弐百拾玖.おもひのほかに
それも仕方がない。おそらく右大臣はこの衣を手に入れるために相当の出費を強いられたはずだ。
それを是としたのは俺との結婚が掛かっているというだけでなく、この衣がそれだけの価値があると思ったからというのもあるに違いない。
しかし、ここでこの衣が燃えてしまえば、右大臣は衣も俺もどちらも失うことになってしまう。それは痛い。
もちろん、燃えなければどちらも手に入れることができるのだが、俺が偽物だと断言している以上、燃えてしまう可能性は高いと考えておくべきだ。(というか、間違いなく燃えるんだけど)
傷口を最小限に抑えるならば、最初に俺が提案したように、結婚は諦めて対価と引き換えにこの衣を俺に譲るのが最善なのだが……
右大臣はうめいた姿勢のまま、しばらく表情も変えず身じろぎもせずにいたが、やがて顔を上げると言った。
右大臣「分かりました。火をつけてみましょう」
俺は右大臣の顔をもう一度確認するようにしっかりと見て、それから雪に言った。
俺「例のものを」
雪は一旦席を辞して、再び戻ってきた時には大きな陶器の皿と火種の入った火鉢を持ってきた。
俺「この皿の上に衣を載せて、火鉢の火種を差し入れて火をつけてください」
俺の言葉に、右大臣は自ら衣を皿の上に移し、火箸で火種を取って衣の中に差し入れた。
正直、今の瞬間まで右大臣が折れて燃やすのは止めにしようと言い出さないかと心の中で願っていたのだが、右大臣は顔を青くしながらも、自らの手で火種を衣に入れてしまった。
いや、まだ今ならすぐに火種を取り出せば間に合うかもしれない。
そう思った瞬間、油分を含んだ毛皮は一気に炎に包まれ、燃え上がった。
俺「あぁ……」
右大臣「おぉ……」
炎はそのまま数分間の間、美しい衣を燃やし続けた。そして、炎が小さくなった後もくすぶる火は、さらに十数分間掛けてゆっくりと燃えかすを完全な灰へと変化させていった。
俺「燃えましたね」
右大臣「ええ」
俺「これが、この衣が火鼠の裘ではない証拠です」
右大臣「仕方ありません」
俺「……」
右大臣は大きく息を吸って、息を吐くと、憑き物が落ちたようにすっきりした表情で座り直した。
右大臣「私はまるで長い夢を見ていたようです。人ならぬものに恋をして、この世ならざるものを追い求め、そしてどちらも失ってしまいました。しかし、命が残っただけ幸運だったのかもしれません」
そう言うと、右大臣は早々に席を辞して去っていった。
俺は、そんな右大臣に返歌を一つ持たせて見送った。
なごりなく もゆとしりたる かはごろも おもひのほかに おきてみましを
かわごろもが跡かたもなく燃えると知っていたので、燃やさないでとって置きたかったです、と一言。
すっきりしてしまった右大臣とは対照的に、まだ未練の残る俺は、燃やした灰を綺麗に集めて手作り石鹸の中に練り込むことにした。使い捨てにはなってしまうが、灰にもまだある程度は美肌効果が残っているからだ。
もったいなすぎて涙が出てくるよ。
オリジナルの竹取物語に出てくる和歌は、
なごりなく もゆとしり<せば> かはごろも おもひのほかに おきてみましを
となっていて、「もし燃えると知っていたならば」という仮定の話になっていますが、本編では事前にかぐや姫が本物ではないと言い切っているので、それに合わせて書き換えてあります。
さて、次はそろそろひな祭りの時期になります。今度はどんな騒ぎになるんでしょうか?
例によって次回更新までまたしばらくお時間をいただきます。現在、別の連載小説の1編を執筆中で、それが終わった後にこちらを書くのと、少し夏休みを取ろうかとも思っていますので、多少間が空くかもしれませんが、お待ちいただければとおもいます。
では。