エルシド視点・2話
オレが恋に落ちたのは、王宮の清掃担当のメイド。
王宮メイドの中でも、清掃担当となると血統的にはかなり最下層の一族になる。
そんな彼女は突然オレの腕の中に落ちてきた。
言葉通り、本当に上から落ちてきたのだが……。
王宮の窓から手を滑らせ落ちてきた彼女の名前はエレーナ・フォンデル。
年齢は19歳。
金の緩やかなウェーブが流れる髪は長く。
大きな瞳はグレーで、健康そうな肌。
黒いふわふわした尻尾が揺れる大人しそうなメスだった。
助けたオレに何度も頭を下げて謝る彼女の声は甘く、解けて少し乱れた金の髪は風にそよぎ、恥ずかしさから潤んでいるグレーの瞳は愛らしく、そんな姿にオレは心を奪われたのだ。
それ以降、王宮の中庭を用もなく通ったり、そこで彼女の姿だけを探す毎日。
そんなオレの様子に最初に気づいたのは親友のゲシュトだった。
すでにつがいの相手がいるゲシュトには今まで散々発情期が来ない事をからかわれていた。
オレには発情することがどういうことなのかわからなかったし、このままつがいの相手が現れなくても、当主である兄には跡継ぎもいたので問題はなく。
いつもはゲシュトのからかいを軽くいなしていた。
その時も最初はからかわれていただけだった。
しかしおれはその時、いつものようにいなすことが出来ずイライラと言い返し、また会話の中で何度も言葉に詰まった。
そんなオレの様子に、すでに発情期を経験しているゲシュトからオレに発情期が来ると聞いたのだ。
発情期が来る。
発情すること事態は問題はない。
本能的なことだ。
問題は恋をしたことだった。
恋をすると、普通の発情期は迎えられない。
発情するのは恋をした相手だけに限られるからだ。
相手が発情期を迎えてさえいれば、自分の血統を考えればつがいになることはそう難しくないだろう。
しかし、相手が発情期を迎えていない場合、3つの道しか残されてない。
1つはその想いを抱えたまま発情している他のメスを選ぶ事。
もう1つは、相手の意思を無視して恋をしたメスと無理やりつがいとなること。
そして、恋を抱いたまま一生一人で生きていくことだ。
相手に発情期が来ていなくても子は出来る。
かなり出来ずらいが。
子が出来るまで何度も情を交わす。
恋をすると発情期が狂うので、年中発情できる。
子が出来難くとも、発情出来ればいずれ子が成せるだろう。
しかし、相手の気持ちを無視した行為であり、当然、幸せになれた者は殆どいない。
当然、相手にもいずれ発情期が来るので、その時になれば捨てられてしまう。
そういう道なので、大抵の者は想いを抱えたまま1人でいることを選ぶ。
まだ発情していなかったオレは、その時は想いを抱えて一人でいるつもりだったのだ。
何もわかっていないオレらしい選択。
オレは自分が発情して、初めて恋をするということがどれほど困難で辛いことかを知った。
恋する相手を乞う。
身を焦がし、恋、慕う行為。
そのことがこれほどわが身を焼き尽くすなんて知らなかったのだ……。
春が来て、発情期に入った。
どの者もそうだが、発情期に入った者はつがう相手を探したり、また、すでに相手がいる者はその者と情を交わす。
お互いまったく興味のなかった者同士が、発情期にはつがいになったりするのは普通だ。
不思議な感覚であるが、発情期に入るということがどんなことなのか身を持って知った者としては納得するしかないだろう。
とにかくこの身に感じる衝動の大きさに驚いていた。
もし道ばったでばったり彼女に会うことがあれば、オレは自分が何をするのかわからないと言うしかない。
春の来るのが遅かった分、衝動が大きいのだろうとゲシュトは言うが、これほど本能に振り回されるとは思わなかった。
エレーナの姿を求め体は火照り、気がおかしくなりそうな毎日だった。
月1回行われる緋との合同練習では、まともな練習にならなかったと言わざるおえない。
相手がゲシュトだったせいもあるが、それほどオレは酷い負け方をしたのだ。
オレはみんなが寄宿所に戻る時も一人残って鍛錬を続けていた。
どんなに練習しても、発情したことによって集中力は低下し、練習では発散しきれない熱にうかされる。
自分との戦いに慣れているはずなのに、ひどく辛いと思う自分がいた。
この頃にはオレに発情期が来ていることは知れ渡り、先日、王宮に呼ばれたのだ。
呼ばれた理由は王族の1人、フィオナ様についてのことだった。
フィオナ様は王の妹君の娘。
今年19歳で、発情期も身分的にも釣り合うという理由からつがいの相手としてどうかという話だった。
それについては速やかにお断りさせていただいた。
恋によって引き起こされた発情は、恋している相手にしか向かわない。
求める気持ちは強く、相手にはエレーナしか選べないのだ。
それが恋をするということ。
遅くまで鍛錬を続け、1人で自分の部屋に向かう。
途中、メイド達が住まう寮がある。
もちろん、そこにはエレーナも住んでいるのだ。
ひと目でもエレーナを見たいという気持ちもあったが、会えば気持ちを抑える自信がない。
無理やり連れ去ってしまいそうな自分が怖かった。
会いたくって会えない。
そのジレンマを感じつつも、最近は諦めの境地になっていた。