弐百拾伍.かぎりなきおもひ
雪「かぐや姫さま」
珍しく慌てた様子で現れた雪は、無言で文を1通、俺に手渡した。それは右大臣からの手紙だった。
右大臣阿倍殿。俺に最後まで求婚し続けた5人の公卿の1人で、「火鼠の裘」を課題として出題した人だ。
火鼠の裘は、火鼠という火の中に住むと言われる大ネズミの怪物の毛皮で作った着物で、火にくべても決して燃えないという特徴があるものだ。
他の公卿に出した課題と同様、俺のように神の世界に片足を突っ込んでいるものならともかく、普通の人間に入手することはまず不可能な代物であることは間違いがない。
その右大臣からの手紙だが、手紙が届くこと自体はそこまで珍しいものではない。ご機嫌伺いの手紙なら右大臣に限らず課題が進行中の関白や中納言んからもちょくちょく届いている。
雪が慌てていたのはその内容についてだった。
手紙の中身は時候の挨拶から始まって、本文には火鼠の裘を手に入れたこと、都合のいい日に面会を求める旨が書かれていて、最後に和歌で締められていた。
かぎりなき おもひにやけぬ かはごろも たもとかわきて けふこそはきめ
限界のない恋の思いにも火にも焼けないかわごろもを手に入れて、ようやく会えない寂しさの涙に濡れた袂が乾いたので今日やっと着ることができます、というような意味で、いかにも自信満々だ。
雪「大丈夫でしょうか?」
俺「大丈夫だよ」
前にも自信満々で来た親王がとんだ子供だましだったことがあったし、今回もどうせはったりだろう。
俺「この課題はとにかく火をつけて本当に燃えるかどうかを確認すればいいだけなんだから、簡単簡単」
念のため高温の炎を生み出す魔法を火種の中に仕込んでおけば、燃えにくい素材で小細工をしていても問題はない。
これでまた1人減ったな。
くっくっくとほくそ笑んだ俺は、すぐにでもお会いしたい旨の返事をしたためて雪に持って行かせた。
右大臣はそれから3日後に俺の屋敷を訪れた。対面したのは例によって、俺の住む離れではなく親王との対面でも使った部屋だ。
右大臣「お久しぶりです。かぐや姫殿」
俺「右大臣さまもお元気そうで」
右大臣はちょっと年上のダンディーな人だ。悪く言えばおっさんとも言えるが、美形なのでむしろそれがいいとも言えるかもしれない。
美形度は中納言や関白には劣るが、年上好きなら右大臣のほうが好みということも十分ありえると思う。
ま、心が男の俺にはどうでもいいことだけどね。
右大臣「やっとのことでかぐや姫殿の望みのものを手に入れることができましたので、これ以上なく晴れ晴れとした気持ちです」
俺「そうですか。それを聞いて私も大変嬉しく思いますわ」
これでまた1人面倒くさい求婚者が減るんだからな。
右大臣はお付きのものに合図して、三方に乗せた白い布に包まれた何かを運んでこさせた。
右大臣「ご存知の通り、遣唐使は廃止されましたが、唐との交易は少ないながらもまだ続いています。私はそのような交易商人に火鼠の裘を探すように依頼したのです」
なるほど火鼠は中国の伝説に登場する怪物だから、中国の商人に探させるというのは理屈に合っている。その辺の鉢を拾ってきた親王よりは随分ましだ。
遣唐使を通じた貿易は朝貢貿易と呼ばれ、遣唐使の廃止とともになくなりましたが、朝貢貿易以外の民間貿易はその後も行われていました。
それから、唐という名前は唐王朝が滅びた後も中国を指す言葉として使われ続けたようです。