おう、一昨日だったかぁ? わざわざ『枝』までつれて着ていたあの子、今度紹介しろよ」
「リ……アイツは飛行者じゃないし、紹介するつもりもない」
「いっぱしに自分の女ですってか」
「サイクロプスだからなぁ。やめたほうがいいぞ!」
その言葉は誰に向けて言った言葉なのか。からかうような物言いに、周囲にいた者達からも笑いの声が上がる。
本人にそのあだ名が伝わった時はどうやって誤魔化そうかと考えないでもなかったが、ひとまず誤魔化すという形でなんとかなったのだからよしとしよう。
ソラは苦笑で返して、席に座りコーヒーの注文を済ませる。
「で、今日はどんな用事なんだい?」
誰かが声を上げる
「下でおきたスチールイーターの件について、詳しい人はいないかなと」
「そういや下で騒いでいたわねえ。あれって地下の生物だと思ったけど」
隣の席にやってきたマリアが、しみじみとつぶやく。
「金属ってこのあたりの重要資源だものねえ。食われちゃどうしようもないと……ただソラ、なにか関係してたの?」
「関係というか……被害にあった一人だったりする」
ジャックもろとも、武器を食われたのだ。そのおかげで新しいダガーに出会えたともいえるのだが。
「それは……災難だったわね」
他にも被害を受けた者がいたのだろう。何人か同じように苦い顔をしている。
「今後似たようなことがあった場合に対処法とか知っていればなんとかなるかなと」
「そうは言ってもなぁ。地下都市にコネなんて誰も持ってないよなぁ? しかも地下のケモノ相手となると、わかんねえことも多いし」
「気にはかけておくけど、たいした情報なんてたぶん入らないわよ?」
鳥にとっては空こそが活動の場だ。モグラのように地面に埋まった情報には手が届かない。
「スチールイーターに関係した情報が入ればいいさ」
そして一度口をつぐみ
「それともうひとつ」
ソラが、様子を伺いながら言う。
「『黒い機塊』を、最近見た人はいる?」
その言葉で止まり木の空気が止まった。
ソラをからかいながら軽食に手を伸ばしていたものも、いままでソラ達の会話に入らず談笑していたものも、そして、皿を拭くマスターの手も、止まった。
「ソラさん、内容によっては……」
普段は黙して語らないマスターがあえて声をかける。
「手を出すってわけじゃない。ただ、最近身近なところに……だからどっちかって言うと、警鐘」
不用意に手を出した時の危険度は、どれも伝聞や結果のみでしか知らないが、それでも十分知っているつもりだ。
「形は蜘蛛。大きさは子犬ぐらい。分離型だとは思うけど、オーナーは見ていない。おそらく完全に自立している。詳しい能力は不明。ただ、スチールイーターを殺すぐらいはできるらしい。」
店内の空気が張り詰めている。
「チップは誰も見てない。ただ、色が黒いというだけ」
ただ、それでも注意しておくに越したことはない。
「見つけたのは、どこなんだ?」
誰かが声を上げた。
「ゴミ島」
「そういや今朝真っ赤になってたわねぇ。アレと関係が?」
「あれは……また別」
言いよどんだ具合から、何か知っていることに勘付いたのだろう。
「へえ? その話あとでようく聞きたいところだけど……」
獲物を狙う鷹のように、マリアは目を光らせるが
「それより黒い機塊のほうが重要よね。その『蜘蛛』はいまどこに?」
「ウチにある。幸い、ユニが持ってるから抑えは効くはず」
「あのこかぁ。まあだからといって楽観はできねえよなぁ」
「スラム近辺で収まっててくれただけでもよしとするか。にしてもなんでゴミ島なんかに……」
わずかに弛緩した空気が流れる。それでも、だれもが気を抜いても、意識だけはソラに向けていた。
「そこは推測の域を出ないけど、誰かがチップを拾って持ち込んだのか、はたまたゴミと一緒に流したのかってところじゃない?」
「あのチップを捨てるかぁ? まあ誘惑に勝てるようなヤツだったらやりかねないが……」
みなの口調は軽い。だが、誰しもが関わりたくないと思っていることが、ありありと見えた。
「いや、いい。偶然かもしれないし、忘れてもらっても」
「そうは言ってもね……気がついたときには遅かったとしても、知っているかどうかで後々の対処も変わるのよ」
「それはわかってるけど……」
ソラとしても、杞憂ですめばそれが一番いい。ただ楽観するにしては情報がなさ過ぎてなんともいえなかった。
これが、スラムにおいても危機感を喚起するような言葉があればよかったところではあるが、『黒い機塊』に気をつけろだなんて言葉はスラムの外、それも一部の人々の間にしか
ない。
それはつまり、拾ってきたというユニにしても、『黒いタマゴ』の状態を見ていたリッカやエリー達にしても、警戒も警告も警鐘すらもできなかったわけであり、今後どうなるかは経過と結果を待つしかないという対処療法しか取れないということでもあった。
「一応だけど、いまからその『蜘蛛』を捨ててくるっていうのは?」
また誰かが、思いついた意見を述べる。
「それができれば一番いいけど……ひとつの生き物として動いてるものが、そう簡単に捨てられる?」
「あー……戻ってきかねないよなぁ」
「そういうわけだ」
実際のところ、まだタマゴの状態だったらユニの目を盗んででも捨ててきたのだが、それでも離そうとしていなかったからたちが悪い。
いっそのこと壊してしまええればいいのだけど、大体がユニと一緒にいるせいで手を出すに出せない。ちゃんと説明をすれば分かってもらえそうではあるが、それでも不用意に手を出して思わぬ被害が出ないとも限らない。
「ソラもソラで大変ねえ」
マリアがしみじみといい
「ま、知り合いのやつらには注意程度には呼びかけておくわ。お前もほどほどにな。あ、マスターお代おいといたから」
一人が出て行き、少しだけ店内が静かになり、全員が大きく溜息をついた。
「ま、重たい話はここらへんにしておいて……」
店内の空気を換えるために、マリアがぱんと手をたたいて
「フライトマンレースの話でもしましょうか?」
話題を変えた。
「あ、じゃあオレはここで……」
すかさず逃げ出そうとするソラの肩を、マリアが掴む。
「えっと、マリア? オレはこの後も用事が……」
「別にいつも猫探しと失せモノ探しとちょっとした手伝いしかしてないのに、どんな用事があるのかしら?」
基本行動が、全てばれていた。
いやここにいる鳥相手に隠し事なんてあってないようなものではあるのだけど。
「今年はソラ、出るわよねー?」
いろいろダイナミックな人は、笑顔もダイナミックだった。
「生憎だけど、前後してしばらく出て行く用事がある」
「おう? なんだそりゃ?」
誰かが反応して、寄ってきた。
「軍部主催の冬季訓練。協力を頼まれて」
「珍しいなおい。てかおまえそんなコネ持ってたのかよ」
「なんていうか、一方的に持たされたというか……それに、コネなんて無くてもハンターや冒険者相手に募集してるって言ってたし」
「あー、そういえばそんなのもあったわねぇ。」
店内にいくつか上がる同意の声。
もっとも、協力する理由には『黒い男』と言うものがあるのだが、姿を見たことすらない相手にどこまで真剣になれるかというと、非常に困る。ヴィヴィにおいては面識もあるうえに親しい間柄の人物を死なせることになったのだし、恨みつらみもあるのだろう。それに知らない間に懐に入りこんでくるような、そんな相手は確かに危険ではあるのだが……殺した本人が言えたことではないかもしれないが。
ただ、どんなに危険だといわれても面識も無く、相手のことをまったく知らないとなると警戒のしようもない。あの事件も陰で操っていたとはいっても……
「まあ、そうなると今年も賭けはなしか」
「……え?」
「いやな、普段ここに来ないようなやつが何位になるかいっつも賭けてるんだよ」
止まり木の常連客となると、大体のスペックは分かっているために賭けにならないらしい。だから普段どころかまったく来ないような人物をネタに盛り上がるとか。
「ソラが無理となると……今回の有力株は歓楽街のあいつか?」
「いや、キンダーガーデンにも速いやついたよなぁ」
「ああ、あいつか……」
少し思考にふけっていただけで、勝手に話が大きくなっていってる。
「ソラも、ちゃんと飛び方覚えれば早くなるとおもうんだけどね。おねぇさん教えてあげるよとはこの間言ったけど……?」
どうする? とマリアがしなを作ってもたれてきた。
「いや、うん。とりあえず今のままでも大丈夫だから……」
瞬間的な速度は出ているのだし、無理しなくても……
と断りたかったのだけど、貼り付けたような顔がいまだにこっちを向いていた。
「……マタアシタオネガイシマス」
「もうしかたがないなぁ」
語尾にハートマークが見えたのは気のせいだろうか。
「ソラ、気をつけろよ」
「マリアは飛ぶのはうまいんだけどいろいろとなぁ」
「俺一時間でダウンにかけるわ」
中には両手を合わせてくるものもいた。マリアの教え方とはそんなに危険なんだろうか……
「……マリア、そこにいるおっさん達も教えてほしいそうだ」
「え、そうなの?」
「いやいやいやいや」
「おいソラ! 巻き込むな!」
「よし、じゃあ明日は飛行講習会ね!」
やめてくれえええええ! という叫び声が店内に響き渡る。
「にぎやかでいいですねえ」
一人蚊帳の外のマスターが、コップを拭きながらしみじみと言った。
なぜか軍隊式よりも厳しいという噂




