参百肆拾陸.初産
準備が整ったところで、俺たちは帝が休む清涼殿、夜の御殿へと向かった。
途中、宿直の者たちは全て寝静まっているので、全く人気のなく静かな内裏には3人の足音だけが響いていた。
中宮「御所からこのように人気が消えるなんて不思議な感じです」
俺「ここには昼夜を問わず誰か控えているんでしょうね」
俺の屋敷は許可がなければ立ち入り禁止になってるから静かなものだけど、ここは立ち入り禁止にするわけにはいかないだろうからな。
清涼殿に着くと、天照は中宮から赤ちゃんの人形を受け取ると、人形の背中に手を当てて何か呟いた。
天照『じゃ、姫ちゃん、中宮ちゃんをちゃんと支えてあげてね』
そう言われて、俺は中宮と正面から抱き合うような形で上半身を支えて中宮が俺の体に体重を預けられるようにした。
平安時代の出産は現代のように仰向けに寝るのではなく、中腰で座った状態で行う座産だった。
当然、出産するときに中腰の姿勢を何の助けもなく維持することはできないので、何か支えが必要になる。そこで、柱や天井から下がった紐にしがみついたり、前後左右から人に支えてもらったりするのだ。
そういうわけで、今回は俺は中宮を前から支える役目を負うことになったのだ。
天照『それじゃ、行くよー』
そう言うと天照は人形を中宮のおなかに軽く当てた。すると、赤ちゃんの人形はすぅっと中宮のおなかの中へと消えていった。
中宮「ひぅっ」
その瞬間、中宮の顔色が変わって俺の体をつかむ手の力がぐっと強まった。
リアルな出産シーンをということで、本当にこれから中宮はさっきの赤ちゃん人形を出産するのだ。どういう理屈でそんなことができるのかさっぱり不明だが。
中宮は今、これまで体験したことのない陣痛の痛みを必死に我慢していた。
俺「中宮さま、力を抜いてください」
中宮「うー、うーっ」
中宮は俺の呼びかけに頷きで答えるが、言葉を話す余裕はないようだ。
天照『じゃ、帝を起こしちゃうね。せーの……起きろーーっ!!』
天照がそう言うと、清涼殿の扉が一斉に全部開いて、俺たちと帝の間にあった障壁も取り払われた。
その物音に何事かと目を覚まして体を起こした帝は、今まさに出産しようとしている中宮を目に留め、目を見開いた。
帝「こ、これは、一体?」
天照『ようやく目覚めたか』
陣痛に耐える中宮の上に浮かんだ天照がいつもと違って威厳のある声で言った。こういう状況でもわざわざ現代語を使うのは天照らしいというところだけど。