弐百陸拾玖.双六
季節は梅雨も終わり、本格的な夏に差し掛かってきた頃。俺の離れを出ると急にむっとした暑さに襲われる。一応、本殿も含めた邸宅全体にも不審に思わない程度に弱冷房をかけているのだが、快適な離れの空調と比べると雲泥の差だ。
俺の夏の着物には吸湿速乾機能を付与して夏でもべたつかずに快適になるように工夫しているが、それでも汗を大量にかくと全部脱いで全裸で冷房の吹き出し口に仁王立ちしたくなる。
暑い。
それに引き換え、よく寛子はそんなしっかり服を着込んで涼しい顔をしていられるものだ。
寛子と会うのは結局本殿の方になった。ここで俺が判断して大丈夫と思ったら俺の離れに連れてくるということになったのだ。
俺「ようこそ、寛子さん。来てくれて嬉しいわ」
寛子「かぐや姫さんがどうしてもというから仕方なく来ただけよ。別に私は一人になってせいせいしてたんだから」
ツンデレキタ━(゜∀゜)━! まだツンだけだけど。
寛子「何をにやにやしてらっしゃるのかしら」
あれ、顔に出てた? あぶないあぶない。
俺「ねえ、寛子さん。私と勝負しませんか?」
寛子「何を考えていらっしゃるのですか?」
俺「寛子さんもいきなりこれまで格下だと思ってきた私の女房になるなんて納得できないと思いますから、私と勝負して寛子さんが勝ったらこの屋敷の中では寛子さんが私のご主人さまになって、私が勝ったら私がご主人さまになるっていうことにしたらどうでしょう」
結局、あれこれ考えたけど寛子と勝負して勝つという雪のアイデアより良いアイデアが思いつかなかったのだ。ただし、その勝負の内容についてはこれ以上ないいいアイデアが思いついた。
寛子「……かぐや姫さんはそれに何のメリットがあるのかしら?」
俺「私は、寛子さんが納得してここに住んでくれればいいだけですわ。それに、私が寛子さんに負けるなんて万が一にもないと思いますし」
とにかく勝負についてくれないとこの仕掛けは始まらない。俺は寛子をその気にさせるため、わざと少し挑発気味に煽ってみた。
寛子「何を言っているのかしら。あなたのように低い身分の出の人が、私のように生まれつき高貴だった人に勝てるわけがないでしょ」
俺「今は私のほうが身分が上ですわ。それに、もし寛子さんが本当に人間として高貴だったらこんなふうに没落するようなことはなかったのじゃないかしら?」
寛子「な! ……分かりました。その勝負、お受けいたしましょう。その代わり、約束は守ってくださいね」
俺「もちろんですわ。本当に高貴な人は卑怯なことはしないものですから」
寛子に絶対に負けたくないと思わせるために、ダメ押しで余計な一言を追加してみた。寛子の父の大納言がやったことは卑怯なことと思われているので、これは利くんじゃないかと思う。
案の定、寛子は唇を噛んで悔しがっている。
寛子「勝負は何になさるんですか?」
俺「双六よ」
双六とはサイコロを使ったボードゲームのことで、世界的にはバックギャモンと呼ばれているゲームの日本版だ。奈良時代から人々に親しまれ、あまりに中毒性があるため度々禁止令が出されるほどの定番ゲームなのだ。
双六といえば、平家物語で白河法皇が「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」と言ったというのが有名です。貴族の婦女子や表の政治から退いた上皇/法皇たちにとっては、暇を効率よく潰すためにボードゲームはうってつけだったんでしょう。
ちなみに、奈良時代から親しまれていたボードゲームといえば、もう一つ囲碁があります。こちらも平安文学にもたびたび登場するのでお馴染みです。
ところで双六ですが、現代普及している双六とは、サイコロを振って出た目の分だけコマを進めるという点以外は全く異なる別のゲームなので注意が必要です。古い方の双六はそれだけ普及していたにも関わらず、明治以降は全く廃れてしまったそうです。