百捌拾伍.サロンへようこそ
雪「ああ、そんな顔じゃ中宮さまに失礼ですよ。とりあえず、まず、お風呂に入ってきてください」
俺「もうちょっと寝たいなぁ……」
雪「ダメです。そんな時間はありません」
俺「ぶー」
お風呂に入って、朝ごはんを食べて、頑張って作った新しい服を雪にお披露目して、化粧して、着付けして、3人が準備万端になった頃にはもう昼過ぎになっていた。
俺「間に合うかな?」
雪「大丈夫です。余裕です」
当日の仕切りを全部雪に任せた俺は、正直、約束の時間がいつなのかすら分かっていなかったが、雪が自信を持って答えたので信頼することにした。
婆「いってらっしゃい、かぐや」
俺「いってまいります」
庭の中に入り、屋敷に直接乗り付けられた牛車に、1人ずつ3台に分乗して中宮の御所へと向かった。
中宮の御所は平安京の北の中央、大内裏と呼ばれる宮城の中の、内裏と呼ばれる帝の私生活が行われるエリアの中にある。
なお、この内裏の中にある清涼殿というのが帝が平素仕事をする場所であって、ここに出入りできる貴族は限られた貴族の中の貴族で、殿上人と呼ばれる。公卿(従三位以上の貴族)のほか、昇殿宣旨を受けた貴族のみが殿上人となれるの。ちなみに、爺はいつの間にか昇殿を許されているようだ。
中宮が住んでいるのは清涼殿ではなく、そのもっと奥にある建物の方だ。俺たちの牛車はそこまで直接入り込んで、建物に直接乗り付けて縁側へと降り立った。男性の場合は門の所で降りるのが普通だけど、女性の場合は中まで入るのだ。
それにしてもさすが中宮の御所。匂いからして違う。多分、高価なお香が常に焚き染められているんだ。俺の屋敷は無臭でほのかに石鹸の香りだから、こういう環境は新鮮だ。
迎えに出てきた中宮の女房たちは、俺たちの装いに皆一様に驚いている様子だった。
彼女らの装いは洗練されていた。平安時代の服のおしゃれは、色とりどりの衣を重ね着にして、その配色のグラデーションを見せるのが基本だ。衣一枚一枚は薄いので、下地が透けてグラデーションを更に複雑にしている。しかも、その合わせ方には季節感を表現するルールがあって、そのルールを前提とした上でアレンジする必要があるのだ。
そういう意味ではさすがに中宮の女房たち、皆、模範的な装いをしていて、大変上品だ。雪なんかは完全にその雰囲気に飲まれて目が泳いでしまっている。
しかし、女房たちは女房たちで俺たちの装いをどう解釈していいのかわからず、困惑している様子だ。
女房「こちらへ」
1人の女房に案内されて、そろそろと縁側を進み、宴席の設けられた部屋へと招き入れられた。どうやら私的な宴のようで、席の配置も正式なものではなく、他に招待客もいないようだ。そこで、俺たちは奥の中宮の近くの席へと案内された。
中宮は全員が揃ってから来るので、それまでその場で待っているのだけれど、女房たちからの視線が痛い痛い。失礼だから凝視はしてこないものの、明らかにチラ見してるよ!? みたいな。
若干いたたまれない気分でいると、ようやく中宮がおいでになるということで、頭を下げて到着を待つことになった。
おそらく衣服に香を焚き染めているのだろう、一際心地良い香りが部屋に流れ込んで来たと思ったら、俺の隣の空席になっていた場所に誰かが座ったのを合図に、全員が頭を上げた。