百捌拾玖.スパイ大作戦
雨(いくら神さまでも、首を切り落とされたら大ダメージなんだよ)
ちなみに切り落としてはいない。ちょっと切っ先が食い込んだだけだ。
夜は人がいないと言っても、誰も彼もが寝静まっているわけではない。当然、貴人の邸宅には警備のために寝ずの番をしている者たちがいて、門番をしたり、貴人の近くに控えたり、外を巡回していたりする。
特に内裏は帝が住んでいるところなので厳重な警備がなされている。
まず、全官人は交代でそれぞれの所属する役所の宿直警備をする義務がある。彼らは内裏の外側、大内裏の建物内に泊まり込んでいるが、内裏の中には入って来ない。なので、暗い夜空を空高くを飛んでいれば見つかる心配はない。
もちろん、宿直の官人だけではなく、武官も警備にあたっている。内裏の中を含めた大内裏全体の警備するのは近衛府の役割だ。彼らの高官はそろって身分が高く、特に左右2人いる近衛大将は公卿が兼務することを誇りに思うほどの名誉ある役職なのだ。
近衛府の衛士が内裏の内外を厳しく警備しているため、内裏の上空まで来ることはできたものの、俺と雨はそれ以上には下降して近づくことができない。
俺「けれど、それは想定の範囲内だわ」
俺は懐から直径2cm程度の玉をたくさん取り出して、いくつかを雨に渡した。
俺「これに火をつけるから、その辺にばら撒いて」
雨(わかった)
警備が邪魔なら全員寝かせてしまえばいいんだ。俺が今取り出したのは強力な催眠香で、匂いを嗅いだら朝までぐっすり眠って起きることはない。人生に1度あるかないかの深い眠りに誘われて、翌朝は生まれ変わったように心も身体もリフレッシュするという、現代人には喉から手が出るほどありがたいお香なのだ。
これを内裏の内外にばらまけば、近衛の連中は全員眠って朝までぐっすり。俺たちが何をしても気づかれることはない。
俺「ぐっふっふ。じゃ、火をつけるよ。しばらく息を止めててね」
俺は魔法を呼び出してすべてのお香に一斉に火をつける。
雨「ふぁ~あ」
ちょっ、なんでそこでわざわざ口を開けてあくびをするんだっ。寝るぞ。寝てしまうぞっ。
雨(あれ、なんか、ちょっと眠い……)
俺(あほー。さっさと、お香をばら撒けっ)
雨(おーーー)
力なくふらふらと飛んで、あっちへぽとり、こっちへぽとり、と落としていく雨。はらはらしながら見ているうちに、なんとか全部撒き終えた。
雨(鹿が1頭、鹿が2頭、…………)
俺「寝ちゃダメ。寝たら死ぬわよっ!」
主に、俺の手にかかって。
雨(ぐーぐー)
俺「別雷の名により、我が敵を滅す」
!!!!!!
雨(ギャーー、…………、グフッ)
俺「おはよう、雨」
さっきまでの眠そうな目から一転、濁った瞳でうつろな目を開けた雨に向かって、気付けに俺は最大級の笑顔を向けてあげた。それこそ、爺なら0.01秒で成仏しそうな。
京の警備体制には変遷があり、近衛府が成立前は兵衛府が帝の側近での警備を担当していました。
「陸.夜道に注意」の後書きで、当時の衛士の組織を総称して六衛府と書きましたが、これは近衛府が成立した後の表現です。なお、近衛府の成立は8世紀後半から9世紀初頭です。
関連して、中宮が帝の正妻を指す言葉として定着したのは10世紀中頃で、この物語の時代設定もそのくらいを想定しています。同時期には安倍晴明が921年に生まれたり、藤原道長が966年に生まれたり、1000年前後に源氏物語や枕草子が成立したりしています。
ただし、この時代設定に1つ大きな矛盾があって、竹取物語の成立は9世紀終わりとされていて、この時代にはかぐや姫の名前は知られているはずです。この矛盾はどこか本編の中で回収することになると思います。