参百肆拾.平常運転
天照『そんなことになるくらいなら、いっそのことここで消えちゃう方がいいよ』
俺『そんなことはないよ。それは絶対に違う』
だからここはきっぱりと否定しないとだめだ。天照に疎外感を味あわせようなんて、思ってないって伝えないと。
天照『違わないよ。だって、キスしたのは雪ちゃんだけで、あたしにはキスしてない』
いやー、その前に空にもしちゃったけどね。とは、この場ではちょっと言う度胸はない。そのことはちょっと忘れておこう。
それに、そもそも、天照とキスしそこねたのは、天照がやりづらい雰囲気を作ったせいだと思う。まあ、そうやって天照を責めてもこの場は治まらないので、そういうことは言わない。
俺『キスとかそんなこと関係ないよ』
そう言って、ほとんど泣きそうな天照の肩をやさしく抱き寄せた。
俺『なんていうか、俺にとって天照は大切な友達なんだ。キスなんてしなくてもそれは変わらない。天照は雪と比較するけど、雪と比較なんてできない。どっちも大切なんだよ』
天照『姫ちゃん』
俺『これまでなかなか一緒にいる時間が取れなかったけど、現代に行ったらずっと一緒だからいろんなことを沢山やってみようよ』
天照『本当にいい? 雪ちゃんと2人きりになれなくても?』
まだ少し震える声で天照はそう聞いてきた。
俺『いい。元々、天照には俺の方に取り憑いてもらおうと思ってたんだ。雪と2人きりになれないなんてことを気にしてたらそんなこと思いつきもしないよ』
天照『でも、それは大国主が姫ちゃんに無理やり押し付けたことじゃないの?』
俺『経緯としてはそうだったけど、俺もそれでいいって思ったんだから同じだよ』
天照『そうか……』
そう言って、天照は俺の背中に両手を回してきた。
天照『やっぱり姫ちゃんは、出会った時と同じだ』
俺『あの時よりは随分成長したと思うけどね』
天照『でも、心は同じだよ』
俺『一緒に現代に来てくれる気になった?』
天照『うん』
結界の中には外界の気配はまるで入ってこない。物音も振動も風も匂いも。ここにいるのは俺と天照の2人きりだ。
ようやく落ち着いてきた天照と抱き合ったまま、天照の気持ちが鎮まるまでしばらくお互いの心音を聞いていることにした。
天照『ねえ、姫ちゃん』
俺『うん?』
天照『このまま押し倒しちゃってもいいんだよ?』
俺『ふざけるな』
言っていることはさっきまでとあまり変わらないけれど、その響きから深刻さが抜けてただの冗談だということがすぐに分かったので、安心して切り捨てた。
もう、天照は平常運転に戻ったみたいだ。