蛍雪時代 第一話
更新遅くなりました。
「あーっもう、なによ。この紙の山。どうして許可を一つ取るのにこんなに資料を用意しないといけないのよ」
フードを深くかぶり、腰に分厚いバインダーを下げた少女は、まだ薄暗い朝の光に照らされながら、握りしめた手でペンをへし折った。
あたしのコードネームはクリシア・ホルン。天界の世界管理庁社会状勢管理局カードランド課の職員。現地勤務のためコンコース侯爵家所有の私塾に居候。この私塾に入るのはとても大変らしいけど、ふふっ、管理庁の力を甘く見ないでちょうだい。あたしたちを使えば大抵の物は手に入るのよ。
世界管理庁って何をする所かって聞かれたら、そうねえ。本当は何かをする所らしいけど、あたしが知っているのは天界という名を借りた管理庁の各世界に於ける影響力の維持って所かしらね。何が目的なのかさっぱり分からないけど。採用試験の参考書を読み返せば何か書いてあるわよ。きっと。
それにしても、工作資金は上から大量に送られてくるから、生活や活動には困らないけど、この凄まじい人で不足は何とかして欲しいわね。徹夜の作業だって珍しくはないし。中央では人が余って、「施設衛生対策係(ゴキブリ退治専門)」なんて部署を作ったらしいけど、連中は一体何をやっているのかしら。
そうそう。あたしが今やっている仕事は、どこかに生まれた筈の転生者の捜索。乱暴に転生させたために、どこに転生したのかなのか分からなくなってしまったのよ。
でも、どいつが転生者なのかなんて、自白をとらない限り誰にも分からないし、この広い世界探して見つかる方がおかしいから、捜索は初めから諦めて、今は適当な人物を転生者に仕立てている。どうせ元地球人なら、いつかどっかで派手に騒ぎでも起こすわよ。その時にでも捕まえて煮るなり焼くなりさせてもらえばいいわ。
上に見つかったらどうするのって。うーん。多分大丈夫よ。問題になればわざと転生者を発生させた時点で既にアウトだし、基本的に上の連中は、予算の消化ときちんとした報告書さえ心掛けていれば、余程の事がない限り何も言ってこない筈よ。
そうこうしている内に、書類の山も片付いた。
「はーあ。終わった。後は用があるまで寝ま…、あれ」
コツコツ。
こんなに朝早くからドアを叩く迷惑者がいた。
こんな時間にやって来る客と言えば、あいつしかいないわね。
「こんな朝早くに誰かしら。マルスティール・カードリスさん」
「おはよう、クリシア。どうして僕だって判った」
マルスは許可もなくずかずかと部屋に入ると、勝手にクリシアのベッドに腰を下ろした。
「こんな時間にあたしの部屋に来る奴なんて、あなたしかいないわよ」
「そうかも知れないね。君が机の前に座っているという事は、今日は徹夜で研究かな。ご苦労様。でも余り無理しない方がいいぞ」
「はいはい。お気遣いありがと。それで、何の用よ」
「ああ、そうそう。忘れてた。君から借りた本、読み終わったから返すよ。それにしても、すごいよね。去年僕とほとんど歳が変わらない君が、学者としてここに来たときは驚いたよ」
確かあの時あたしは、同僚からもらったどっかの貴族からの推薦状と、外務省から流れてきたらしい地球の資料を切り取って作った、作文のような論文を持ってコンコース侯爵の屋敷を訪ねたっけ。
初め侯爵は論文を読んで興奮していたが、面接で何か不味いことを言ったらしく、あたしへの興味は萎んでしまったみたい。地球学は一応職員採用試験に出て来るが、論文の内容に付いていけずボロが出たみたいね。
まあ、推薦状の効果は大きかったらしく、結局暫く私塾に置かせてもらうことになったけど。
その後、推薦状が偽物ではないかと疑った使用人が川に沈められたとか、沈められなかったとか。知らない知らない、あたしは知らない。
「このくらい、その気になればあなただって出来るわよ」
マルスは庶子とはいえ王族。ある程度の貴族のお抱え学者にねじ込むなんて造作もない筈。
「無理だよ。僕には君が思っているほど力も才能もない。それはそうと、いつも少し気になっているのだが、このような本をどこから手に入れているんだい。素晴らしい本だが、流通していれば絶対禁書になっていると思うんだけど。出来ればこの人の書いた本、他にも読んでみたなあ」
実はこの本地球の昔の書物を現地向けに穏やかな内容に編集しなおした物。マルスは転生者の偽物としてあたしが教育しているので、地球風の思想を身に付けさせるため貸し出してるのよ。
基本的には管理庁はなぜか直接現地社会に介入することを禁じられてるのよね。守っている人なんていないらしいけれど。
それで現地社会に大きな変動があると、中央から検査官が送られてくることになっている。そこで過度の介入が見つかると…。後はご想像に任せるわよ。そんなこともあり、大抵の職員は変動を嫌うらしわ。大抵はね。
まあ、中央に現地の担当者が睨まれていたため、普通の社会変動すら妨害して6000年間停滞し続けた社会はいい方で、中央に気に入られているのをいいことに、どこから手に入れたのか核兵器を持ち込まれて、消滅させられた社会もあるらしいから、分からないけど。
それであたしの場合、時々発生する転生者に紛れ込ませて尤も文明の進んでいると噂の地求人を連れてきたんだけれど、過激な思想と過剰な知識で問題ばかり起こす元地求人よりも、こうやって育てた穏やかな現地人の方が扱いやすいかもかもしれないわね。本当は転生者が見つかったら偽物に死んでもらおうと思っていたけど、やることやってもらったら、転生者の方をとっとと抹殺しちゃおうかしら。
「ちょっと…、クリシア。大丈夫かい。話したくなければ話さなくていいのだが……。」
クリシアは、はっとして顔を上げる。
「あっ、ごめんごめん。でも、出所は秘密よ」
明かせるわけないわよ。
「残念だなあ。まあ君が言うなら諦めてもいいがな」
「そうするのが賢明よ。下手に探ったら命の保証出来ないから」
「おう、怖いな。でも君の本は僕以外は貸していないのだろう」
「そうだけど」
何かあったのかしら。
「実はコンコース侯爵にソフィーナという一人娘がいるだろう。そいつがこんな本を持っていた」
そう言ってマルスは一冊の本をクリシアに差し出した。
「ふーん、そう。それがどうかし…って、もしかして」
「この本を知っているのかい」
そう、この本確か地球学の教科書に出てきた。何でこんな所にあるのよ。可能性は一つ、いや二つしかない。ずっと昔に地球から転生してきた者がいたのか、それともあたしが転生させたもて地球人がこの近くにいるのかしら。
内容は背景などはこの地方の社会に沿っているけど、ストーリーはそのまま地球の物語。なんか原作よりも政治臭がきつい気がするけど気のせいかしら。
「その、お嬢様はどこからこれを手に入れたのかしら」
もしかしたら……。
「詳しい事は分からないが、なんでもここ数年侯爵が支援し始めた学者が書いたものらしい。塾の書庫に彼の書いた本が何冊か置いてあった」
「えっ、どんな本」
「物語が多かったかな。最近侯爵家から塾に下ろされて、今塾の生徒達に大人気だ。ただソフィーナの口振りからすると侯爵家の図書室には他にも色々な本が入っているらしい」
へっー。色々な本ねえ
「他には何か聞いていない?」
「うーん。他にはと言われても。貴族の少年だとか、最近侯爵領の測量をした一団で働いていた少年だとか」
少年?測量隊?気になるわね。
「それにあくまで噂だが、これらの本を書いたのはソフィーナの許嫁だという話も聞く」
ふーん。お嬢様に許嫁がいたなんて知らなかったわ。そういえばこの地方では、貴族が子供時代に婚約するのは珍しくなかったわね。
まああまり信憑性はないけれど、侯爵家の許嫁なのなら管理庁出版の個人情報録でも調べて見ようかしら。
「ありがとう。後は自分で調べてみるわ」
「そうか。そいつは君が貸してくれる本の作者と同一人物だと思っていたが、違ったようだね。残念だ。思考や雰囲気がよくにていたので同じかと思っていたが」
「ええ、違うわよ」
「では、命の保証云々は放っておいて、彼の事は思う存分探らせて貰おうかな」
「ああ、そうして頂戴。また何か分かったら教えてね」
「わかった。また何か分かったら報告するよ。そうそう、ソフィーナの許嫁、今度この塾にくるらしいぞ」
そう言ってマルスは部屋を出ていった。
クリシアはすっかり目が覚めてしまった。誰が書いたかはともかく、地球の書物がこの世界に流通しているのなら、中央の検査官に偽物の転生者が目をつけられても、十分逃げられる。それにこれなら元地球人と合わせて、二人とも操っても問題ない。それに元地球人らしき人物の所在の糸口はつかんだ。そう思うと、クリシアは早速腰にぶら下げた分厚いバインダーを机の上に置いて開いた。
ふふふ。これ買っといてよかったわ。これさえあれば、ほんの少しの手がかりで個人の経歴を表も裏も全部丸裸に出来ちゃう。
えーっと。ソフィーナ・コンコースっと。あったあった。お嬢様の許嫁は…、えーっと、この人か。この人のページは…。ここかあ、なになに、ジン・ラファール。男爵家の長男。姉一人弟一人。祖父が手柄を立て、領地と爵位を賜ったという。新興貴族の一人。分割相続によって領地からの収益が減り、将来に備えて本を書いて貯蓄に励んでいる。
ふーん、なるほど。これでほぼ確実に、あの本を書いたのはこいつね。それにしても、侯爵家の一人娘が男爵家と婚約ねえ。相当侯爵がこいつを気に入ったらしいわね。この辺はもう少し調査して見ようかしら。
コツコツ
はて、今度は誰かしら。今朝はやけに客が多いわね。
「どうぞ」
「おはよう。クリシア。朝の気分はどうだい」
なんだ。こいつか。
「顔見りゃ気分なんてわかるでしょ。今日は疲れているから、用が済んだらさっさと帰った方が身のためよ、クラン・モグリッチ」
「久しぶりに話ができたと思ったのに、そんなこと言うなよ。クリシア。それに疲れてると言う割りには、やけに嬉しそうなか顔ているよ」
「あなたには関係ないわよ。はあ、そろそろ朝食にでもしようかしら」
「そうそう、明日辺りにソフィーナの許嫁がここに来るらしいって噂、聞いたかい」
そういえば少し前に誰かさんも、同じようなことを言っていたような。
「知っているわよ。そんなこと」
「クリシアにしては耳が早いね。昨晩から流れ出したばかりなのに」
クリシアにしてはとは何よ。
「そいつ、どんな奴か知っているかい」「さあ」
「侯爵家の屋敷で開かれるパーティーには、時々来るのだけど、クリシアは会ったことないか。あいつが来るパーティーには、招待してもらってなかったもんね」
さっきから一言多過ぎるような気がするんだけど、気のせいかしら。
「あいつは非常識の塊でね。聖典を侮辱するし、貴族としての誇りはないし、お金にがめついし、その上に妙に屁理屈が上手いから周りに嫌われてしまう……。」
元地球人の典型ね。嫌われているの真偽は別にして。あたしはそういうの嫌いじゃないわよ。天界の人間もそんな感じだし。
「それにあいつはいつもソフィーナと一緒にいる」
ああ、そういうこと。要は嫉妬しているわけね。
「お嬢様の事は諦めなさい。努力の無駄よ」
「誤解しないで欲しいね。恋愛に縁のない人間はすぐに早とちりする」
あたしの耳、さっきからおかしいわね。
「そんな男が相手なんてソフィーナが可哀想すぎると思わないかい」
さあ。どちらかといえばあなたに狙われて可哀想。
「だからさ、そいつが来たら少しいいことを教えてあげようと思うんだ」
つまりいじめるって訳ね。これならちょっと面白かも知れないわね。
「それで少しクリシアに協力して欲しいんだよ。やってくれない」
「検討だけはしてみるわ」
「ありがとう。クリシアは頼りになるなあ」
「あたしは結構忙しいから大したこと出来ないわよ」
「大丈夫さ。クリシアの活躍期待しているよ。それにクリシアにこういう悪役、似合ってるよ」
ぶちっ。もう切れた。ターゲット変更よ。明日を楽しみにしていなさい。クラン・モグリッチ。
今回は説明が多くなってしまいました。次回からはもう少しテンポ良く進めていこうと思います。
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