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あるいは、堕天使の憂鬱  作者: とんぺり
彼のいない日常
52/84

3-クロエ3

ねぼすけさん

「ねえ、クロエ」

「う?」

「あんたはわたしみたいになるんじゃないよ?」

「うにゃ~」

 まだ小さかったとき。かあさまが元気だったとき。

「こんな仕事続けてどこの誰が父親とも知れない子供作って……まあ、そのおかげでアンタにもあえたんだけどね」

「ねえかあさま?」

「なんだい?」

「あラしもかあさまみたいになレルかな?」

「たった今アタシみたいになるんじゃないといっただろう」

「うにゃー」

 そういいながら、かあさまはあたまをなでてくれた。

「ねえクロエ」

「う?」

「つらいときは笑いなさい」

「ぜんぜんつラくないよ?」

「これから先のことだよ。笑っていればいいこともおこるさ」

「うー」

 そのころからかあさまは病気だったみたいで、次の春の時には死んでしまった。


 “つらいときは笑いなさい”とかあさまはいった。


 かあさまが死んでしまってからも、そこ(・・)のみんなは優しかった。

「あまり外に出てはいけないよ。怖い人に攫われてしまうから」

 そういわれて、いるのはずっと部屋の中。

 タバコと香水のにおいがとても臭くて、鼻が曲がりそうで、いわれなくてもあまり自分から部屋の外にはでたくなかった。

 時々外に出たりもしたけれど、お姐さんたちが大体誰か見張っていた。

 みんなはいつもおねぼうさんで、朝はあまりおきてこない。

 だからそんな時はママが遊び相手。

 昼ごろになってみんなおきだしてくる。タバコと香水のにおいを振りまいて。

 朝ごはんとお昼ごはんを合わせて取ったみんなは、よくわたしの相手をしてくれた。

 何人かにらんでくる人もいたけれど。

 夕方になるとみんなは忙しくなる。

 八百屋のおじさん達と違って、お姐さんたちのお仕事は夜にあるみたい。

 だからわたしは一人、邪魔にならないように部屋の隅っこにいる。

 夜になるとみんなはお客さんと部屋に上がっていって、嬉しそうな悲しそうなよくわからない声を上げていた。

 どんなお仕事なのかは誰も教えてくれなかった。

 わたしは一人、ママのそばでうつらうつらして、気がつくといっつもひとりで寝てた。


 “つらいときは笑いなさい”とかあさまはいった。


 あるとき、おなかが痛くなってしばらくしたら足の間から血が出た。

 みんなはおめでとうといってくれた。大人になったんだねと。

 赤ちゃんを産めるようになったらしいのだけど、わたしは人より遅かったらしい。人によってはもっと早いといっていた。

 ただ、いつもわたしをにらみつけているお姐さんたちはニヤニヤ笑って

「これであんたも仕事ができるね」

 といった。


 ある日いつもにらんでくるお姐さんの一人がわたしを呼んで、仕事を手伝ってほしいといった。

「いつもにらんでいてゴメン。本当はアタシアンタがすきなんだ。だから仕事を手伝ってほしい」

 他のお姐さんたちは手がいっぱいで手伝えない。わたししかいないらしい。

 体をきれいにしてお気に入りの服を着て部屋にいるだけでいいって。あとはお客さんが勝手にやるからって。

 いわれて、お風呂にはいってきて、かあさまが好きだった白いワンピースをきて、部屋で待ってたら、太ったおじさんがやってきた。

 お姐さんがいなかったけど、忙しくなってこれなくなったらしい。

「かわいいね。なまえクロエちゃんっていうんだっけ。今日はよろしくね」

 タバコのにおいと香水のにおい。

 強くて気分が悪くなって、何をいっているのか分からなかったけれどなんだかいやな予感がした。

 動かなかったわたしに怒ったのか、太ったおじさんはかってに「こんなところでお仕事してるなんていけない子だね悪い子だねお仕置きしないとね」ニヤニヤ笑って近寄ってくる。

 手が伸ばされて頑張って逃げたけれど押し倒されてワンピースが破かれて手足をめちゃくちゃに振り回したけれど押さえつけられて叩かれて痛くて泣き叫んで蹴り飛ばそうとしたのにできなくておなかになにか熱いものがつきささった。

「や…………」

 叫んで

 叫んで叫んで叫んで叫んで

 気がついたら、太ったおじさんはいなくなっていて赤い粉みたいなものが山になっていた。ちのにおいがひどい。おなかの奥がいたい。部屋の入り口にお姐さんたちがいて、こっちをぼうっとみていた。

 仲のよかったお姐さんがひとりわたしに近寄ってくる。

 その後ろでママが

「なにをやらせてんだい! クロエにはおなじ仕事につかせないで独り立ちさせるって、ちゃんとタチアナと約束してんだよ!」

 わたしに手伝いをお願いした人を叩いて叱っている。

 近寄ってきたお姐さんに抱きしめられて、撫でられて「怖かったね大丈夫だよ」といってくれたけど、お姐さんの腕がぱさりとおちた。

「え?」

 頭の中から音が消えていく。

 ぼうぜんとするお姐さんを見て、わたしの心の中に一つの言葉がうかぶ。


 機塊持ち(ユーザー)になっちゃった。


 それはきっと、おなかに熱を感じたとき。私の血の中に沢山の機塊の粒が生まれた。

 それだけで、わたしだけが、なにがおきたか全部わかっちゃった。

 わたしの血にさわったからだ。もう太ったおじさんを食べた『血』は死んでいるけれど、わたしの肌のすぐ下を動いている『血』はずっといきている。だからさわったお姐さんの腕がおちた。

 お願い暴れないで落ち着いて食べないで。そうやって心の中でお願いしているのに、わたしの『血』は言うことをきいてくれない。もっと食べたいとさわいでる。

 ここにいちゃいけない。

 さわっちゃいけない。

 みんなを食べちゃう。

 だから、そとへ。

 シーツを体に巻きつけて、窓から外に飛び出した。

 適当に走って、走り回って、走り続けて、疲れたら泥のように眠りについた。


 “つらいときは歌いなさい”とかあさまはいった。


 わらえないよ。かあさま。



 □



「……う?」

 頭を撫でられる感触で、クロエは意識を覚醒させる。

 誰かが頭をさわっている。髪を掻き分け、頬を撫でて、優しく触れてくれている。

 懐かしい匂い……

「……かあさま?」

「生憎、アタシゃアンタみたいな娘を持った覚えはないけどね」

 最近聞いた覚えのある声に、クロエは飛び起きた。あわててベッドのすみに身を寄せる。

「ちょ、どうしたの?」

 クロエをなでていた右手を掲げたまま、わけが分からないと固まった状態の、ノノの顔。

「さわった……」

「うん?」

「なんレ……」

 いつもなら、寝ていようが起きていようが肌に触ろうものなら即座に『血』が動いて相手を『喰って』いるというのに。信じられないといった様子で、腕をノノに伸ばす。

「なんレラいじょうぶなの?」

 聞いて、その両手に手袋がはめられていないということに気付いた。

 寝る前は間違いなくつけていたのに。

「あんたさあ、寝るときも手袋つけてんの? さすがに肌に悪いと思ってはずしてあげたんだけど……」

「なんレさわったの!?」

 違う、そうじゃない。そんなことをいいたいんじゃない。

 やっぱりここをすぐに出るべきだったんだ。“前”みたいに、触れて、解けて、溶けて、崩れて、大きな問題が起きる前に。ほら、今すぐにでもノノの手が……

「……あレ?」

「あんた大丈夫?」

 ノノがベッドに身を乗り上げ、クロエの両手をしっかりと握りしめる。

「やっ……」

 なのに、なにもおきない。

 茫然とノノの顔をみつめ、そっとその顔に触れてみる。

「どうしたのよ?」

 クロエはそっと触れていたてはそのうちべたべたとさわりだし、最後はぎゅっとノノを抱きしめてほうずりまでし始めた。

「ちょ、ちょっとあんた一体どうしたって……」

 ついに泣き出したクロエに、ノノはどうすることもできない。

 まるで、親を見つけた迷子のように、失くしてしまった大切なぬいぐるみを見つけた少女のように、クロエはノノに抱きしめつづけた。

 しばらくの間、クロエはノノを放さなかった。



「え、アタシってそんなやばいもんに触れてたわけ!?」

 やっと泣き止んだクロエから機塊のことを聞いたノノは、つい条件反射で身を突き放す。

「うん」

「……の割にはアンタはじめてあったとき飛びついてきたじゃない」

「あレはちゃんと触ラないようにしてルかラ~」

 それなりに気をつけて接触はしていたらしい。ただ、人の肌に飢えているのか恨めしそうな目で、飛びつきたそうにしている。

 ノノは、若干引きながらもクロエの顔を見て話を聞く。

「じゃあなんで今は大丈夫なのよ?」

「うーん……こレ?」

 一度首をかしげて、胸元から取り出したのは一つの匂い袋。ノノが普段使っているものとおなじ香りのするもので、クロエがマダム・メディッサから受け取ったもの。

「それって……アタシももっちゃいるけど、そんなんでいいわけ?」

「う~ん、機塊は心でつかうって眼鏡のお姉さんいってたし、『血』は静かでおちついていルし~」

 つまり、匂い袋のおかげで『血』がリラックスしているということを言いたいのだろう。ものすごくいい加減な気がしないでもないが。

「何よその眼鏡のお姉さんって」

「ぴえロみたいな人?」

 ピエロで眼鏡のお姉さんが一体何を言ったというのか。ひとまず誰かから助言をもらったということにしておこう。

「とりあえず、アンタの大好きな“かあさま”のにおいがしていれば大丈夫ってことなのね」

「うん。たぶん」

 なんとも説得力のない不安定な根拠にノノは頭を抱えた。

 時として、疫病よりも危ないものだということは分かっているのだけれど、クロエのあっけらかんとした性格に毒気をぬかれてもいる。

 ほかの姐さん達に機塊のことを知られるより先に、住んでいたところへ返してあげないととも思ってはいるが、その帰るところがワカラナイから困っているわけで……

「レ、ノノんは何しにきたの?」

「あー、すっかり忘れていたわ。休みついでにあんたを案内してあげろってママに言われてね。呼びにきたらぐーすかねてるもんだから……あたしらよりねぼすけってアンタ何様のつもりよ」

「あははは~」

 笑うクロエに、ノノはため息をつく。

「まったく、アンタってばどこからきたのか」

「うーんと……」

「方角じゃなくて場所よ場所。人の名前とか近くのお店の名前とか、覚えてないの?」

 また適当な方角を指そうとしたクロエを、ノノが押しとどめる。

 昨日の二度のやり取りですでにどういう結果が出るのは分かっていた。ゆえに、もっとヒントになりそうなものがないか聞いてみるのだが

「人? そラとかせーなさんとかリっかとか?」

「……そんなんじゃ分からないわねぇ」

「そラは何レも屋でせーなさんはみんなのかあさまラよ~」

「なに、あんたちゃんと“かあさま”の名前は分かってるんじゃない」

「かあさまはかあさま。せーなさんはせーなさん」

 違うらしい。

「ラいじょうぶラよー。ちゃんと帰レルかラ」

 そこだけは、自信満々にクロエはいう。ここによったのはほんの偶然。だからすぐに帰るというような顔を、クロエはしていた。

「何よ迷子が偉そうに」

 人が本気で心配してあげているというのに

「にはは」

 のんきなものだ、この迷子は。

「さ、出かけるわよ」

「うに」

 促されて、クロエはベッドから飛び降りる。

 部屋を出る前に手袋をつけることは忘れない。大丈夫だろうということは分かっていても、すでに習慣になっていることもあって手袋をしていないと落ち着かなかった。

 服はいつものずるずるの服じゃないけれど、たぶん大丈夫だろう。あれはあれで全身が隠れて、肌を隠すついでにあったかかったからよかったのだけど……そのかわり夏はちょっと大変。

 ただ、髪は切ってもいいのかもしれないと、クロエは思う。

 少しでも肌に触れる人を減らすために、自分を守る鎧のように、髪をまとわせていたのだけれど。いまは“かあさま”が守っててくれるから。



 □



 にげて、にげてにげてにげてにげて

 隠れて動いておなかが減ったら適当なところから盗んで物陰に潜んでなんとか毎日を過ごしていたら、いつのまにやら大勢の人に追いかけられるようになった。

 どんどん追いかける人が増えていって追い立てられて、どこにいるのかも分からなくなった。

 そんなとき、青い羽をもったヒトがわたしを見つける。

 そこから始まる壮絶な鬼ごっこ。どれだけ走っても、ぴたりとついてくる。

 昔、近所の猫とやった追いかけっこを思い出した。追う側と逃げる側が違うけど。

 そのうち、なんだか面白くなって、泣きながら笑いだしていた。

 どこかの角をまがったときに、道の真ん中に頭に『角』をもった女の子がたっていた。

 よけようとしたら、女の子が何かして、急に体から力が抜ける。

『血』が、急に眠りについていた。

 こけて転がって、倒れるわたしに女の子が近づいて、わたしの手に触れる。

 “つかまえた”

 声は出していなかったけれど、そう聞こえた。


 やっと、わらえるかな? かあさま


そんなわけでもんだいかいけつ?

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